表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/6

Bright Light

 

 びょう、と唸りを上げてサインボードが鼻面をかすめていった。


 のけ反って躱した直後、イズマのそれが旋回して運動エネルギーを高め、軌道を変えて落ちてくる。

 痛烈な足払い。

 ボクは必死に、そして即座に横転してそれを躱す。


 キツイぞ、こいつは。


 甘くみていたわけじゃない。

 舞台上の稽古であるからには、事前にアリバイとしてのウォームアップが欠かせない。

 そんな理由で、ボクらは小一時間かけ、アップを行った。


 開店の準備を進める店のコたちが、仕事が手につかない様子でそれを見ていたのを憶えてる。

 イズマは着崩したスーツの上着だけ脱ぎ、ワイシャツにベスト、革靴のパンツルックでヤるつもりらしかった。

 ハンディキャップでもつけているつもりなのか、とボクはいぶかったが、たぶんそれは違う。

 こういう服装でも、十二分以上の戦闘能力を発揮できるよう訓練された、そういう職業なんだ。

 ジャケットをガルニエさんに預けるとき、左脇からホルスターを外すのが見えた。

 

 護身用のスタンガン――なんてちゃちなもんじゃない。大口径ハンドガンと予備マガジン。それから、小さいけれど殺傷目的としか思えない形状のナイフ。 

 

 そのときになって、ボクは背筋に冷たい戦慄が走るのを感じた。

 このヒト、裏社会の人間じゃない。

 裏側を装っているだけの――表側の明らかな暴力を生業とする――つまり、軍人なんだって。

 PMSC――民営化された戦争代理人たち。

 時代が望んだ新しくも古めかしい職業の男たち。

 

「どうしたい、坊や。やめるならいまのうちだよー?」

 ワイシャツの袖から豪奢なカフスボタンを外しながら、イズマが言った。

 手近なテーブルをバーに見立てて身体を伸ばす。


 恐ろしく柔らかい。

 シオンと、もしかしたら張りあえるくらい。


 ボクは知っている。

 スーツや制服のままサインスピニングの挑むのがどんなに困難か、を。

 ボクもル・クロ・デ・フェのスピナーでいるときは、そこの給仕スタイルで踊るからだ。


 ワイシャツ、黒のタイトなスラックス、それから腰巻きのエプロン。

 だから、そのウォームアップを見ただけでわかる。

 このヒトは戦争の職業代理人であるだけじゃない。

 プロだ。サインスピニングのプロフェッショナル。

 

「サインスピニング――経験があるんですか」

 ボクは、聞いた。

「んー、むかしむかし、熱を上げてたことがあってさ。まあ、いまでも戦技訓練に取り入れたり――いっけね、こいつはダメな話題だったか」

 キミィ、なかなかに尋問のプロだねえ。

 そう言って浮かべたペラペラの笑顔の裏側に、経験に裏打ちされた確かな自信がうかがえた。


「ストリートネーム(通り名)。もしよかったら」

「聞きたいの?」

「はい」

 どうしてだろう。

 シオンにぶちかまされたあと、ボクは、変わってしまっている。

 こんなに他者が、いや、サインスピニングに関わることが、無視できなくなってしまっている。

「そうだなあ、いろいろ名前を変えたからねー。あー、いちばん長く使ってたのは『ラダメ』だったかな?」

「!」


 ラダメ、サクラコ、シルヴィス、ライカ――フィフス・クローバーに君臨した伝説の四人の王。

 そのひとりだと、いうのか。

 

「あなたは――それじゃあ」

「あー、だれのこと言ってんの? ラダメ? フィフス・クローバーの四人の王? 

