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第21話 下郎の騎士と、高潔の騎士

 口を抑えた右手を、焼けるように熱い胃液が滴り落ちていく。

 ヴァイスは目の前が真っ赤に焼けていくような眩暈を感じながら、自らの体を責め立てるような嘔気に全身を蝕まれていた。

 

 腹の中の物を全て出し切り、焼けるような喉の痛みが消えた後も、耐え難い嘔気は彼女を手放すことなく、ヴァイスは体を九の字に曲げたまま、ゲホゲホと咳き込むようにえづき続ける。


「おいヴァイス、お前大丈夫かよ!?」


 尋常ではないヴァイスの嘔吐に、ブルーが心配した様子で駆け寄るが、ヴァイスに応える余裕は無い。

 延々と続いた嘔吐によって、ヴァイスは瑠璃色の瞳から涙を流し、体は己の吐瀉物により汚れきっていた。

 その姿にいつもの凛々しい面影は無い。 


「だい………じょうぶ、です」

「だ、大丈夫ってお前………」


 呟くようなヴァイスの返事に、ブルーが途方に暮れていると、背後から彼女の様子を見つめていたブラウンがため息をつきハンカチを手にヴァイスへと近寄ってきた。


「とりあえず顔を拭け、あと服も着替えろ」


 そう言って、ブラウンはヴァイスへハンカチを手渡そうとするが、ヴァイスはその手を振り払う。


「私に、触れないで頂きたい」


 ヴァイスは、全身から冷や汗を流しながらも、真っ直ぐな瞳でブラウンを睨みつける。

 その目にはブラウンに対する失望と蔑みが浮かび、そしてそれを隠そうとするつもりも無い様子であった。


「そうか………」


 ブラウンは払われた己の右手を見つめながら、冷めた表情で言葉を放つ。


「それで、荷物はまとめたのか? 王都へ帰るのだろう?」


「おい団長、今はそんな話―――」


「お断りします。私はこの拠点に残ります。

 この戦い、私はその結末を最後まで見届けたい」


 ブラウンの言葉にヴァイスが挑みかかるような調子で答える。

 その言動の端々には、ブラウンに対する敵意に満ちていた。


(ほほう、どうやら女騎士様は俺に対してご立腹のようだな)


 ブラウンはそんなヴァイスの態度を鼻で笑うと、嘲るように口を開く。


「ふん、お前がどう望もうが、この騎士団にいる限り俺の指示には逆らえない。

 俺が、帰れと『命令』したらどうする?」


「ご自由に、私は私の勝手でここに残ります」


「命令を反故にするのか? お得意の騎士道とやらはどうした?

 上官に従わないのは騎士道に反することではないのか?」


「もう貴方の口から騎士道という言葉は聞きたくありません。

 ………汚らわしい」


 ヴァイスの辛辣な言葉に対して、ブラウンはなおも嘲るような笑みを浮かべているが、その瞳には微かに怒りが混じる。


「ほほう、汚らわしいときたか。

 言ってくれるな、ヴァイス・ゴルトー。

 流石、貴族のお嬢様は仰ることが違うようだ。ゴルトー家のご令嬢にとって、俺のような騎士風情は汚らわしいと?」


「そんなことは言っておりません、穿った捉え方はやめて頂きたい。

 しかし、団長。貴方には失望させられました。

 貴方がこのように酷薄な人間だとは思っていなかった………こんな卑劣な男だとは思っていなかった。

 私はもう、貴方の指示になんて従いたくはない」


「俺のような男………か。

 確かに俺はこのオークを嬲り殺した………だが、それがどうした? 何だと言うんだ?

 俺はどんな手を使ってでもオーク共を殲滅しなかればいけないんだ。

 手段を選ぶ余裕も有能さも、俺にはない」


「手段を選ばない………。

 それが貴方の、騎士としての在り方なのですか?

 だとしたら、それは私や仲間たちへの背信行為です。

 戦死した仲間たちも浮かばれない………」


「何だと………」


 静かに言葉を紡いでいたブラウンの声音に怒気が混じる、その表情に先程よりもはっきりとした怒りが浮かぶ。

 次の瞬間、ヴァイスはブラウンに胸倉を掴み上げられ、壁に叩きつけられていた。


「―――――っ!」

 

「調子に乗るなよ小娘!

 聞いていれば、歯の浮くような綺麗事ばかりを並べやがって!

