05『撤退』
加藤は他校の女子と仲睦まじく会話をしていた。デートだろうか。……いや、加藤についてはどうだっていいんだ。俺はあいつと特別仲が良い訳ではない。
鶴ヶ谷は時おり、その二人に羨望の眼差しを向けていた。羨む対象は恐らく他校の女子。つまり鶴ヶ谷は、恐らくあの女子のポジションにつきたいと思っているわけで。
モヤモヤとした気分というよりは、深い穴に落ちた気分という方が正しい。なるほど、これがそういうことか。
「ん? さっきからどうしちゃったのさ」
「……別に、何でもない」
動揺とその他諸々を隠そうとしたらかなり素っ気ない言い方になってしまった。そこに鶴ヶ谷が訝しげな視線を送ってきて、冷や汗がたれる。何とかチーズケーキを食べることで視線をはずして誤魔化してみたが。
チーズケーキを食べ終わり、コーヒーを飲みながら鶴ヶ谷の方を向くと、鶴ヶ谷のパフェの容器が空になっていることに気付いた。どうやら待たせてしまっているらしい。これは悪いことをした。
「……もうパフェ食べ終わってたのか。早いな」
「うん。君がボケーっとしてる間にね。余りにもボケーっとしてるからこっそりチーズケーキを一口貰っちゃったのに、君ってば全く気付かないんだから」
ニヤニヤと鶴ヶ谷は笑っていた。俺はいつも通り、そんな鶴ヶ谷を可愛いと思ってしまう。これは当分引きずりそうだ。
でもまあ、納得なんて全くしていないが、鶴ヶ谷のそれが片想いなら俺は全力でそれを応援してやることにしよう。満足はできないが、鶴ヶ谷の笑顔で我慢してやる。
「奢ってやるよ」
俺はそう言って伝票を持つと立ち上がりレジへ向かった。鶴ヶ谷が「えっ?」とか「そんな、悪いよ」なんて珍しく慌てているが、そんなものは聞き入れてやらん。頼むから、こういうときだけは格好つけさせてくれ。
「それじゃ、俺ちょっとこっちに用あるから」
「ああ、うん。ありがとうね?」
「構わねえよ」
そんなやり取りを喫茶店の入り口で交わして、俺は背を向けて歩き出す。残念ながら用事なんてものは無い。ただ、この精神状態でこれ以上鶴ヶ谷と二人きりになるわけにはいかなかった。悲しくなってくる。
「はあ……女々しい奴」
自嘲気味に笑いながら、俺は空を仰ぐ。
空は青空なのに、真っ白な雲から水の粒が落ちてきていた。
こうして、俺の片想いはひと夏の想い出を何一つ残すことなく、夏休みすら待たずに終わりを告げた。
ただ、一応まだ鶴ヶ谷の想いの真偽は分かってないし、俺は告白をしていないため振られた訳ではない。ただ一方的に諦めると判断しただけだ。戦略的撤退とでも言おうか。
つまり、俺は厳密には失恋していない……ということにしておく。精神的には同じかもしれないが、『厳密』なら違うと判断してもいいだろう。俺は、まだ失恋をしていない。
だから、俺はまだ負けていないことにした。何に対しての勝ち負けなのかは分からないけれど。とにかく、俺はまだ負けていないことにした。