 バッカバカしい。そんなのはまわりが騒いで出来上がったヨタ話だよ。

 ボクちんたちは若い頃、仕事がないから看板持ってただけ。

 さらにそれが退屈でしょうがないから、廻してただけ。

 クソみたいな人生を、ちょっとでも楽しもうとしただけのことさ」

 過ぎていった連中を尊敬するのはいい。

 でも崇めすぎんのは、百害あって一利なし、だぜ? イズマが言った。


「まあ、ただ、その意味では忠告しといてやるよ、若造。オマエがいまから相対するのは、そういうカビの生えた噂話の残滓だってつっても――たしかにそのとき、ストリートの伝説だったってことは」

 ストレッチを終え、上体を起こす一瞬、ふたりしか聞き取れない間合いで、イズマはそう言った。

 

 そして、ボクらは、いま、たった三メートル四方しかない戦場で互いの技と意地をぶつけ合っている。


「へえっ、ボクちんのコンビネーション躱すかー。《ダブルムーン・コンフェクション》――糖菓:双月――とでも訳せばいいのかなあ、ロスト・ランゲージであるところの日本語に倣えば。急激な旋回と上下への揺さぶりが一体となった華麗でスイートな技だろう?」

 どこがだ、とボクは思う。


 たしかに見ている分にはそうかもしれない。


 イズマの手足はとても長い。

 だから、そこから生み出されるスピンはストロークが長く、観るものに雄大な印象を残す。

 大きく溜めが作れるからだ。生まれる軌跡の美しさは半端じゃない。


 だが、バトルの相手として正対したとき、その印象は一変する。


 間合いが、掴めない。

 緩急のある長い手足から繰り出される重たいサインボードが、まるで嵐のように襲いかかってくる。

 腕力でムリに軌道を変えているんじゃない。

 流れに肉体を沿わすことで、いや、己が流れそのものになることでイズマは重いボードを自在に操っているんだ。


 取り扱いに馴れるため行った試技で、頭ではわかっていたつもりでも、実践では違う。


 さっきのコンビネーションも、実は躱しきれてない。

 わずかに軌道に被った右足がダメージを受けていた。

 たぶん、服の下は打撲と摩擦で、内出血し、いい感じに皮が擦りむけているはずだ。

 だけど、立ち止まっているヒマはない。


 痛みを知覚の外に置け!

 ボクは自身に命じ、反撃を試みる。

 

「《ラス・オブ・サンダードレイクズ》ッ!」

「おっほっ」

「《ブレイズ・ウィール》ッ!!」

「うわっぷうわっぷ!」


 楕円形のサインボードをもっとも長く使う突き込みから、手首の返しと重心移動を組み合わせた広範囲の斬撃――そして、一瞬でボードの重心位置に滑り込み、ミキサーのように回転させる。


 広告戦略アドバタイジングとしてのこのふたつの技は、まず《ラス・オブ・サンダードレイクズ》で店名とアドレスに注目を集め、それを一瞬の斬撃で隠してしまい、そこから《ブレイズ・ウィール》の素早い回転で注意と興味を引き出し、釣り込んでおいて、最後にもう一度、店名を明示することで集客力を高めるものだ。


 実際の格闘技と、バトルスピニングの違いは、連続性のなかに絡められた“魅せ技”としての意図的な“間”にあるだろう。

 

 これは、暴力を行使しあう戦闘としての側面と、相手に己の技量と気迫を見せつけ圧倒するという芸術性の――類い稀なる融合を果たした競技なのだ、とボクは戦いながら理解に及んでいた。


 それとも――極められた闘争は、こんなにも美しいものなのだろうか。


 ボクたちは技を駆使しあう。互いが無傷ではいられない。

 打撲、裂傷、擦り傷。

 玉のような汗が、とめどなく吹き出し、流れ、飛散してライトに輝く。

 酷使された肺が、酸素を求めてあえぐ、軋む。

 全身の筋肉が、いつ果てるともわからぬ全開戦闘に酸欠を起こす。

 消耗に供給が間にあわない。

 いつ、痙攣けいれんが来て、立てなくなるか、続けられなくなるか、わからない。

 

