1ー1 目覚め
「ハァハァ……」
足が痛い、背中が痛い、肩が痛い。
気を抜けば止まってしまいそうな足を叱咤し、ひたすら走り続ける。
行くあてなど無い、何処へ辿り着くとも知れない逃避行。
敵を、魔族を恐れた訳でも、まして負けた訳でもない。
それでも、逃げなければならない。
背中に振り下ろされた刃から、撃ちかけてくる鏃から---人々の悪意から。
「~~~ッ。」
飛び起きて周囲を探る。
ひとしきりキョロキョロしたあとで、見慣れた家具を確認し安堵の息を漏らす。
ここは自分の家、安心できる場所。
そう確認した所で、肩の力を抜きベッドに身体を横たえる。
今し方見た夢--悪夢--を反芻し、微かに背中と肩に走る幻痛に顔をしかめる。
「ひさびさに嫌な夢見ちゃったなぁ~」
彼女-茜-がこの世界に召喚されて8年。
18の時に召喚され、本来ならアラサーに含まれるが、彼女は召喚された時のまま変わらない。
召喚された影響で、茜は限りなく不老不死に近い存在となった。
もちろん、致命的な怪我や毒を負ってしまえばその限りでは無いのだが、茜の身体能力、回復力は常人の限界を遥かに超えている。
不意打ち、奇襲、真っ向勝負を問わず、茜に傷を与えられる存在は、この世界中でも片手で足りる程の数しかいない。
閑話休題。
カーテンを全開にし、清々しい朝の陽光を浴びる。
眼前に広がる木々の海。
ここはアイルム大陸の辺境、メルト大樹海。
高位の精霊や妖精、賢獣もしくは聖獣と呼ばれる幻獣達の楽園。
茜の家は、樹海の中央にそびえる巨木にある。--正確には巨木の中にだが。
「う~~ん、そろそろ起きますか」
寝間着から着替えて、寝室を出る。
そのまま居間を通り過ぎ、扉の前へ。
開け放てば、そこから先は空中。
しかし茜は、躊躇うことなくその身を空へ躍らせる。
グングンと近づいてくる地面。
微かな恐怖とささやかな高揚感。
そしてその後に---。
『風よ』
優しく風に抱き留められて、静かに着陸。
「やっぱり、気持ち良いわね!!」
こうして茜の一日が始まる。