クズが叫ぶ話
「では早速。基本のキから始めます」
と、老執事は床につけた先のくぼみに唾液を吐いた。そして、
「では、少し見ていてください」
と、言うのでクズは
(うわ、汚えなあ)
と、露骨に顔に表しながら見ていると、老執事の吐いた唾液は、一握りの塩を振りかけられて苦悶するナメクジの様にうねり出した。
「うわ、気持ち悪っ!」
クズは、特に隠す気もなかったが、思わず自らの思っていたところをそのまま口に出した。それに対し、
「ハッハッハ、幾ら今は私ではないとはいえ、気持ち悪いはヘコむなあ」
と、機械の声が反応を示す。
「いや、これはキモイだろ」
「ハッハッハ、でも、それが君の武器になるんだよ」
「いやいや、そういう問題じゃなく、キモイだろう」
このクズの言うキモイとは、単に自ら動き出す唾液のみを指しただけでなく、それを武器として使う、応用力のある能力として扱う機械の声や老執事に対しても発せられた形容句であった。クズよりも想像力のある機械の声は、半分がそういった意味合いを含んでいるということは何となしに感知していたが、それでも尚お、
「ハッハッハ、まあ、他人の唾液だからそう見えるんじゃないかな。まあ、一回自分でやってみるといい」
と、押した。
これまでは、
「唾液腺を弄った」
と言われたのみだった為、唾液を武器にするということに対してそれほど違和感を感じていなかったクズであった。それは、テレビドラマや漫画、あるいは現実の世界での喧嘩の際に、挑発の意味合いで唾液を相手の頬にかける場面を何度か見たことがあったことも起因となっていた部分があるかもしれない。要は刷り込みのようなもので、
(あー、喧嘩の最後とかにペッて吐く感じかな)
と、クズは解釈していた。もちろん、粘度、硬度、量、更には体外でのコントロールの話も一応は聞いていたのだが、想像力が一般人と比べて欠如しているクズにとっては馬の耳に念仏。せいぜい
(ああ、好きな時にペッてできる能力か。まあ、口がパッサパサの時とか、ツバ湧かねえしな)
と思う程度であった。
だからこそ、クズにとってウネウネと動く唾液というモノは武器として観ることが出来ず、更にはそれを涼しい顔でコントロールしている老執事、それを発明してクズに備え付けた機械の声に対する軽蔑の念が沸々と湧いて出た。
「俺にはそんな気持ちの悪いことは出来ないし、お前らみたいに気持ち悪さのエキスパートにもなれない」
クズは続ける。
「そもそも、どうして借金を拵えたくらいでこんなに気持ちの悪い改造をされなきゃいけないんだよ。いや、『金の話は汚い』って言うけれどもさ、それは人間の本質的な汚さが露わになるだけで、こういうオエッてくる感じの汚さではないだろ」
それに対して、機械の声が質問で返す。
「だから何だい?」
クズは鼻息を荒げる。
「何だって、それこそ何だよ。お前、人権って分かるか? 人は人らしく生きてこその人なんだよ! たった金がないくらいのハンデなんかで、どうして俺はこんなに汚い改造をされなければならないんだよ!」
クズが
「フーッフーッ」
と、少し呼吸を落ちつけ、
「そもそも……」
と、再び発するのを遮るように、機械の声は喋り出した。
「ハッハッハ、まあ、倫理とか哲学とかは苦手なんだがね。君の言うところの『人らしく生きる』ってので、借金が返せるならそれでいいかもね。後付けで酷な話をするけど、君はそのたった金がないくらいのハンデで、今日、殺される予定だったんだよね。まあ、名目上は不慮の事故ってところかな。どうだい? 君の言う人らしく生きることって、たった金がないくらいで無くなってしまうんだ。そう思えば、こうして私のモルモットになった方が、よっぽど人間になれると思うんだけどね」
「ええい、お前の話は難しい! 俺に学がないからってそれっぽいことを言ってさっきから誤魔化そうとしている! 俺は! 借金を返してもらったことはチャラにしてやるから! 俺を元通りに戻してくれ!」
クズは瞳に涙を浮かべながら叫ぶ。
「いや、君にそもそもの選択権は無いんだよ」
機械の声はその熱い主張に対して、実に機械らしい、「冷めた声」という表現ですら温度を感じてしまうほどに人間味の無い口調で答える。
「私が借金の肩代わりという条件を出したのは借りた側の君ではなく、貸した側の企業だ。勘違いをしてもらっては困るな」
その言葉に、クズは目の周りが皺クチャになるほど大きな瞬きで涙を喰い止ながら、
「うう、でも、それって、あんまりにも、何て言うか、卑怯、じゃないけど」
と、言葉に詰まりながら呟く。続けて、
「だって、改造するにしても、ほら、さっきの、爺さんの、腕の力を、強めるみたいな、カッコいいとまでは、いかなくても、こんなに、汚いのって……」
そこでクズは下を向いて黙った。すかさず機械の声は、
「ハッハッハ、そこも、君の勘違いなのだよ」
と、急に温度の感ぜられる声を発す。
「ハッハッハ、君を惑わす全ての根源は、『唾液は汚い』という固定概念に過ぎないんだよな。いや、考えてもみな。ファンタジーの世界で口から炎を吐くドラゴンがいたとして、その炎は汚いと思うか? 否、むしろカッコいいイメージすらあるじゃないか。それと同じだよ。どうだ? ちょっと外観的にはキツイだけの魔法武器として考えてみれば、それはそんなに悪くないんじゃないか?」
クズは腕を組んで目を瞑り、イメージをする。
今までやったことのあるファンタジー系統のゲームを思い出し、登場した口から火を吹くドラゴンを思い浮かべる。そして、その像に自分を重ねる。大概のドラゴン系のモンスターは、強い。先ず序盤に出てくることは無いし、中盤以降のボスとして祭り上げられていることも少なくない。もっと言えばラスボスとして選出されることも多いかもしれない。
機械の声の狙いはそこにあった。中途半端に
「唾液って、君の体内で作られているんだから。それは自分の一部じゃないか。汚くない、汚くない」
と、唾液の印象を高めるように直球で諭すとしよう。すると、
「でも、ツバはツバだろう?」
と、結局は長年の内にクズの脳みそにこびり付いた唾液に対するイメージを払拭しきれない可能性がある。
一方で、口から何らかが出てくる能力に対して誉めたたえてみるとどうか。
「いや、炎とツバは違えよ」
と、くる可能性もあるのだが、この単純なクズに変化球は有効であった。
「わかった、諦める」
万人にあるであろう、中ボスのドラゴンにコテンパンにされた記憶と、ドラゴンの魅力に憧れた記憶を刺激する。
「ハッハッハ、まあ、勝手に改造しちゃったことは謝っておこうかな、ゴメンね」
機械の声がまるで罪悪感の感じられない謝罪をする。
「じゃあ、改めて彼に教えてもらってくれ。まあ、ちょっと動かすだけなら簡単だから、スッとやってパッと覚えてくれ」
クズは、再び老執事の吐いた唾液を見る。すると、やはりお湯を掛けられたムカデの様にモゾモゾと這いまわっていた。