恋の対症療法は二枚舌
「学校では浅美が俺の彼女になっちゃったけど、俺が好きなのは、瞳さんだけだから」
亮くんはそう言って、私を抱き寄せた。
その言葉は嬉しいけど、やっぱり私の溜飲が下がることはなかった。
もやもやが晴れないまま、亮くんの家を後にする。家へ帰ると、不機嫌な母が待っていた。
「あんた、最近帰りが遅いよ?いけないことしてるんじゃないでしょうね?」
母が自分のイライラを隠さずに言った。こんなの、別に私のことを心配して言ってる訳じゃない。最近、父の帰りが遅くてかりかりしているのである。
「友達と話してたら遅くなっちゃっただけだよ」
適当に嘘をついて自分の部屋に戻った。
イライラをぶつけたいのは、私の方だ。浅美さんめ……。
私は、クラスでは目立たない方だった。
中学からの友達とは違うクラスになり、自分のクラスに馴染むことが出来なかった私は、学校に行くのが嫌になり、遅刻ギリギリの登校が多くなった。そんな時、亮くんに出会った。
「確か、同じクラスの瞳さん、だよね」
同じクラスの人が私を見つけてくれた。それがとても嬉しかった。それから私は、その時間に登校して、たまに亮くんと一緒に歩いていた。
こんな私にも気さくに話し掛けてくれる男の子がいる。そんな喜びが、いつの間にか私を恋の当事者にしていた。
初めての恋には不安がいっぱいだった。特に私を不安にしたのが、浅美さんである。
彼女は亮くんの幼なじみだそうだ。たまに、亮くんも彼女の話をしていた。彼女は、私の知らない亮くんを沢山知っている。
浅美さんの存在は、私を執拗に追い立てる。彼女は男子と話を合わせて、男子と仲の良い女子のふりをして、亮くんを狙ってるんだ。
焦った私は、亮くんへ捨て身の告白をした。
彼は私を優しく受け入れて、その場で私にキスをした。その時、私はきっと、世界一幸せな女の子だった。
亮くんに幸せを貰った私は、昨日までの私じゃない。
亮くんは私に大きな勇気をくれたが、それでも、浅美さんは私を責める。
恋人になった次の日、亮くんと待ち合わせをしたのに、彼女もしれっとやってきた。
亮くんの恋人は私なんだ。そのことを分からせて、彼女に諦めてもらうつもりだったのに、その日早くも彼女は馬脚を露にした。果たし状だ。
果たし状は決闘の合図。この学校に通っている人なら、恋に無縁の人でも、その意味は理解している。
私は、決して強くない。か弱い女の子だ。浅美さんは私と違って活発である。普通に決闘すれば、多分私は負けるだろう。
しかし、私は彼女の挑戦に真っ向から挑むことにした。私の愛の力を見せつけて、彼女を完全に諦めさせてやる。尚も敵わぬことともなったら、きっと、亮くんが私を救ってくれるだろう。私たちにとって浅美さんは、恋の花園を踏み荒らす、共通の敵なのだから。
決闘が始まると同時に、私は渾身の力をもって彼女を追い払いにかかった。しかしそれが彼女に届くことは無かった。
私は亮くんに助けを求めようとした。しかし亮くんは、ちゅうちゅうとジュースを啜っている。そうだ。元々、決闘に彼氏が荷担してはいけない。それに、亮くんが暢気に構えているのはきっと、私の愛を試してのことなんだ。でも、浅美さんには勝てそうにないよ……。
そうしているうちに、浅美さんの一撃が私を襲った。私は心が折れて、泣き崩れてしまった。
せっかくの恋が。実った恋が。こんな女にもぎ取られてしまう。
私が悲劇のヒロインになった瞬間、レフェリーは浅美さんの勝利を告げた。
浅美さんが亮くんの腕にしがみつくのを見て、私はその時、世界一不幸な女の子になった。
思い出すと、不幸に浸ってしまう。これではダメだ。
亮くんはそれでも私だけだと抱いてくれたけど、私は浅美さんに復讐したい。
思い立った私は、ベッドを抜け出し、ある人に電話をした。
学校は放課後を迎えた。残る生徒が徐々に減っていく中、例によって私と浅美さん、そしてもう一人、私の机に腰掛けた女の子だけが教室に残る。
完全に女子三人だけになったところで、浅美さんが口を開いた。
「どっちが相手なの?」
私がにやけそうになる口元をおさえていると、もう一人が答えた。
「私だよ」
彼女の名前は、曜子ちゃん。隣のクラスの女の子で、私とは中学からの友達だった。
私は昨日、曜子ちゃんに電話で事情を説明し、私の代わりに浅美さんをやっつけてもらうことにしたのだ。
曜子ちゃんは柔道黒帯の猛者だ。浅美さんが敵うはず無い。何も知らずこてんぱんにされる浅美さんを想像すると、口元のにやけが止まらない。
平静を装って、三人で教室の出入り口へと向かう。浅美さんは教室の前の方、私と曜子ちゃんは後ろの方の戸に手をかけ、ゆっくりと開いた。
今回の決闘場は、落ち着いた雰囲気のバーのような所だった。
暖色の照明が落ち着いた雰囲気を醸すそこは、前回の場所とは打って変わって、大人な感じだ。
中央のリングの周りには前回同様、小さなテーブルと椅子が沢山あり、今回のテーブルにはリバーシが置かれていた。
浅美さんと曜子ちゃんがゆっくりとリングへ上がると、カウンターでタバコを燻らせていたレフェリーがリングへと向かう。
私は椅子に腰掛けた亮くんを見つけると、そのテーブルに対座した。
私と亮くんのテーブルだけ、リバーシではなく将棋が置かれていた。局面はもう終盤で、四手詰めだ。
「瞳さん、俺は、どっちを応援したらいいのかな」
亮くんが訊いてきた。亮くんから見れば、自分の彼女の前で、二人の女の子が自分を取り合っているんだ。そんな疑問が出てくるのも当然だろう。
「彼女の私からすると、とっても複雑なんだよ?」
パチ。
「だけど、二人とも真剣な気持ちで亮くんを取り合うんだから、二人とも応援してあげて」
パチ。私と亮くんの空いている方の手の指を絡ませる。
「でも、その上で亮くんは」
パチ。レフェリーが決闘の開始を告げる。
「ちゃんと私だけを見ててね?」
パチ。にやり。
亮くんの玉の陥落ととともに、曜子ちゃんが浅美さんに掴み掛かった。
すると、浅美さんはバランスを崩して倒れてしまった。今だ、畳み掛けろ!
