クズが千切る話
クズの吐き出した液体も唾液らしくなかったが、老執事の吐き出した液体なのか固体なのかよくわからない物体は、それ以上に唾液とは言い難い代物であった。
老執事はしっかりと窪みを狙って吐き出したのだが、その唾液とは言い難い物体は、既にそのクレーターを抜け出して、クズの吐いた唾液を取り込もうとしていた。
「うわ、正義の為の魔法武器とはいえ、何か禍々しいな」
クズが左のほお骨をピクリと浮かせながら呟くと、老執事が
「これはまだまだ初歩、三十分もあれば誰でも習得できます。無論、唾液腺の改造者に限られますが」
と、明らかに慣れていない作り笑いを浮かべた。だがすぐに顔面を戻し、
「では、吐き出す動作は出来たので、次は粘度と量の調節を教授しようと思います。ですが恐らく、先ほど吐き捨てた唾液分で、蓄えられていた試料液を全部使用してしまったと思われます。なので一旦、試料液が途切れてしまった場合の確認方法を説明します」
と、言った。それに対してクズは
「え、そんなん確認できるの?」
と、反応した。すると機械の声が
「ハッハッハ、流石にどんな馬鹿な発明家でも、バッテリー切れとインク切れくらいは警告されるようにするさ。イマドキ、何らかが切れて補給を促す警告が出ないものなんざ、ボールペンのインキと仏さまの堪忍袋の緒くらいしかないよ」
と、クズの反応に反応してきた。
「それだったら、俺がさっき目が覚めた時も何らかの警告が出てたってことなのか?」
「ハッハッハ、いい着眼点だ。まあ、これから彼から説明があると思うから端折るが、その動作を行っていたとすれば警告は出ていた……はずだ」
いつも自信満々だった機械の声が、少し自信なさそうに言う。
「はい、では私が説明します」
その自信の無さに対して怪しまれない様に、機械の声が発し終わると同時に老執事が説明を始めた。
「これもある動作を行い、その反応を見ることによって、警告を感知することが出来ます」
クズは眉をひそめ、唇をクチバシのように突き出し、少し怪訝の念を抱いてますアピールをしながら首を二度、縦に振った。
「基本的には、唾液を出す動作、つまり奥歯を三秒噛みしめて、唾液が出てこなければもう残量は無いと思ってもらってもかまいません」
「まあ、そうだろうな」
「しかし、奥歯の噛みしめ不足や噛み合わせのズレ等で、稀に残量が残っていても出てこない場合があります。そんな時には前歯で舌の先を噛み千切ってください」
まるでスナック菓子の袋が上手く破けない際に、ギザギザに沿って千切り開けることを勧めるような淡白なモノの言い方で、人が自らの命を断つ時に行う代表格とも言える行いを挙げる老執事に、クズは子供がクレヨンで描いた落書きを夜中にヒョイと見せられた時に感じるであろう狂気を感じた。
「いや、怖えよ。舌を噛み切れとか、怖えよ」
いくら思考回路のデータの大半をノートパソコン内にコピーし、その影響で少しだけ人間的な感情が薄れている老執事とはいえ、舌を噛み切ということがどのような行為かくらいは理解している。が、老執事とクズにとっての舌は、既に生まれた時に付いていたものではない。なので、それは血液の流れていない体毛や爪なんかよりも人間の血が薄い部分として認められる。要は自らに付属されているパーツの一部か、自分自身の一部かの違いであり、老執事にとって先ほどの発言は、
「カッターの刃がボロボロになってきたら折ってしまって綺麗な刃を出してください」
と、言っているようなものである。
とは言ってもやはり、いくら改造されているとはいえ、それまでの人生の内で幾度も咀嚼中に舌をも巻き込んでしまったことのある人間にいきなりの発言では、構えるのは当然のことである。
「ハッハッハ、大丈夫、大丈夫。噛み千切るって言っても、本当に先っちょのところだけでいいから。ほら、舌がザラザラしてる部分とヌメヌメしてる部分……って言っても、君の口内は今カラッカラだろうからヌメヌメ感も無いだろうけど、まあ、ザラザラとの境目の部分をチョロっと噛んでくれればいいから。痛くないよ。多分」
老執事と比較して、感覚的にはクズに近い機械の声が老執事に助け船を出す。
「え、でも、そんなこと言って血がダバダバ出てきたら嫌だし。俺、血の味嫌いなんだよ。鉄臭くて」
クズは今は味覚が無いことを忘れ、口内に血の味を思いだす。
「大丈夫だって。君の唾液腺を弄った時に、邪魔だったから血管とか神経とか取っ払ったから」
「え、神経がなかったら味覚も無いじゃん」
「ハッハッハ、その辺はぬかりないよ。食事は人生の楽しみの内の一つって言うからね。ホラ、私はその辺の理解が大きいから、ここに来てから不味い飯を食わせたことがなかったろう。味覚は神経とは別個で、特殊なセンサーを付けといたから大丈夫。舌の上に唾液以外のモノが感知された時、脳に直接電波を送る設計さ。てか、さっき試験液を口に含んだ時、ちゃんと甘ったるかっただろう?」
「ああ、そういえば」
クズは大きく頷く。
「一旦、唾液腺に入っちゃえばセンサーが感知して唾液に変わるけど、クイッと飲んだ瞬間は全くの別物として扱われるんだよ」
「ふーん、何かよくわかんないんだけど、要は舌を噛んでも大丈夫ってことだな?」
クズは、機械の声が述べた事柄について、断片的にしか理解できなかったのだが、それでもクズの頭の中にある記憶とその断片的な部分が一致したため、老執事の言っていたことも事実と判断した。
「ハッハッハ、まあ、分かってくれたならいいよ」
機械の声が言うと、クズは老執事の方を見て頷き、それに対して老執事も頷いた。そして
「じゃあ、こんだけ噛めばいいか?」
と、舌の先を歯の合間に挟んで老執事に見せると、クズは歯ごたえの良いキャベツを噛む要領で舌を噛み千切った。




