06『怒り』
当たり前の話だが、俺の恋が終わろうと何しようと日常は続く。俺はいつもと変わらず学校にいくし、学校にいけばいつもと変わらず鶴ヶ谷がいるし、鶴ヶ谷はいつもと変わらず俺に話しかけてくる。そして、当然のことながらいつも通り授業中に鶴ヶ谷を目で追ってしまう自分がいるわけで。正直なところ泣きそうだ。少しの間だけでもいいから、鶴ヶ谷と距離をとりたい。せめて視線を外せるようになりたい。
「今日の君はなんかヘンだね」
そんな願いが態度に出てしまったのか、弁当を食べ終わると鶴ヶ谷はいつも通りにクイズを出してくるのではなく、実に不服そうな顔でそう言った。俺はその言葉にそりゃそうだと答えるわけにもいかず、素っ気なく「……別に、いつも通りだ」なんて言う。鶴ヶ谷に全く視線を合わせない時点で(至近距離なら視線を外すことができたのだ)どこもいつも通りじゃないのに。
「そうかな? そうは見えないんだけど」
「……気のせいだろ」
「私と会話したくないみたいだ」
「……思い過ごしだろ」
「本当は嫌なんじゃないの」
「……なんでそうなるんだよ」
「だったら!」
ガタンと大きな音をたてて、周囲でクラスメートが談笑しているにも関わらず大きな声で、立ち上がりながら鶴ヶ谷は言う。俺は驚いて、思わず鶴ヶ谷の方を見た。その時初めて鶴ヶ谷の表情がしっかりと見えた。不満と苛立ちに満ちた表情だった。
「どうして、こっちを見ようとしないのさ」
「……そんなことは」
「あるでしょ。君は今、やっと私の方を向いた」
「…………」
意図的に視線を外していたため弁解の余地がない。直視すると、まだ鶴ヶ谷のことが好きでいる自分が悲しくなってくるから、なんてアホなこと言えるわけがない。
教室内の喧騒が遠退いていくような錯覚に陥る。この世界に鶴ヶ谷と俺しか居ないみたいだ。しかも、時間が止まってしまっているのか、それともとてもゆっくり流れているのか、永遠に続いてしまうような沈黙が流れている。一体、俺はどうしたらいいんだ。信じてなんか居ないけど、カミサマが居るとしたら、カミサマは一体俺をどうしたいというんだ。こっぴどく鶴ヶ谷にフラれればいいのか? それはあまりにも、あんまりじゃないだろうか。
「ねえ」
時間が戻った。教室内の喧騒も戻ってきた。鶴ヶ谷の鋭い声が時空を切り裂いたようだった。
俺はチラリと周囲にいる男子と女子をみてみる。みんな俺と鶴ヶ谷を見てヒソヒソと話しているようだった。その様子から予測するに、どう考えても十零で俺の方が悪そうだ。その通りだが。……いや、その通りなのか? 傷心した男が心の傷を癒したいがためにした行動が裏目に出たわけだが、全て男の方が悪いのか? 俺が悪いのか? なんだか理不尽を感じる。
「……もういいよ、わかった」
悲しそうな鶴ヶ谷の声が聞こえた。そうだ、今は俺のことよりもこっちが先決だ。そもそも――そもそも、鶴ヶ谷はどうしてこんなに怒っているのだろうか。確かに俺は鶴ヶ谷の方を見ようとはしていなかったが、でも鶴ヶ谷を無視していたわけではない。何故、鶴ヶ谷はこんなに苛立っている必要がある?
「なあ、なんでお前はそんなに怒ってるんだよ。……確かに、そっち見てなかったけど、でも無視してた訳じゃないだろ?」
怒られるのを覚悟で聞いてみた。俺の記憶の中の鶴ヶ谷は、粗悪な態度に一々目くじらをたてるようなやつではなかった。話半分にしか聞いていなかった俺をあの手この手で戸惑わせるようないたずらに出て、「話を聞いてなかった君が悪い」なんて言うやつだった。今回だって、それは出来たはずだ。
「……そうだね」鶴ヶ谷は深いため息をついた。その時の冷たい目を、俺は忘れることができないだろう。「君はそこまで悪くないよ。いや、すごく悪いのかもね」
どっちなんだよ、とは突っ込まない。突っ込めない。
鶴ヶ谷の声は低い。
「とりあえず一つだけ言えるのは、好きでもない相手と一緒に居続ける意味は無いんじゃない? ってことだね」
そう言って鶴ヶ谷は俺の前から去っていった。
俺は頭の中が真っ白になった。目の前は真っ暗だった。