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第20話 鼻欠

 ―――何も聞こえない。


 ヴァイスは騎士団拠点内の自分のテントの中で毛布を頭から被って耳を塞ぎ、必死で自分にそう言い聞かせていた。


 本日の早朝、騎士団本隊が拠点に帰還してから間もなく、騎士団全員を集めて、ブラウン自らが強襲作戦の失敗を報告した。 

 鼻欠の言葉は全て偽りであり、自分は先行していた工兵部隊を見捨てて撤退してきたのだと語るブラウンの顔は憔悴しきったものであった。


 幾許かして、ブラウンとブルー、また騎士団の主だった面々が鼻欠を軟禁しているテントを向かっていくのを、ヴァイスはその目に捉える。

 帰還時のブラウンの恐ろしい形相を思い出し、少し腰の引けるところはあったが、何事かと思い、ヴァイスもまた鼻欠のテントへと足を運んだのだった。


 そして、そこでヴァイスは「ソレ」を目にしてしまったのだ。


 手と足を木の台に縛り付けられ、大の字で寝かされている鼻欠。

 そして、真っ赤に焼けた鉄の棒を手に、鼻欠と相対するブラウンの姿。


「おい、言葉だけで済むのはこれで最後だ。

 お前らの集落の位置を教えろ」


「……………」


「そうかい」


 言葉を発しない鼻欠に対して、特に何の感傷も浮かべず、ブラウンが焼けた棒を鼻欠の足に押し付ける。

 途端に肉の焦げる嫌なにおいが辺りに立ち込めた。


「あ―――」


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 鼻欠は喉が裂けんばかりに大声を挙げ、必死で棒から体を反らそうとするが、縛り付けられた体を動かすことは出来ない。

 体を海老反らせるようにびくつかせ、ただ悲鳴を挙げ続ける。


 そんな鼻欠の体に、ブラウンはたっぷりと焼けた棒を押し付け続け、幾許か置いてからゆっくりと離す。


「あ……ああ……」


 棒から解放された鼻欠は微かな悲鳴の残骸を口にしながら、白目を向いてしまう。

 股間部分が濡れており、どうやら失禁してしまっているようだ。


「おい、失神しちまったぞ?」


 ブルーがそんな鼻欠を目に、ブラウンへつまらなそうに言う。


「一回目でこれかよ、根性の無いオークだな。

 おい、水をぶっかけろ―――お?」


「何を………しているのですか?」


 団員へ指示するため、後ろへ振り向いたブラウンの目に、ヴァイスの姿が映る。

 その顔は真っ青に青ざめ、困惑と疑念が浮いていた。

 そんなヴァイスに対し、ブラウンは事何気に答える。


「何って、見てわからないのか? 拷問だよ」

「そういうことを聞いているのではありません!」

 

 ヴァイスが激昂してそう怒鳴るが、ブラウンはやれやれといった様子でそれを流すと、


「悪いな、ちょっと席を外すぞ」


と嘯いて、ヴァイスと共に、テントを出て行った。



「―――それで、何だヴァイス?

 俺はいま、結構忙しいんだが………」


 鼻欠のテントの前、そこでブラウンは面倒臭そうにヴァイスへ問う。

 

「さきほどの、あれは何なのですか!?

 捕虜を痛ぶるなど、騎士道に反しています!」


「捕虜ってお前………あれはオークだぞ?