 ボクたちは、まるで鎖で繋がれたまま、己の生命と意地とプライドを賭け戦う古代の戦士たちのようだ。

 矢尽き、刃折れ、それでもなお、己に残された最後の武器、盾と《意志》とで戦士たちは戦う。


 そして、中世に生きた騎士たちの家紋は、この盾に描かれたものが始まりだとする説がある。

 戦場で戦う騎士たちは、己の身分証明をそこに刻んだ。

 サイン。

 奇しくも、ボクたちの振るうボードにも同じものが刻まれている。

 

 ああ――ボクは戦いながら、舞いながら、傷つけ、傷つけられながら、さらなる理解に及んでいる。

 

 シオンの言葉の意味。

 

 わたし自身を消し去ってやる、そして、わたしは、サインそのものとなる――ノーバディ、だれも、無視できないものに。

 存在証明そのものに。


 いまならわかる。

 サインスピニングは、ただの競技じゃない。

 ただの、退屈しのぎの遊戯じゃない。

 いや、仮に、きっかけがそうであったとしても、スピナーたちの気づかぬ無意識の領域で、それはずっと囁いていたのだ。

 

 ここだ、ここに、いるぞって。

 証明しろ、己の実在を――無視を決め込もうとする世界に、って。

 

「ちぇーい、しゃらくせえめんどくせええええ――、キミィ、ほんとに一度見たら、憶えちまうのな。天才なんて、ビッグマウスだと思ってたよ。この短時間で、次々と技を見切られる。半端ねえ面倒くささだ。決まらねえじゃん」

 背筋を伸ばし、ボードを脇に抱えた状態で、油断なく位置取りを変えながら、イズマが言った。


 いったい何分、ボクらは戦ってる?

 五分? 十分? やってみたらわかると思うけど、ほんとのリアルファイト、タイマンのセメントは、長くは続けられないものなんだ。

 三メートル角のリングには、逃げ場なんてない。

 息つくヒマさえ、ない。


 だから、ボクはイズマの姿勢に彼の意地を感じた。

 敬意も。


 荒い呼吸。彼だって恐ろしく疲弊している。喋るのだってつらいはずだ。

 だが、それを相手に見せるのは屈辱だ。

 それは意地だ。スピナーとしての。

 その証拠に、ボードでの攻撃は苛烈なのに、肉体的接触は一切ない。

 ぜったいに相手に触れないまま、勝つ。


 その気迫が、プライドが、互いの鼻先、数センチで回避しあう状況で、ひしひしと伝わってくる。

 そして、同じく、ボクにも意地がある。

 

「おまけにそんだけ見えてるくせに、ボクちんの技ァ、ひっとつもコピーしてきやがらねえ。可愛くないねえ」

「ボクは、あなたから与えられた技で勝つ気はない」

「ついこないだまで空っぽだったヤツが、生意気言ってんじゃねえぞ。オメエのなかに、どれだけのオリジナルがあるってんだ」

「ボクは、これまで与えられ生きてきた。己の生まれの幸福、才能の、その意味をよく考えもせず生きてきた――《意志》を不在にしたまま」


 その陽の当たる場所から立ち去ることが、特権を投げ出して逃げることが、せめてもの償いだと考えてきた。


「だけど、もう逃避行は終わりだ。終わりにする。ボクは、ここから始める。創出する。それを証明サインスピニングする」

「うっぜえーぞ、若造ッ!! できるもんならやってみやがれッ!!」

 トサカに来たぜッ、とイズマは言った。

 ガキだと思って、もう容赦しねえ、と叫んだ。


「学ぶまもなく、そのいい感じにヌルまったノーミソ、吹き飛ばしてやンよ!! よっく目に焼きつけろッ!! 次に目が覚めるときは病院のベッドだッ!!」


 イズマがついに、彼の真情を吠えた。

 そして、スポットライトを浴びながら、超高速で回転するサインボードが消えたようにしか、ボクには見えなかった。

 描かれていた蝶の群れが、そこから飛び立って――。

 

「いいか、ボーヤ、こいつが伝説だ――《ムーンシャイン・フェイヴァー》」

 

 その囁きを、ボクは最後まで聞き取れなかった。

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