07『好きな人』
その日を境に鶴ヶ谷は俺に話しかけてこなかった。それどころか、露骨に避けられて凹んだ。俺は悲しさのあまり鶴ヶ谷を目で追うことをしなくなった。
鶴ヶ谷が居ない昼休みは酷く長く感じる。楽しそうに談笑しているクラスメートたちが酷く恨めしく感じて、自己嫌悪に陥りつつ机に突っ伏した。寝ているフリをしているほうが、一人でいる理由ができていい。眠くなんかないけれど。それに、腕を枕にしないで直接額を机につけている状態だから、どう見ても寝ている人には見えないけれど。
鶴ヶ谷の俺への態度は日に日に悪くなっていく。一体俺がなにをしたって言うんだ。どちらかといえば俺がされた側だと思うのだが。しかし、『好きでもない相手と一緒にいる意味はない』と言われている以上、俺にはもうどんな手段も残されていなかった。
事情を察知してくれた俺のクラスメートたち(男)はあの日から俺に優しい。その優しさが逆に悲しいわけなのだが、彼らの好意は素直に嬉しかった。やっぱり友情っていいものだと思う。持つべきは友、とはよく言ったものだ。
しかし、現実というものは酷く残酷だ。
「……最悪だ」
俺は教室の前で、教室には入らず壁を背に座り込みながらそっと呟いた。本当に最悪だ。そして最低だ。
俺は帰路についている最中に教室にスマホを忘れてしまったことを思い出した。無くても一日過ごすことは可能だが、しかし緊急の連絡手段が無くなってしまうというのはどうにも心細い。幸い、学校からあまり離れていない地点でその事に気が付いたため、俺は学校まで引き返してきた訳なのだが。
「他でやってくれよ……クソ……」
力無く、呻くように呟く。声は誰にも届かず消えていった。
「ええー、それはないよー!」
「浅野は無いよねー」
「ふっちゃえ、ふっちゃえ」
教室の中ではなんと、数人の女子が集まって女子会を開いている真っ最中だったのだ。しかもその内容が恋愛関連ときた。男である俺がその中へ入っていけるわけがない。
「それでー? 咲ちゃんはどうなのー?」
「んん……? 私?」
「そうそうー。咲ちゃんだけ黙ってるのはよくないよー」
そんな会話が聞こえてきて、俺は深くため息をついた。
そう、この女子会の中には鶴ヶ谷もいるのだ。スマホを諦めてさっさと帰ってしまえばいいものを、鶴ヶ谷が気になってしまって帰れない。話を聞いたところで俺が凹むことは確定してるはずなのに、わざわざそれを聞きたいなんて、俺は相当なマゾのようだ。全く、笑えない。
「――私の好きな人は」女子たちに何度も急かすように訊かれて、鶴ヶ谷はやがて諦めたように口を開く。「――だよ」
肝心な部分は声のボリュームを下げてしまったらしく俺には聞こえない。しかし女子たちはしっかり聞こえたらしく、一気に盛り上がった。
「やっぱり!? やっぱりそうだったんだね!」
「ええー、ねえ、どの辺が好きなの?」
「告白は? 思いは伝えないの!?」
「え……えっと……」
質問攻めにされて鶴ヶ谷は随分戸惑っているようだ。珍しい。俺と会話するときはそんな戸惑った素振りを見せないから、俺は鶴ヶ谷の戸惑った顔を見たことがない。見てみたいものだ。きっと可愛いんだろう。
「目の色が好き、なのかな……」
照れながらも答える鶴ヶ谷の声が聞こえる。それが加藤のことだと考えると、すごくモヤモヤとした不愉快な気持ちになった。ああ、まだ全く諦められていない。
「告白はしないかな。……向こうは、別に好きな子がいるみたいだからね」
少し寂しそうな鶴ヶ谷の声。ああ、そういえば加藤のやつは喫茶店で女子とデートしていたな。それでも好きってことは、俺同様、相当惚れ込んでいるのだろう。妬ける話だ。……すごく、泣きそうになる。
「そんなことないよ咲ちゃん!」
「絶対向こうは咲ちゃんのこと好きだって!」
ガタッと立ち上がるような音と共に、女子たちの鶴ヶ谷を励ます声が聞こえてくる。その謎の根拠は何処から来ているのだろうか。いや、もしかしたら本当なのかもしれない。加藤は中々格好いい奴だから、鶴ヶ谷とくっつけば美男美女カップルの成立だ。きっとお似合いだろう。
「でも、他の子が気になってるみたいだったし……」
「それは絶対に咲ちゃんの勘違いだよ!」
「見てて分かるよ! 絶対二人は両想いだって!」
「そうなのかな……」
「絶対そうだってば!」
こう何度も『絶対』を連呼されると、動かぬ証拠があるのだろうと信じ始めてしまう。近いうちに、二人はくっついてしまうのだろうか。そう考えると、心が荒んでくる。
「……止そう」
俺はそう呟くと、スマホのことは諦めて立ち上がり、教室を後にした。きっと、あの女子会はもう少し長く続くだろうから。