 奴らに人権なんてものは無い、わかるか?」


「わかりません! そんなものは詭弁です!」


 顔を紅潮させ、興奮したように訴えるヴァイスに対し、ブラウンは冷め切った目で冷たく言い放つ。


「だったら帰れ」 


「………え?」


「ヴァイス、お前に本任務からの離脱を許す、王都へ帰るがいい。

 オーク族の討伐。これは最早、手段を選んでいられるような状況では無くなった。

 お前のような甘ったれはいらん」


 ブラウンは無表情にそう言葉を続ける。

 彼の言葉に偽りの色は無く、本気でそう言っていることが伺えた。


「わ、私は………」


「どうする、帰るか? 帰るなら、それでいい。

 だが残ると言うなら、これ以上つまらん事をガタガタほざくな。

 …………迷惑だ」


 ブラウンは吐き捨てるようにそう言い放つと、踵を返し再び鼻欠のテントへと戻っていく。

 その背中からは、ヴァイスに対する拒絶が浮かんでいた。


 取り残されたヴァイスは呆然とした様子で、1人佇む。


「私は………私は、どうすればいい?」


 世界には、正義と悪があり

 自分は正義の側にいると、ヴァイスは今まで信じていた。


 だけど―――

 

 あの鼻欠を痛ぶることは、本当に正義に含まれるのだろうか?

 オーク族は悪、必罰を与えるべき邪悪な種族だ、それは間違いない。

 しかし、相手を拘束し、身の毛のよだつような責苦を与えることが正義なのか?


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 再び、ヴァイスの耳に鼻欠の悲痛な叫びが届く。

 拷問が、再開されたらしい。


「いやだ………」


 ヴァイスは思わず自分の耳を塞ぐと、子供のようにいやいやと首を振る。


「いやだ………いやだ、聞きたくない」


 そして、ヴァイスは耳を塞いだまま―――


 鼻欠の悲鳴から逃げるかのように、自分のテントへと駆け戻る。

 そして寝床にもぐりこむと、頭から毛布を被り目を閉じた。


「聞きたくない、聞きたくない………」


 なおも拠点内を響き渡る鼻欠の絶叫は、


 ヴァイスの耳を塞ぐ両手を貫き、彼女の心を苛ませるのだった。





「ふう、なかなかしぶといな………」


 ブラウンはやや疲れた様子で目の前のオーク―――鼻欠を見下ろす。


 鼻欠は凄惨な有様となっていた。

 その体には、火傷や切創、打撲痕などの傷跡が至る箇所に刻まれ、爪は全て剥がされ、歯は抜かれ、左目がくりぬかれている。

 それは、感情や衝動ではない。丁寧に、繊細に、死なないように計算されて刻まれた、冷静な悪意による暴行跡だった。

 

 時はすでに夕刻、かれこれ半日近く拷問を続けていたことになる。

 手を変え、品を変え、失神するたびに目を覚まさせ、あらゆる責め苦を与えたつもりであったが、鼻欠はついぞ、集落の位置について口を割らなかった。


「おいオーク、集落の位置を言え」


 ブラウンは、本日何度も繰り返した質問を再び鼻欠に向けるが、鼻欠の答えもまた変化のないものであった。


「………知らねぇ」


「そうかい」


 ブラウンはそんな鼻欠の小指を掴むと、ゆっくりと力を加えていく。


「ぐぅ………!」


 鼻欠からくぐもった呻き声が漏れる、絶叫を続けたせいで喉が潰れ、もう叫ぶことも出来ないのだ。


「集落の位置は?」


「……………」


 無言を拒否と判断し、ブラウンは鼻欠の小指をバキリとへし折る。 


「これで、両手全ての指が駄目になっちまったな。

 次は足の指、いっとくか?」


 沈黙する鼻欠に対し、ブラウンは無表情な声音で問うが、鼻欠は俯いて沈黙したまま、何も答えない。


(たいしたもんだぜ………実際よ)


 ブラウンの脳裏にちょっとした賞賛が浮かぶ。

 このオークを拷問にかければ、すぐに集落の位置を吐くと思っていた。

 オークたちは冷酷で、情に薄く、弱い固体はすぐに切り捨てられ、同じ群れでもその繋がりは泥のように脆い。

 それがブラウンの―――人間族のオークに対する認識であったのだ。

 しかし、この鼻欠と名乗るオークはどんな責苦を与えても、どんな絶望に陥れても、決して口を割ろうとはしなかった。

 ただ、ひたすらに………耐え続けたのだ。


(ハナカケ、お前さんとはこんな形で会いたくなかったよ)


