フーリッシュ・ハート
それでまー、出てこないと断言されたら、出てくるのがボクちんなんですけどね。
こんにちは、イズマです。PMSC(民間軍事会社):ヘビースモーキング・オーケストラ(H・S・O)の諜報部門で大尉を務めてますヨー。繁華街のオネーさん関係を取り仕切る係が隠れ蓑。
最近の繁華街仕切っているのは、なにもシンジケート関連のやつらばかりじゃないのよん、じつわ。
ま、それはそれとして、やれやれ、困った話ですよ。
恩義ある大佐の娘さん、無断外泊のうえに高級マンションから泣きながら出てくるし。
だれよ、うちらの姫さん泣かしてくれちゃってんのは。
あと、そういう無軌道な若者を陰ながら見守る大人の睡眠時間やプライベートにも、気を使おうね?
スキューバーダイビングをレクチャするよ? 近場で? アクアラングもゴーグルもシュノーケルもフィンもなし。
とりあえず、最近の速乾性コンクリートの講義だけはしてあげるけれども。
「姫ぇー、偶然ーッ」
まあ、そんな感じでさり気に車の窓から声をかけるわけです。
それでまあ、ウザキャラで売ってるイズマさんですから、こういうときは姫は大抵無視を決め込んでくるわけですけれども、それでも、見守ってますよアピールはできるわけで。
とか思ってたら、オイオイ、ずんずんずんずん、と近づいて来ましたよ?
「おわぷ」
そしていきなり助手席開けるなりボードを突っ込むか?
「姫、イタイイタイ、ムリムリムリムリ、その入れ方にはムリがある」
そんな感じでわかってもらって、ボードは後部座席に移動移動。
「どしたんですー、この高級マンション街でこんなに朝早く」
言外にガルニエ大佐が心配されてましたよー、と匂わせる。これ、大人のテクね?
返答なし。
話題変えます変えます。
「お、そのジャンパー新作? ヴィンテージ感、カッコイーッ、ボクちん女の子が男物の革ジャン着てるの、イイナーって思うんスヨ。裾からのぞく御身足がセクシーに見えるから」
とか言った瞬間に鉄拳、号泣のコンボキタ! あぶないあぶない、やばいやばいって、ちょっと姫、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、死ぬる死ぬる!! 対向車線対向車線!!! ポリスメーンッ!!!
はいー、中央分離帯乗り上げ、エアバッグで顔面強打マン。
危険走行で切符切られたー。
賄賂発生で免停は免れたけど、賄賂自腹切。
「それで、なにがあったんスか」
泣きじゃくる姫をなだめすかして、聞いた聞いた、お話聞きましたとも。
長い。あと途中で美味しそうなご飯の話に脱線して、しあわせ顔から急転直下でまた泣くから、もう、長いっ。
でもね、男子諸君、経験者的に言うとここで「話が長え」とか、ぽろっとでも言っちゃダメ。
受け止めるのが、度量なんです。
まあ、要約すると「両想いだと思ってたのに、彼氏は遊びだった」みたいなお話らしいです。
んー、湧いてきた湧いてきたぞー。
殺意が。
イズマ、やっちゃうぞー?
「いかん、それだけは、いかん」
えー、姫が真顔で必死に止めるんですが、それが余計に殺意を研ぎ澄ますなー。
なんだー、どれだけ愛されてるんだっつーの、そのアシュレとかいう坊ちゃんは。
と、ムカムカしたのが六日前のこと。
「ちょっと来てくれない、お願いよイズマ」と大佐殿から切羽詰まった感じのコールがあったのがついさっき。
開店前のお店にやってくるお客さんてえのは、だいたい、どうしようもない奴らなんだよなー。
しかし、大佐殿の手におえないっつーのは、大概だぜ?