 俺は、俺の愚昧のせいで、チェスナットや仲間たちを殺してしまったんだ!

 これ以上仲間を犠牲にするわけにはいかない、今更手段など選んでいられるか!」


「そのために下衆まで落ちるのですか!?

 誇りを失った勝利に何の意味があるというのです!」


「お、おい、2人とも落ち着けよ」


 ブルーが興奮する2人を止めようと声を挙げるが、忘我した2人の耳には届かない。


「下衆だと………?

 80人もの仲間たちが殺されたんだぞ。

 お前は何とも思わないのか?

 オーク共を憎いとは感じないのか?」


「確かに彼らは悪、だから罰する………それだけのことです。

 私たちは誇り高き騎士団。

 振るうつるぎは王国のため、臣民のため、正義のため。

 それは怒りや憎しみを満たすために、振るっていいものではない」


 激昂するブラウンに対し、ヴァイスは瑠璃色の瞳をギラつかせ静かに答える。

 迷いの見えないその瞳に、ブラウンはどこか薄ら寒い、狂気じみたものを感じた。


「騎士、騎士、騎士、何を言ってもまた騎士道か。

 お前の信ずる騎士道とやらは、それ程に尊く守りたいものなのだろうな。

 だがな、それに俺たちを―――俺の仲間たちを巻き込むな」


「え………?」


 ブラウンの言葉に、ヴァイスの双眸が微かに揺れる。


「俺は、仲間を殺したオーク共が憎いし、愚かな自分が許せない。

 そして、これ以上仲間が犠牲になるのは耐えられない。

 生憎、俺は騎士である前に人間なんだ。

 そして、1人の人間に過ぎない俺は、お前の掲げる崇高な精神が理解出来ない」


「騎士道とは………誰よりも強く、正しく、決して間違ってはならない―――」


「間違わない………か。

 随分とご立派な信条を持っているようだな、小娘。

 誰も憎まず、自らを疑わず、己が抱く信念を盲目的に遵奉する。

 それがお前の言う、騎士道なのだろうな」


 ブラウンはヴァイスを掴みあげたまま肩を竦めると、悪意に満ちた瞳で、女騎士を見下ろして言葉を続ける。


「お前………狂っているのか?」


 ブラウンから投げかけられた問いに対し、ヴァイスの心に燃えるような憤りが浮かぶ。

 同時に、彼女は考えるよりも先に、ブラウンへ向けて罵倒を浴びせていた。


「黙れ、ブラウン・カスタード! 貴様のような下郎が、この私を嘲弄するというのか!?」


 その罵倒は、1人の騎士団員が己の団長に放つにはあまりに不行儀なものであった。

 しかし、ヴァイスは自らの口から漏れる罵りを止めることが出来ない。

 罵った姿勢のまま、その瑠璃色の瞳に、燃えるような蒼を滾らせて、己の団長を睨みつける。


 しかし、ブラウンはそんなヴァイスに対し、諦めたようにため息をつくと、無表情な声音で静かに言葉を放つ。


「もういい、お前とは分かり合えないようだ」


 ブラウンの顔からは、先ほどの興奮した様子が消え、ただひたすらに冷め切った瞳でヴァイスを見つめている。

 その瞳には、かって鼻欠へ―――自分たちとは異なる異物へ向けていたのと同じ、鉛のような冷たい光が浮いていた。


「なるほど、お前はその誇りとやらを守って、高潔に生きていくのだろう。

 仲間の死も、オークに蹂躙されたエルフたちの苦悶もどこ吹く風と得意げに、己の清廉さだけを守っていくのだろう」


 ヴァイスの放った暴言に憤慨するわけでもなく、ただ静かに、無表情に、ブラウンは女騎士へと言葉を投げかける。

 しかし、その言葉の端々からは、ヴァイスに対する拒絶がありありと感じられるものだった。


「………………」


 何故か、ヴァイスの背中から冷たい汗が噴き出してくる。

 自分を見つめるブラウンの眼差しからは、かって彼女が父から受けた眼差しと同じモノを感じたのだ。


「だったら勝手にするがいい、お前の自己満足に俺たちを巻き込むな。

 お前など、もう知らん。

 王都でその傲慢な高説でも垂れていればいい」


『もはや、お前を娘とは思わん。

 その児戯染みた信念を抱え、勝手に生きるがいい』


「―――くぅっ」


 吐き捨てるようにそう言い放ったところで、ブラウンはあることに気付く。

 ヴァイスが自分に胸倉を掴まれたまま、微かに体を震わせている。


「あ………」


 その瞳からはとめどなく、涙が流れていた。

 ヴァイスは流れる涙を拭うこともせず、それでも濡れた瑠璃色でブラウンを真っ直ぐに睨みつけている。


(こんな年端もいかない娘に、俺は何をやっているんだ?)