 ブラウンがそんなことを考えた時、黙り込んでいた鼻欠がそっと口を開く。


「俺さ………」


「あ?」


 ブラウンはそんな鼻欠に対し、一度手を止め黙り込む。


「俺………蛮勇が取り得のオークの癖に、とんだ臆病者でさ。

 危険な狩りの時なんかは仲間の影に隠れて逃げ回ってばかり………いつもヘラヘラ笑って、そんな自分を誤魔化していた」


「………………」


「だけどさ、みんなが言うんだよ。

『お前は群れの仲間だ』ってさ、こんなどうしようもない俺を、何も出来ないこの俺を仲間として受け入れてくれるんだ。

 それが俺………うれしくってさ、ちょっとでも群れに貢献したい、仲間の助けになりたいって―――ずっと考えていた」


 鼻欠は残った右目でブラウンを見つめる。

 その隻眼には、憎悪や絶望といった感情は浮かんでおらず、どこまでも澄みきっていた。


「集落の場所は言えねえ………仲間は売れねぇよ」


「………そうかい」


 ブラウンもまた、鼻欠の隻眼を見つめる。

 ブラウンの琥珀色の瞳には、やや悲しげな色が浮かんでいる。

 それは初めて出会った時の鉛のようでは無く、1人の尊敬すべき戦士を見つめるそれと同じ瞳であった。


「言い残すことは?」


「ねぇよ。言いたいことは………もう言った」


「わかった」

 

 ブラウンは鼻欠に相対して立ち、剣を構える。


 ―――たぶん、どんな苦痛を与えたところで、このオークは―――この男は口を割らないであろう。

 あれはそういう目だ。

 誇り高い、戦士の目だ。

 ならば、これ以上の責苦は全て無駄なものである。

 

「オーク族の誇り高き戦士、ハナカケよ。

 俺の名は『比類なき勇気の騎士団』団長、ブラウン・カスタード。

 騎士として、お前の雄姿は忘れない」


 ブラウンは厳かにそう言い放つと、剣を中段に構え、鼻欠の心臓に正確な刺突をくわえる。


 心臓にずぶずぶと剣が刺し込まれる、燃えるような感覚。

 鼻欠は微かな安堵と共に、それを受け入れていた。

 目に映るのは、茶髪の騎士の顔。

 それは厳しく、そして何かに耐えているかのような悲しげな顔。


(アンタ、案外いい奴だったのな………)


 薄れる意識の中、鼻欠の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。

 そして、同時に群れの仲間たちと過ごした日々が、走馬灯のように浮かんでは消えていった。


(片目、ギザ耳、牙折、頬傷、顎割………白毛。俺はみんなの役に立てたかい?

 もしあの世であったら、今度こそ俺を讃える宴、やってもらうからな?)


 鼻欠の胸から滝のように血が噴出す。

 鼻欠はそんな血潮の中、微かに悪戯っぽい笑みを浮かべながら―――


 わずか7年間のその生涯を、静かに終えていくのだった。




                ◇



『ヴァイス………よいか?