「うわー、参った。私の負けだよー」
は?
浅美さんの棒読みの投了宣言で、勝負が決まってしまった。
周りのテーブルに置かれたリバーシが全て、一面の黒に染まっていった。
余力を残しての結果に、私の気分は晴れなかった。
浅美さんは去り際に、ごめんね、と呟いた。
納得はいかなかったが、兎に角、私の側が勝った。これでまた、不安は減るだろう。
そう思っていると、曜子ちゃんが言った。
「あのさ、とりあえず、学校では私がこれ見よがしに亮くんと仲良くするのはどうかな」
意味が分からなかった。
「どうして?曜子ちゃんは親友から彼氏を奪うの?」
しっかりとひとつ、現実を突きつけてやった。これって、そういうことなんだよ?
「違う違う。私が彼女のふりしてれば、瞳ちゃんにとって邪魔な女が寄って来ないと思って。私を信じてよ」
なるほど。曜子ちゃんは強いから、決闘を挑む女子も居なくなるかもしれないし、挑まれても、倒せる。この子がそういう所まで考えてるとは思わなかった。
「疑っちゃってごめんね。わかった。その話受けるよ。でも、亮くんは私の彼氏だからね?」
釘を刺すと曜子ちゃんは、わかってるって、と笑った。
曜子ちゃんの提案を受け入れてから数日。作戦と分かっていても、やっぱり私は嫉妬してしまっていた。
曜子ちゃんはみんなに見せつけるように、亮くんと腕を組む。タコみたいに腕を絡ませて、亮くんもまんざらじゃないように見えた。
「俺には、瞳さんだけだから」
亮くんはそう言って、今日も私を抱きしめる。
しかし、ついに。校庭の隅の木の陰で、亮くんと曜子ちゃんの舌がタコになっているのを見た。
「君は世界一可愛い」
今日もそう言ってキスを迫る亮くんに、問いつめた。
「学校で、曜子ちゃんとキスしてるの見たんだけど」
亮くんは一瞬固まった後、しどろもどろになって答える。
「いや、あれは、あっちが勝手に……」
王子様。運命の人とさえ見えていた彼は、最早薄っぺらい紙にしか見えなかった。
「さようなら!」
私はそう吐き捨てて、彼の家を出た。
道すがら、目一杯泣いて、自分の家に帰った。
「おかえりなさーい」
いつもみたいに遅く帰ったのに、母は咎めない。父が帰ってきていて、談笑しているようだった。
少しイラッとしたが、詰問されるよりはましだと納得させて自室に向かう。
枕に顔を埋めて、泣きながら眠りに落ちた。
次の日の学校は、憂鬱だった。
何も知らない曜子ちゃんは、今日もタコになっている。
亮くんは隙を見て、私に復縁を迫ったが、時間をちょうだい、とだけ答えておいた。
学校が終わり、少し遠回りをしてとぼとぼと歩いていると、公園のブランコに乗った浅美さんを見つけた。
「あっ……」
通り過ぎようと思ったが、こっちに気付いたようだったので、私も浅美さんの方へ行き、隣のブランコに乗った。
お互いに無言で、キィ、キィ、とブランコを漕いでいたが、堪らなくなった私の方から口を開いた。
「私ね、亮くんと別れたよ」
そっか、と答えた浅美さんは、決心したかのように言った。
「私ね、決闘しちゃったこと、後悔してたんだ。亮くんが好きでもないのに、瞳さんに勝ちたくて挑んじゃったの。ごめんなさい」
彼女は心底反省しているようだった。
「私の方こそ。私、彼と幼なじみの浅美さんに嫉妬して、不遜な態度で見せつけようとしてた。本当にごめんなさい」
私が言うと、浅美さんが大きくブランコを漕ぎはじめたので、私もそれに倣った。
「私たち、サイテーだったね」
浅美さんが過ぎたことを振り払うように、爽やかに言う。
「うん。サイテーだった!」
私ももう、それを過去の物にした。
「亮くんもサイテーだったよ!」
浅美さんは全てを振り解くようにブランコを漕ぐ。
「うん、亮くんも、サイテー!」
私も大きく自由に漕いだ。
それから、浅美ちゃんは一番の仲良しになった。