 ここにきて、ブラウンは熱くなった頭が急速に冷えていくのを感じていた。


 2周りも年の違う娘の胸倉を掴んで、ほぼ一方的に怒鳴り散らし、挙句の果てに泣かせてしまったのだ。

 大人げないどころの話では無い。


「おいヴァイス………その、泣くな」


「泣いてなどおりません、私は泣きません」


 新たな涙を零しながら、ヴァイスは震える声でそう答える。


「そこまでだ、馬鹿共」


 そんな2人の間にブルーは割って入ると、胸倉を掴んだままとなっているブラウンの手を引き剥がした。

 ブラウンの手から解放されたヴァイスは、そのままペタリと力無く地べたに座り込む。

 そんなヴァイスを見下ろしながら、ブルーが呆れた声を挙げる。


「まずヴァイス、お前は体を洗って来い、反吐と涙でぐちゃぐちゃじゃねーか」

「わ、私は泣いてなどっ………!」

「わかったから、さっさと行ってこい。お前、ゲロ臭くて敵わねぇーんだよ」

「む……むぅ」


 ブルーがヴァイスに対してぞんざいに手を振り、追い払う。

 ヴァイスはやや納得の行かない表情を浮かべつつも、その場を後にした。



「でっ………だ」


 ブルーはヴァイスが姿を消すと、今度はブラウンに対し咎めるような視線を向ける。


「まだ18にも満たない娘に、何やってんだよ団長」


「あ………あぁ、すまない。

 情けないところを見せてしまったな」


「全くだ。あんたは本当、器用そうに見えて不器用なのな」


「返す言葉も無い………」


 ブラウンが罰の悪い様子で顔を背けると、ブルーは頭を掻きながら問いかける。


「で、どーすんだよ? 本当にヴァイスを王都へ返すのか?

 チェスナットが死に、俺はこのザマ。現状で奴がいなくなるのは相当痛いぜ?」


「ああ、わかっている。

 感情に任せて、つい意地悪を言ってしまった」


「お茶目って話じゃ済まねぇぞ、おっさん」


 実の所、ブラウンにも痛いほどわかっているのだ。

 3幹部の内、1人が戦死、1人が戦闘不能。

 唯1人残ったヴァイスを失えば、その損失が計り知れないものになるということを。


 ブルーはやれやれと言った様子で肩を竦ませると、呆れた様子で言葉を続ける。


「俺がヴァイスの所に行ってくる。

 それまでアンタは頭でも冷やしてろ」


「すまないが、頼む。

 俺では、またあいつに酷いことを言ってしまいそうだ」


「まったく、怪我人を働かせやがって」


 ブルーはぶつくさと文句を言いながら、カツカツと杖を鳴らしヴァイスのテントへ向かって歩いていく。

 そんなブルーの背中を横目に、ブラウンは先程の問答を反芻していた。


 さきほど、ヴァイスに対して必要以上に辛辣な言葉を吐いてしまったが―――だからといって、ブラウンは自分の考えを変えるつもりは無い。

 ブラウンはオークたちを殲滅するためなら、どんな卑劣な手でも使うし、ヴァイスに咎められたからといって、それをやめるつもりもない。


 ブラウンとて騎士である。

 好んで冷酷な手段を用いるような男ではない。

 しかし、「比類なき勇気の騎士団」はどうしようもない困難に立たされているのが現状だ。

 それを踏破するためなら、どんな手段にでも訴える覚悟がブラウンには出来ていた。


 気がかりなのはヴァイスのことだ。

 彼女の騎士道への拘りは、最早妄執に近い。


(騎士たるもの常に強く、正しく、美しくあれってか。

 それは無理な話だ、ヴァイス。

 俺はそんなに強くなれない、格好良くはなれない)


 ブラウンは鼻欠の遺体に目を向ける。

 自分の手で凄惨に痛ぶり、そして何の成果も得られなかった誇り高いオークの残骸。


(ハナカケさんよ、悪いがアンタはもう少し利用させてもらう。

 精々あの世で俺を恨んでくれ)


