クズが知る話
老執事に連れられ、クズは再びエレベーターに乗った。
クズが手すりを握り、エレベーターが揺れ始めると、ここでようやくクズは一つだけ謎が解けていないことに気がつく。
(あ、そういえば、俺が振り払った時にこの爺さんがよろけなかった理由、聞いてなかった)
しかし、この老執事の中身がパソコンの中にあるという、よっぽど衝撃的な事実を知ってしまったクズにとって、老執事の屈強さの秘訣など、すでにどうでもいいモノと成り下がっていた。因みに、クズは誤解しているが、正確には老執事の思考回路がパソコンの中に複製されたのであり、この老執事の精神的な部分がまるまるとパソコンの中に入ってしまったわけではない。
先ほどの半分くらいの時間でエレベーターが止まり、ドアが開いた。
すると、クズの目に小学校の体育館のような巨大な空間が映った。
「おおう、これは確かに体を動かすにはいいな」
これから行うことを単純な筋力トレーニング程度に考えていたクズは、体育が始まる前の男子小学生のようなキラキラとした瞳で周囲を見渡し、
「いいな、これいい。てか、監禁されてた部屋にトレーニングマシーンとかいらなかったから、ここで体を動かしたかったな」
と、漏らした。すると、老執事は
「なるほど、次からは気を付けます」
と、スーツの上着を脱ぎながら返事をした。
「うん、次からは頼むよ」
まるで状況を飲み込めていないクズは、まるで飲み会の幹事に対して注文を付ける程度の軽い気持ちで返事をした。
「では、今から体を動かすので、簡単に体をほぐしましょう」
カッターシャツの袖のボタンを外し、腕を捲りながら老執事が言う。
そして二人で小学校の体育の時間の初っ端に行うような簡単な体操をすると、急に「ピンポンパンポン」と、小学校の校内アナウンスの導入に使われるようなチャイムが鳴り、
「アーアーアー。マイクテスッマイクテスッ」
と、機械の声が体育館中に響き渡る。
「えっと、聞えるかい? ハッハッハ、どうだい? 君が幼心を忘れないようにと、頑張って小学校仕様にしてみたんだけど、気に入ってくれたかい? まあ、私はあんまり体を動かす広い部屋に関するイメージを持っていなかったからテキトウに設計したってのが本音なんだけど、それはどうでもいいか」
クズが突っ込みを入れる。
「いや、こんだけ大規模な体育館をテキトウに設計するなよ」
すると、
「ハッハッハ、どうやら聞こえているみたいだね」
と、返事が返ってきた。
「え、こっちの声も聞こえてるの?」
「ハッハッハ、当たり前じゃないか。基本的に、この施設の壁にはどこにでも私の耳があると思ってもらっていいよ」
「え、じゃあ俺はこの建物に入った瞬間からずっと見られていたのか?」
「ハッハッハ、正確には聞かれていた、だけどね」
クズは一人でいた際に発した独り言を思い出し、赤面した。
「それより、どうして彼が君の振り払いに対してよろけなかったか、説明しようか。さっき話しておいてもよかったんだけど、それでも君はちょっと想像力が一般人より劣る節があるから、こうして見てもらった方が分かりやすいと思って。ほら、見てごらん、彼を。全く普通の人間だろう?」
クズが改めて老執事を観察する。が、やはり変わった点は見受けられなかった。
「ハッハッハ、さっき、腕とか足とか脳ミソとかを弄くるよりも唾液腺をいじくった方がケースバイケースの適応力がある、みたいな話をしたろう。腕とか足とか脳なんてのは、真っ先に試したよ。自分の体でね」
と、機械の声が言うと、老執事は右に拳を作り、床を強打した。すると、その床に深さ三センチほどの拳大のくぼみが出来た。
小学生の時分、体育館でバスケットをしていた時に、バウンドがあまりにも下手くそだったクズは、よく足にボールを当てて転んでいた。その際に頭部を勢いよく床にぶつけたことにより、クズは体育館の床の硬さをよく知っていた。
「ハッハッハ、だけどね、やっぱりそっち系の改造は強くはなるんだけど、一発で体に結構な負担がかかっちゃうんだよ。(それに面倒くさいし)」
老執事の右手の骨が折れたようで、床から拳を話した瞬間に手首から先がプラプラと気味悪く揺れていた。
「見て分かるように、強いってだけで必ずしも万能じゃないってことなんだよ。あ、因みにさっきのは足も改造してあるからよろけなかったんだよ」
クズは、
「あーなるほど」
と納得する。しかし、ふと下を向くと、
「え、でも、そんだけ好き勝手に自分を改造しちゃうんなら、俺を改造する必要無かったんじゃ?」
と、返した。
「フム、確かにそういう考え方もできる。だが、私は重要なデータの監視役として自身をノーパソにブチ込んでしまう人間なのだよ。要は鍵を二つは掛けないと心配になる人なんだ。だから私は、少しだけ薄暗い通りにある誰にでもお金を貸してあげる企業さんに頼んで、首が回らないような若者を一人都合付けてもらったんだよ」
「え、じゃあ、最初に組織って名乗ってたのは嘘ってことで、お前と執事の二人で俺を連れてきたのか?」
「ハッハッハ、組織なのは確かさ。少なくとも二人いれば一人じゃないだろう」
クズはそう言われて一瞬だけ納得したが、
「いやいや、でも結局のところ全部お前ひとりじゃないか」
と、誰にジェスチャーを見せるでもなく、顔の前で手を垂直に振った。
「ハッハッハ、私と彼で二人じゃないよ。彼と君で二人じゃないか」
「いや、それだったら最初に組織と名乗るのはおかしい」
「だから、私が闇金にお金を払った時点で、君はもうこちら側の人間になったってことなのだよ」
その屁理屈に対し、クズは渋い顔で
「納得いかない」
と、呟いた。
「で、ここからが本題。さっき、彼を改造したってのは見てもらったのだが、それは腕や足だけでなく、もちろん唾液腺への改造も施してある。一度、私のデータを彼に戻してその能力を使ってみた。まあ、流石は私と言ったところか、使いやすくて便利な機能だと思ったよ。で、今からそれを彼から君にレクチャーしてもらうから、しっかりと覚えたまえ」