これ、ガトリング砲とか持ってったほうがいいんじゃないのボクちん。
と、そわっそわっしながらお店を覗くと、女のコたちが黒山のヒトだかりで、小僧ひとりを取り囲んでいる。
「シオンに、会わせてください。どうしても直接、伝えなくちゃならないことがあるんです」
ピンときたね、こりゃ例のお坊ちゃんだ。
アシュレダウ・バラージェ。
はーん、上流階級の皆さまは、たいてい渡ることすらはばかられるフィフス・クローバーを越えて、こっちまで渡ってきたわけか。それもこのバカでかい繁華街:グランドスラムのド真ん中、ニュイ・ガルニエに単身殴り込んできた。
ちったあ骨があるじゃないか。
それに、もっと甘っちょろい男かと思っていたけど、かなり真剣に思い詰めてるみたい。
頬がこけ、目の下には隈、だけど眼光だけは鋭くなって、いっぱしに男の顔してやがる。
一方、相対する大佐殿は娘のことで、平常心を失っちまってるご様子。
会わせろ、会わせないの押し問答に、まわりの女のコたちも固まっちまってる。
「どうも、姐さん、この場はボクちんが預かりましょう」
ほ、とガルニエ姐さんが溜息をついたのが聞こえた。選手交替だ。
「よ、どもども、若人。まずは自己紹介、ボクちん、イズマガルム・ヒドゥンヒ。このあたりの皆さんはイズマって呼ぶよ。アンタも倣ってくれていい」
これでヒステリックに噛みついてくるような相手なら、話は早い。暴力の出番だ。
だけど坊ちゃんの反応は違った。
「アシュレダウ・バラージェ。アシュレと」
真っ向から、ボクちんの視線を受け止めやがった。
あら、コイツ、マジだわ。すくなくとも、遊びで姫にちょっかいかけたわけじゃないんだわ。
「うん、アシュレくん、お話はだいたいうかがってる。でもね、シオンさんは、いまちょっと体調を崩してるんだよー。後日、都合の良い日を、こちらから選んでご連絡、ってーのでどうだろうかね? 携帯端末のアドレス、教えてもらっといたら、こっちから連絡するよ?」
「失礼ですが、そういう迂遠なやりとりでは、伝達できない種類のものなんです」
遠回しな拒絶は効かないかー。
「なるほど、真剣なんだ」
「真剣です」
それじゃあ、ボクちんも切り札を使わざるをえないなー。
「キミは、なにごとにも真剣にならないことで、実力を発揮するタイプだと思ってたんだけどナー」
ボクちんの指摘に、さすがのお坊ちゃんも顔色が変わった。
「どうして、それをアナタが?」
「まー、そう熱くなりなりなさんなって。ちょっと一杯、貰おうよ。この店ね、意外と食べ物も美味いの。なんかつまんじゃう? ピザとか、クラブサンドとか、フライドチキンなんかもいいね」
「いえ、けっこうです」
「んじゃ、ビールだけにしようか。ブリュードッグ・パラドックス:ヘヴンヒル、二杯、オナシャス!」
スコットランドの小規模ブルワリーを銘柄指定してくるところで、勘のいい坊ちゃんなら、気がつくだろう。調べたよ。キミの経歴には、故郷にはもう、手が回っているよ、ってこと。
こちとら、その部門のプロだからね?
そしたら、アシュレ君は、気がついた――利発なコだよ、このコは。
そのことを顔に出さなきゃ満点だった。
出てきた瓶ビールで乾杯しようとしたけど、あらら、無視されたよ。ま、当然かな。
アシュレ君、ぐいっとあおる。向こう見ずだけど、度胸がある。このタイプはモテるんだ。女の子にも男にも。
ふつうは、ボクちんが飲むのを見てからだからね。
乾杯をかわされて所在なく瓶をさまよわせてるのもバカみたいなんで、ボクちんもいただきます、はい。
「ボクの過去……いいえ、過去のボクを調べたいならいくらでも調べるといい。でも、なんにもでてきませんよ」
――空っぽだったから。
そうはっきりと告げるアシュレ君を、正直、笑うべきかどうか、迷った。
彼の自己分析は、まるきり正しい。
イギリス時代のアシュレ君は品行方正にして、スポーツ万能、学歴優秀、前科どころか警察署や消防署からなんども表彰されるような超優良物件。
家柄も言うことなし。
どこにも非の打ち所のない、お坊ちゃんだった。
まあ、不思議なことと言えば、ある時期からスポーツでの受賞歴から一位が、なくなったことだ。
二位とか三位、表彰台に上らないていどの入賞ならごろごろあるんだけどね。あ。
あと、エースの代行、助っ人みたいなことをしなくなったみたい。
勝てなかったんじゃない。
あえて、負けたんだ、ってボクちんは睨んだね。
本気じゃない人間が、表彰台に、本気で戦い続けてきた連中を押しのけて、立つこと。
そのあと、すぐにべつの競技の助っ人になって、姿を消すこと。
その傲慢さ、酷さに、彼は気がついたんだ。
甘いね。
オマエがそうやって勝ちを譲ることが、もう冒涜だっての。
そんなこと、考えてたら、目の端、店の二階席の隅っこ、手すりの支柱の間から、様子を窺う姫を見つけてしまいました。
幽閉された姫君が、助けに現れた騎士さまを見守るみたいなその目線。
なに? なんなのこの展開?
