クズが狼狽する話
クズの一言は、その乙女の内に秘めた狂気を更に放出させた。
「フフ、『うら若き乙女に対する口のきき方を教えてあげる』これ、一回言ってみたかったんだよネ、フフ、フフ」
純朴そうな表情とは正反対に、少女はマルで子供の悪魔の様に禍々しく笑う。
何となしに身の危険を感じたクズは、裏を向いて逃げた。元々が引き返してきた道なので、頭の中にある地図が示す向きに逃げた。
「フフ、敵に背を向けるノ? いい度胸、それともただのゴミクズ?」
クズが一目散に逃げるのに対し、少女はいたって落ち着いていた。
「フフ、フフ、さぁて、アナタはどうするノ?」
両腕を振って走るクズにその声は聞えないが、それでも少女は構わずに問い掛ける。
「フフ、フフ、そっちに何かあるノ?」
普段運動をしていないとはいえ、成年男性として一般的な体格と平均よりはやや劣る程度の体力を持つクズの全力疾走。長く走ることはできないが、それでもそこが入り組んだ住宅街ということもあり、三十秒程で互いを確認できないくらいの距離が開いた。
ゼエゼエと肩で息をしながら、クズは後ろを確認する。
(さすがに……無理だよな)
少し安心したクズは、一遍だけ深呼吸をして、少し早目の歩調で頭の中の地図を辿った。
頭の中の地図では、クズを示す赤い点は動いていたが、老執事を示す青い点が動いていなかった。老執事からの撤退指令や先の少女の件もあったので、クズは老執事に対して少なからぬ心配をしていたが、それでも自らの身が最もカワイイということもあり、
(執事の爺さん、助けに行けなくてゴメンけど頑張ってくれ)
と、それに関しては知らんぷりを決め込んだ。
クズがひたすらに地図を辿っていくと、十分ほどで先ほど機械の声と老執事から言語情報が送られてきた地点に着いた。歩いている内にそれまでゴチャついていた頭がすっかり冷えたので、クズはもう一度、自らが取るべき行動を考えた。
(爺さんを助けに行くのは……無いな、俺が死ぬ)
(じゃあ、このまま敵のアジトに突っ込むか? それも無い、多分もっとヤバい)
(一旦、機械の声と話しあってみるか? ウーム、それでも爺さんのところに向かえと言われそうだ)
(逆に、今来た道を引き返してみる? 無理無理)
(あー、もう、よくわからん)
せっかく落ち着いた脳ミソをガンガンにフル回転させたクズは、それまでの早歩きのまま、無意識的に地図に示された道をグングンと進んでいった。
そうして歩を進めていくと、クズの頭の中の赤い点は老執事と合流する予定だった場所に辿り着いた。すると、
「フフ、フフ、駄目、じゃない、しっかりと、悪魔は、確認して、おかないト」
そこには先の少女が、軽く肩で息をしながら立っていた。
「え? なんで? 俺、逃げたよ?」
クズは思わず大きな声を出す。
「フフ、やっぱり、アナタって、馬鹿なのネ。常識的に考えて、ワタシが近道を、通ってきたに、決まってんじゃナイ!」
徐々に息が整ってきた少女の言葉に、クズはハッとした。
(そうか、俺が通って来た道は……)
「そう言うコト!」
クズの思考に少女が反応する。クズは口に出していないコトへの反応に、一瞬だけ疑問を抱いたが、少女が直ぐに言葉を繋いだので掻き消された。
「残念なアナタは、マンマと自分の首を絞めちゃったってコト!」
本来は老執事とは無関係という風を装う為の迂回ルートであったが、それが仇となった。クズが迂回ルートを通っている間に、少女は老執事が通る予定であった、乃至はそれよりもっと早く合流地点にたどり着くことのできるルートで先回りしてきたのである。
「ああもう、『急がば回れ』とかいう諺を考案した奴出てこいよ! 遠回りして結句、逃げ切れなかったじゃないか!」
クズは、その諺の表面的な意味だけを取って八つ当たった。少女はクズの狼狽する様を見て、
「フフ、フフ、残念賞! 残念賞! 残念賞は……何もありまセン!」
と、さぞ愉快そうにほくそ笑んだ。
クズは目の前でニマニマと笑う少女に、どこか違和感を感じた。
「……お前、本当に俺を殺したいのか?」
不意に口から飛び出て来た一言に、クズ自身も驚いた。それでも少女はケタケタと笑い続け、
「フフ、フフ、わかんない! アナタを殺してみたいかどうかわかんないけど、でも殺してみたいノ!」
と、その美しい瞳を茫々とどこかに投げ出しながら叫ぶ。続けて
「じゃあ、ワタシの為に、それよりも世の中の為に殺しちゃウ!」
と、吠えると、少女は上着に羽織っていたジャンパーのポケットからステンレス製の定規を右手に握り、クズに飛びかかってきた。




