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ローズ・アブソリュート

 

 オーケー、結論からいこう。

 その晩は、なにもなかった。

 

 いや、あるかなあ、みたいな雰囲気にはなったし、それまでにシオンは自分の生い立ちについて、話してくれたし、どうしてこうなったのか、ボクにもわかりません。


 純血の日本人。

 いまや、絶滅危惧種の希少種。

 幼生の国の末裔すえ


 彼女はボクにその秘密を教えてくれた。

 そして、その自分とかかわることへの社会的危険性についてまで。

 覚悟を問われているんだな、ということは、いくらなんでもわかった。

 つまり、その関係を結ぶことについて、のだ。


 その裏に隠されたシオンの孤独を、ボクはそのとき確かに嗅いだ。


 受け止めなきゃ、とそう思った。

 でも、たぶん、それがいけなかったんだ。

 唇を合わせようとしたボクをシオンが拒んだ。

 毅然きぜんとした態度。カチン、という硬い音が聞こえた気がした。

 それから、突き放された。


「なるほど、そなた、だれの心情にでも寄り添えるのだな。いま、わたしの寂しさに同調しただろう? 慰めなくちゃいけない――そういう気持ちで、動いただろう?」


 そういうのはいらない。

 ドン、と突き飛ばされ、ボクはベッドから転がり落ちた。


 ダンサーの常として、華奢なようでも筋力は見た目よりずっと強いものなのだけれど、ボクがほんとうに突き飛ばされたのはその腕力にじゃなく、シオンの言葉にだった。


「読めたぞ、アシュレダウ。オマエの才能の根源が。オマエが自身の評価に無頓着なわけが。達観しているのではない。オマエはなににも、だれにも関心がないんだ。

 そのくせ、どんな技術でも一瞬でモノマネできる。だれの心にも一瞬で寄り添える。

 周囲の雰囲気を刹那に察知して、それがまるで自分の心であるかのように振る舞える!」


 なんで、この子にはそれがわかるんだ。

 ボクは転げ落ちたあと、怒声を浴びせかけるシオンを、驚愕の顔で見ていた。

 



 どうして、一瞬でそれがわかったのか、わたしにも判らぬ。

 ただ、アシュレの手が肩に触れたとき、わたしは彼から同情の匂いを嗅いだ。


 きっと、それは、子供のころ周囲に満ちていた匂いと同じだったからだろう。

 学校で向けられる視線や、級友たちの態度。

 それは蔑視べっしではなかったが、どこか腫れ物に触るような慎重さを含んでいた。


 同じ匂いを、わたしは楽屋でも嗅いだ。

 表舞台に立つことを許されぬわたしに注がれる楽屋の女たちの愛情のなかにさえ、それは混じっていた。

 世の不条理に怒りを覚えてからのわたしは、それにとても敏感になった。

 それは“かわいそうだけど深く関わらないでおこう”というサインだ。


 あまり気分の良いものではないけれど、わたしはそれは甘受しなければならない、ひとつの試練だと考えて生きてきた。


 わたしの所属した民族が、たしかにそれは引き起こしたことだったからだ。

 それにだれしもが、心得なければならない渡世のやり方というものがある。


 ここは人跡未踏の荒野ではない。れっきとした文明圏だ。

 そこには社会があって、慣例や常識や同調圧力で動いている。

 無理強いできることではない。

 互いの将来を考えた、分別ある非干渉だと、わたしは考えてきた。


 けれども、いま、それと同じ匂いをアシュレから嗅ぎ、わたしは激高したのだ。


 ――わたしだって彼に注目していた。その技術、研ぎ澄まされたセンス、それから、己の評価に無頓着な態度から、どこかわたしに似たものを感じていた。


 自分自身さえ省みない、そんなアシュレのサインスピンニングに、わたしはわたし自身を投影していた。

 理解者に出会えた気がした。

 告白する。

 彼のサインスピニングに強く魅かれた。


 だから、今日、ああ、もう昨日か――アシュレが声をかけてきたとき、わたしは激しく高揚していた。


 ずっと、彼の目は感じていたから。

 何時間も、わたしだけを見つめる視線を。

 同じだって、両想いだって、確認しあえた気がした。


 それなのに、コイツは、同情から、わたしと関係しようとした。

 深く関わる気もないくせに、いざとなったら、手を引くくせに、わたしに深入りしようとした。


 ブチブチブチブチッ、と頭のなかで線の切れる音が聞こえた。

 一瞬で目の前が激情に赤く染まり、気がつけばアシュレを突き飛ばして、罵声ばせいを浴びせていた。

「そなたの言葉にも行動にも――サインスピニングにも心がないッ!!」 

 なんとも想われていなかったことに、わたしは激高していた。

 気がつけば――復讐していた。


 


 こんな復讐って、ある?

 ボクは、いま、めちゃくちゃになってしまっている。

 たしかにボクはミスをした。


 シオンを本気で怒らせた。


 どうしてなのかわからないけれど、いや、どうしてなのかはわかるけど、だからといってどうしたらよかったのかはわからなくて、混乱しっぱなしのボクの頭上から、シオンは徹底的にボクを怒鳴りつけた。


 それから――顔を真っ赤にして泣きながら怒って――なにをしたと思う?

 復讐だ。

 サインスピニングだ。


 ベッドを舞台に見立て、立て掛けてた〈ローズ・アブソリュート〉をひるがえして。

 それが、その効果が、いま、ボクをめちゃめちゃにしている。

 なんだ、これ、なんなんだ、これ。


 舞い終えたシオンが投げつけてきたサインボードで、ボクは倒れ、後頭部を打って気絶した。

 そして、目覚めると、もう彼女はいなかった。

 書きつけもなにもなし。

 携帯端末の番号を聞き忘れてたから、当然つながるわけもない。

 ボクの革ジャンが無くなっていて、かわりに彼女の下着が一枚……その、最重要部分が……。

 これはどういうトレードなの? どういう嫌がらせなの?


 でも、そんなの序の口だった。

 二日酔いと打撲でズキズキ痛む頭を抱えて、それでもしかたないから――習慣的な行動で――バイトに向かおうとしたボクを、そいつが襲った。


 まったく突然に、きゅう、と胸が不整脈を打ったみたいに締めつけられ苦しくなった。拍動が信じられないくらい速くなって、耳の奥で鳴り響く。

 それから……その、なんて言えばいいんだ、こう、下半身がピラミッドっていうか――だめだ、これが表現の限界だッ!! 


 とにかく非常手段的手法を用いて対処するまで、それはどうにも収まりがつかなかった。


 昨夜のシオンのサインスピニングが、まるで脳内で映像を再生するみたいに鮮やかに甦って、止められなくなった。

 限りなくゆっくりな、速度というものを否定するような――それ。

 シオンは、自分自身をサインボードで隠すことで、消し去ることで、強調した。


 込められたメッセージを言語化することは、きっと難しい。

 ただ、それが、伝達された唯一の観客だったボクの身体に作用した。


 結果としてボクは、フラッシュバックのように、まったく不意に幾度も幾度も――そして眠れば必ず、一晩になんども、彼女を夢見て――苦しむことになった。

 胸を締め上げられるような切なさ。

 飼いならすことのできない衝動。

「なんなんだ、これ――」

 経験のないボクにはわからない。


 ないはずの心が、軋むんだ。

 こんなの、ないはずの場所が痛むなんて、どうしたらいいんだ。


 ボクはパニックになった。


 ただひとつわかるのは、恐ろしく厄介な病を、ボクは患ってしまったんだってことだけだった。

 

 


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