 我らゴルトー家は勇者の一族、常に強く、正しくあらなければならない』


『はい、ちちうえ!』


 ヴァイスは胸を張って、父の言葉に答える。

 まだ6歳にも満たなかった幼いヴァイスにも、自分の家系が特殊であり、そしてそれが誇り高いものである、ということが理解出来ていた。


『やくそくします! ヴァイスはごせんぞさまの名にはじないよう、りっぱな騎士になってみせます!』 


 ヴァイスが自分の胸にどんっと拳を当てそう言うと、父は彼女の頭を撫でながら優しい微笑みを浮かべる。


『ふむ、それでこそゴルトー家の―――いや、私の娘だ。

 私の叶えられなかった願い、お前ならきっと叶えられる』


『おまかせください!』


 幼かった頃のヴァイスにとって、父は文字通り英雄であった。

 父は、誰よりも強く、正しく、決して間違わない。

 母はヴァイスが稚児の時すでにこの世を去っていたが、彼女はそれを寂しいと感じたことは無い。

 父が、父さえいれば、彼女は幸せだった。

 勇者と呼ばれた先祖より、ヴァイスは父のような立派な騎士になりたいと、そう願っていたのだ。


 それからヴァイスの記憶はやや混濁する。



『何故ですか父上!? どうしてあのような事を………』


 気がつけば、それはヴァイスが14歳のころ―――

 騎士として、彼女がその一歩を踏み出そうとしていた頃の記憶へと変わっていた。


 ヴァイスは問い詰めるように、父に向かって立ちはだかる。

 父は煩わしそうに、そんなヴァイスを見つめると、言葉を告げた。


『我らは勇者の一族。衆目の前で恥を晒す訳にはいかないだろう?』


 年に一度開催される、騎士同士の模擬試合。

 模擬試合と言っても、それは今後の出世に関わる、騎士にとってある意味人生をかけた大会である。

 それにヴァイスは14歳の若さで優勝した。

 もっとも、それは実力によるものではなく、王都でもっとも強大と言われる「ゴルトー家」の権威によって仕組まれた大会であった。

 それは始まる前からヴァイスが優勝すると決まっていた、見せ掛けだけの八百長試合であったのだ。

 そのことを知ったヴァイスは、首謀者である父に対し、申し開きをしたのである。


『しかし―――しかし、それでは………あまりに卑怯では無いですか!!』


『黙れ』


『―――!』


『そもそも、全てはお前の非力さが招いた企みであるのだ。

 感謝されこそすれ、不服を言われる筋合いは無い。

 全く―――』


 そこまで言って、父は蔑むような目でヴァイスを見下ろす。


『ゴルトー家の者でありながら………何故、お前は女などに産まれてきたのだ?』  


               ◇


「―――はっ」


 ヴァイスは思わず毛布を放り出して、目を覚ます。

 陽はすでに沈み、辺りを夜の帳が包み始めている。


 夢を、見ていたらしい。


 どうやら、あれから自分は眠り込んでしまっていたようだ。


(任務の只中において眠り込んでしまうとは………何という愚か者なのだ、私は)


 ヴァイスは胸中に不覚の念を抱きながらも、辺りが静まりかえっているという事実に気付く。

 昼間、彼女の心を苛み続けていた鼻欠の叫び声は、もう聞こえない。


「…………っ」


 ヴァイスは嫌な予感を感じ、再び鼻欠のテントへ向かう決意をした。



「で、どうするつもりだ? これ?」

「結局、集落の位置は聞き出せなかったが、まだ使いようはある。

 せいぜい、最後まで利用させてもらうことにするさ」


 そんな会話をブラウンとブルーが交わしている。

 2人の視線の先には、一匹のオークの死骸が置かれていた。


「団長、ブルー………」


 そんな2人へと、呆けた様子のヴァイスが声かける。


「あ………お前か―――」

「何をしにきた? ヴァイス」


 罰の悪そうなブルーの言葉を遮って、立ちはだかるようにブラウンがヴァイスへ詰問する。

 しかし、ヴァイスの視線はそんな彼らの背後に注がれていた。

 2人の傍らに転がる、彼女の知っているオークの死骸。

 それは、鼻欠の―――鼻欠だった物の残骸だった。


 その姿は正に凄惨そのもの。

 全身の至る部分に惨たらしい傷が残されている。

 傷は多種多様に渡り、その創意工夫の凝らした損傷が彼の受けた拷問の過酷さを物語っていた。

 

 ―――これは、人のすることではない。

 人間は、こんな惨いことをしてはならない。

 悪魔だ。

 こんなものは、悪魔の所業だ。


「うっ………」


 思わず、ヴァイスは自らの口に手を当てる。

 腹の中がぐるぐると躍動している。

 喉がひりひりと焼けるように痛い。

 頭の中が真っ白になっていく。


「ぐうううぅぅ」


 そして、彼女はその場にひざまづくと、小刻みに痙攣し―――


 そのまま、激しく嘔吐した。


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