アシュレ君の背後だから、そりゃ彼はわからんでしょうけれど――こっちからはまるっとお見通しデスヨ?
あーやだやだ。イズマ、意地悪したくなっちゃった。
「じゃさ、そのあらゆることに本気になれなかった男が――どうしたのさ。なにマジになっちゃってんの?」
ぺらり、と笑い飛ばしてやった。思いっきり、侮蔑を込めて。
「アナタとではお話にならない」
それがはっきり伝わったんだろう。向こうもバッサリ斬ってきた。席を立って、店の奥へ入っていこうとする。
悪くない流れだ。ボクちん的に。
「待ちなよ、ボウヤ。それ以上はいけないよ。いや、やめとけって言っているんじゃない。物理的にそれ以上、キミが進むのはムリだって、ボクちんは警告しているんだぜ?」
肩を叩いたボクちんの手を、アシュレ君が掴んだ。
「ボクは行く。シオンに会う。本気だ」
「だから、体調が悪いって言ってんでしょ」
「なら、それを確かめる」
「キミね、それ威力業務妨害。さらには、ここに本気で行かせたくないヤツもいるって話よ?」
憤った彼が振り向いた瞬間、ボクちんは足を払う。同時に掴んだ肩を引く。
相手のバランスを崩して地に這わせる体術だ、ったんだが、アシュレ君は完璧なタイミングで入ったそれを回転技でしのぎやがった。
やるな、スピナー。
正対して一気に間合いが詰まる。
やれやれ、結局こうなるなら端からやっときゃよかったぜ?
セメントのタイマンかい? ボウヤ、生半可な格闘技の経験があるのは、よくないこともあるんだぜ?
たとえば、暗器の存在なんか、キミ、しらないだろ?
「おやめッ!!」
と、不穏な空気になったところで、水がはいりました。
鶴の一声。
ガルニエ姐さん、そりゃないよ。ボクちんのこの胸のトンガリは、どうしたらいいのさ。
「ウチで刃傷沙汰はダメだよ。もちろん、殴り合いも許さない」
はー、鬼教官と言われたアナタの、どこからそんな繊細なお言葉がでるのか、ボクちん知りたいんですが。
「だけど、この坊やは、言っても聞きませんよ、きっと」
それを何とかしろって、呼ばれたのに。
そうすると、姐さん、くいっと顎をしゃくった。
舞台に上がれ?
あー、そういうことね。
「だってさ、坊や」
「どういう……ことです?」
「キミの本気を見せてみろ、って姐さんは言うのさ。このあたりじゃ、どこの馬の骨なのかわからないなんて、あたりまえすぎるから、そいつの本気を見ようと思ったら試すしかないって話さ。ボクちんは暴力で試してやろうと思ったんだけど、そりゃどうも姐さんのご宗旨には合わないらしい。だから、さ」
舞台に上がれって言っているのさ。
「暴力じゃなくて舞台で試すならOKって話さ」
睨みつけてくるアシュレくんに、ボクちんもガンを飛ばしながら笑って言った。
「上りなよ、舞台に。稽古つけてあげるからさ。サインスピニング――本気なんだろ、ボーイ、見せてみろや」
そんくらいかまやしないでしょ、姐さん? ボクは大佐を見る。大佐は頷く。
「キミの本気が伝わったなら、姫に会わせてやんよ」
「約束だな」
「イエースイエスイエスイエス、イッエース。そんかし、キミが負けたら諦めるんだぜ?」
「ルールは?」
「そのまえに、これにサインしてくれる?」
店の女の子たちが持ってきてくれた紙の念書をボクちんは突きつける。
そこに書かれていることを要約すれば「舞台上で行われるいかなる訓練・稽古中の不慮の事故による負傷に関しても、あらゆる裁判、訴訟を起こさない」という同意書・誓約書だ。
紙なんて、二十一世紀も後半になって、と思うだろ?
ところが、《ブルーム・タイド》が電子情報をキレイさっぱり消し去ることがわかってから、契約関係は紙面に残さなければ成立しないことになったの。
面白いもんだろ? 世界って。
まっすぐ進んでいるわけじゃ、ねえのさ。
人生と同じ。
で、話、戻る。
「あ、別に今から行うことへの参加を強制するもんじゃないから、サインした後で、逃げ出すのは自由だよ?」
んー、ちゃんと噛み砕いて説明したげるボクちんって紳士ー。カコイーッ。
そんでまあ、こんだけ挑発されたら書くわな、名前。
英国紳士的には。
彼がペンを受け取り、名前を書き込んでる間にボクちんは首を巡らす。
姫が上で顔面蒼白になって、こっち見てるんデスケドー。
これって、絶対、ボクちんを案じてるわけじゃない気がするー。
なんでだろー。イズマ、わかっちゃうの、いやだなー。
と思っていたら、アシュレ君が書き終えた。
やってらんないけど、とりあえず、挑発はやめないよ?