 ブラウンはこれから自分が行おうとしている、非常に「格好悪い」計画を顧慮し、ため息を漏らすのだった。 






 ヴァイスはテントに戻ると、隅に設置した鏡へと向かう。

 鏡には、吐瀉物に塗れ、顔に涙の跡を残した自分の姿が映っていた。

 髪はバラバラに解け、服には砂ぼこりがついたままとなっている。


(なんて酷い顔をしているんだ、私は………)


 ヴァイスは衣服を脱ぎ捨てると、水で顔や体を洗い、替えの服へと着替える。

 そして、寝具の上に寝転がり、先の出来事に対して思いをはせた。


 目を背けたくなるような鼻欠の残骸。

 同時に自分を襲った、耐え難い嘔気。

 ブラウンに対する失望、怒り。

 自暴自棄のまま彼を罵った自分の言葉。

 そして、彼から返された冷たい視線―――


(団長が間違っているのか、それとも私が間違っているのか、わからない。

 私にはもう、何が正しいのかわからない)


 ヴァイスにだって、ブラウンの考え方は分かる。

 未だ、オークたちの集落どころか、規模さえ把握出来ていない現状。

 手段を選ぶ余裕など無いことはわかっている。

 それに団長は、自分のせいでチェスナットたちを死なせてしまったと、考えているのだろう。

 「比類なき勇気の騎士団」の団長は、あれで繊細な男だ。

 彼が激しい自責の念に苛まされていることは、想像に難くない。

 

 それでも


 鼻欠に対する仕打ち、抵抗出来ない相手に対する残酷な行為。

 ヴァイスはこれを許容することが出来なかった。

 

 明確な答えが欲しい。

 これでいいのだ、と誰かに言ってもらいたい。

 正しい道筋を自分に指し示して欲しい。


 幼い頃は、父がヴァイスの指標であった。

 父の言葉さえ信じていれば、彼女は迷うことがなかった。

 父は決して間違えない、常に正しく、自分のあるべき姿を照らしてくれたのだ。


 しかし、今のヴァイスに道を示してくれる者はいない。

 父親から見限られ、事実上捨てられてしまった彼女に、正義を説いてくれる者はいなくなってしまった。


「おい、ヴァイス。俺だ、入ってもいいか?」

「……………ブルー?」

「…………入るぞ」


 唐突に現れた来訪者に対し、ヴァイスは身構える。


 どうして、ブルーがこのテントに来たのだろう?

 私に反逆の意思有りと見なして、拘束しにでも来たのだろうか?


 そんな考えと共に、ヴァイスはテントの入り口が開かれ、中から杖をついたブルーが入ってくるのを凝視する。

 しかし、ブルーは気安い様子でヴァイスを一瞥すると、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「よう、泣き虫。あんがい元気そうじゃないか。

 1人、枕を濡らしているのかと思ったぜ」


「………何をしにきたのです、ブルー?」


 ブルーの一声にやや顔を紅潮させながらも、ヴァイスは詰問するように問う。


「そんな恐い顔すんな、ちょっと話をしにきただけだ。

 あんだけ団長とやりあったんだ、放っておく訳にもいかねぇだろ?」


「私を咎めにきたのですか? 私が間違っていると叱責しに来たのですか?」


 ヴァイスの問いに対し、ブルーは困ったように頭を掻いて、言葉を選ぶように言う。


「そうさな………。

 まあ、騎士道的にはお前、騎士団的には団長が正しいんだろう。

 どっちが正しいのかなんて、馬鹿な俺にゃわからねぇ」


「そんな言葉を聞きたいのではありません………」


「お?」


「私は明確な答えが欲しいのです。

 私が間違っているのなら、それでいい。

 こんな不明瞭な気持ちのままでいたくはないのです」


 そう訴えるヴァイスの顔には苦悶が浮かび、その瞳には再び涙が滲んでいる。


「明確な………答え、か」


 ブルーは真剣な表情で考え込むと、ドカリとその場に腰を下ろし「ちょっと、昔話でもしてみるか」と呟いた。


「むかしばなし?」


「ああ、お前には、俺が騎士になる前の話、あんまりしたことがなかったよな?

 ちょっと聞いてみてくれ」


 ブルーはそう嘯くと、不思議そうな顔をするヴァイスの顔を見つめ、朗々と自らの話を語り始めるのだった。 

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