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春宵名月  作者: sirasagiri
1/1

prologue

 ゴーン…ゴーン…

 丘の上の教会の鐘が街中に響き渡る。

 普段ならば、教会には街に住まう人々が集い、祈り、憩うところであった。しかし今は、誰の姿もなかった。

 それは教会だけのことではなかった。近くにある街にも人の姿はない。街の様子だけを見れば、活気のある街そのものではあった。しかし、まるで人だけが忽然と消えてしまったかのようだった。

 ただ、人の気配のない教会に、一人の男の姿があった。十字架の刺繍が左胸にある黒い神父服を着ている。この教会の神父だろうか。

 窓や入り口の扉がぴったりと閉じられている暗い教会に、唯一の光がステンドグラスから差し込んでいる。その光は床のある一点を照らしていた。

 ギィィィ

 閉ざされていた扉が僅かに開き、誰かが入ってきた。目深くフードを被っていて、顔はよく見えない。性別も判断し難い。

「気は済んだか」

 振り向くことなく、低い声で男は問うた。

「ええ。我が儘を言ってごめんなさい」

 少し高めの声の主はフードをのけた。女だ。彼女は男に近付く。

「行く前に、ここに来ておきたかった。…全ての始まりであるここに」

「気にするな。俺も来るつもりだった」

 そう呟くと、二人は黙り込んだ。

 二人の間の沈黙を満たすかのように鐘は鳴り響いている。

「……鎮魂の鐘ね」

「ああ」

 女は長椅子に座り、目を閉じて鐘の音を聞いている。

 お互いの呼吸さえ聞こえない静寂の中に鎮魂の鐘の音だけが響く。

「ごめんなさい」

 女がポツリと呟いた。男は女を見る。

「ごめんなさい」

 女はもう一度呟いた。

 何も映していない彼女の目は硝子玉のようだ。あの時以来、嘗ての輝きがその目に現れるのを見たことは一度もない。

「何がだ」

「貴方を巻き込んでしまったこと」

「気にするな。お前がしなくとも俺はやっていた」

 男の言葉に女は小さく笑った。

「嘘だわ。私が言わなければ、貴方は平穏な日々を過ごしていたはずだもの」

 男は僅かに眉を顰めた。

「俺が、協力者が居なければ何も出来ないような男だと言っているのか?」

「優しい人だと言っているのよ」

「俺がか?」

「ええ」

「俺は優しくなんてない」

「いいえ、あなたは優しい人よ。私の我儘に付き合ってくれてる。あなたに、そんな義理は無いのに」

「…………」

「本当にごめんなさい。でも、どうしても、私はあの男が許せない」

 女はきつく手を握り締め、深く俯いた。ぎり、と歯を噛みしめる。

 あの男が引き起こした惨状を今でも鮮明に思い出せる。

 それは目の前が真っ赤に染まりそうなほどの憎しみを伴っていて。


 あの男が理解していない己の罪の重さを知らしめてやりたい。

 あの男を同じ目に合わせてやりたい。

 あの男をこの手で……

 あの時、力が無かった自分が苛立たしい…


「血が出る」

 女が気づいた時には、男が目の前で膝をついていた。握り締めていた手は優しく開かれた。

 男は心配そうな表情で、下から女の顔を覗き込んでいた。目が合うと男は少しほっとしたようだった。

「…………」

 女は力を籠めすぎていつも以上に白くなった手の平を見た。爪の跡がくっきりと残っている。

「何もお前が責任を感じる必要はない。奴が悪いんだ」

「…………」

「あまり思いつめるな」

「………そう、ね…」

 息を吐き出すと女は立ち上がった。

「行きましょう」

「ああ、そうだな」

 男は女について歩き出す。


 再び閉ざされていた教会の扉が開いた。

 けれど。

 二度と、その教会の扉が開くことは無かった。

 

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