「グーッド、グッボーイグッボーイ。じゃあ説明しよっか? ルールは……そうさな、スクエアでいこうか」
「スクエア?」
「サインスピニングの歴史のなかで、幾度も繰り返されたスピナー同士の場所争い(なにしろ、サインスピニングは店の広告なんで、どこで踊るかがスゲー大事だった)は、時として流血沙汰に及ぶことがあった。
ところがそれじゃあ、せっかくの使い手同士がケガ&ヘタすると傷害罪でビッグハウス(刑務所)送りになっちまう。
そんで生まれたのが、いまからやるスクエアをはじめとする『競技としてのバトルスピニング』ってわけさ」
まあ、つまり仲間同士のお遊びしてたら、不慮の事故でケガしました、っつーのは問題にならんでしょ? ってわけ。
「スクエア。バトル……スピニング」
「スリーバイスリー(3m×3m)のエリア内で、ふたりが同時にボードを廻しはじめる。
相手に直接触れるのはダメ。
ボードがコントロールアウトした状態でスクエアの外に落ちるか(コントロール中は可)、頭髪を除くスピナーの肉体がスクエア外の地面に触れる(オンラインはセーフ)、それから、どっちかのスピナーが競技を続行不可能になったら、あるいはそうと認めたら、そこでバトル終了。カンタンだろ?」
「サインボードでの接触は、ルール違反じゃない?」
「そそ、そこがキモ。相手の体やボードに、自分の振り回すそれがヒットするのは、不可抗力だ。ボードが弾き飛ばされることはよくある」
すう、とアシュレ君の目が細くなった。
へえ、このルールのほんとうに意味することに、気づいたんだ。
しれっと、気づかぬフリして説明、続けますね?
「で、これが使うボード」
周囲をぐるり、樹脂製のパイプで強化されたそれを持ったアシュレ君、確信したね?
「ケガしないように周囲にはバンパーがつけてある」
嘘だって。
バンパーがついてようがなんだろうが、スピナーの身体能力で通常の三倍近い重さ=総重量二キロ超のボードが振り抜かれたら、そして、それが生身にヒットしたなら、どうなるか。
彼は理解したはずだ。
重度の打撲、あるいは骨折、当たり所と運が悪けりゃ――。
ずしり、と持ち重りのするボードを手にしたとき、アシュレ君の顔に浮かんだものを、ボクちんは空虚だ、と読み取った。
あるいは、こう言い換えてもいいかな?
賢い計算だって。
そうだろ、アシュレダウ、キミは本気になんかなれない、いや、ならない男なんだ。
空虚はキミの性、いや、キミ自身なんだよ。
キミはいまもどこかで思ってるはずだ。
感じているはずだ。
空虚を。
ほら、ばかばかしいだろ? こんなこと、一過性の流行り病みたいなもんさ。はしかみたいなもんさ。
そんなので意地張って、痛い思いして、ケガして、カッコ悪いし、なんにも得なんてないさ。
いままで通り「無難領域」で、本気にならなくても勝てちゃうヒーローを演ってなよ。
それがいい。
キミには、こんな場所に関わらなくたって、なんだってあるじゃないか。
裕福な家、理解ある両親、ちやほやしてくれる仲間に――黙ってても言い寄ってくる女のコたち。
前途は洋々で、どこにも不備不足なんかない。
そして、それはほとんどの人間が望んで夢想するけれど、手に入れられない、かけがえのないものなんだぜ?
それと引き換えに、こんなことやったって、キミが手に入れられるものなんて……いったいなんだ?
姫はたしかに美しいけれど、籠の鳥だ。
ここからは出られない。
行くことのできないコなんだよ?
その血を全世界から危険視される――幼生の國の末裔――純血の日本人。
わかるだろ?
とても割に合わない取引きなんだ。
わかってくれた、と思ったよ。
違った。
目を伏せ、深呼吸してまぶたを開いたとき、そこにはもう――空っぽの男はいなかった。
「ルールは、それだけ?」
「それは――説明されたことは理解した、ってことだと見なすぜ?」
「説明されてないことも――理解したよ」
「Cool. アシュレダウ。Very Cool. 」
それじゃあ、しょうがない。
ここからは容赦なし、戦場の作法だ。