第五話 蒼雷の夢
少年は青水晶の塔を見上げていた。
塔の先は分厚い雲に隠れ、羽使いの庭から確認することはできない。
地上を旅立つ羽ばたきの音が、パーシバルを包み込む。
音は塔に吸い込まれ、やがて静寂が広がった。
見覚えのある紅の翼が、パーシバルの横をすり抜けていく。
『ジェリー』
何度呼びかけても、ジェラルドは振り向かない。
空を飛べないパーシバルは、庭に敷き詰められた鉱石の欠片に足を取られ、前に進めなかった。
『待って。……ジェリー!』
ジェラルドの姿が遠ざかっていく。
塔は目の前にあるのに、どんなに走っても入口に辿りつけない。
『そっちに行っちゃ駄目だ。君は……』
黒い片翼を広げ、パーシバルは地を蹴った。ふわりと身体が宙に浮く。
全神経を翼に集中させ、パーシバルは飛行を試みた。
うまく飛べないことなどわかっている。それでも、ジェラルドに近づきたかった。
『ジェリー!お願い、……戻ってきて!』
必死に伸ばした指先は、しかし、ジェラルドに触れることはなかった。
友は更なる高みを目指し、紅の翼を広げる。
パーシバルの翼では、身体を浮かせることが限界だった。
前に進む力を持たない少年は、ジェラルドが雲の中に消えるのを呆然と見つめていた。
刹那、雷鳴に似た轟音がパーシバルの鼓膜を震わせる。
空から襲いかかる暴風に、少年の片翼は耐えきれず、そのまま地面に身体を打ちつけた。
分厚い雲の隙間から一筋の光が射す。
パーシバルの頬をふわりと一枚の羽が撫でた。
光の筋の中で、鮮やかな紅が舞っている。
地に倒れ伏す塊。地を染める赤、緋、紅。
友の亡骸を視界におさめたと同時に、少年の喉から悲痛な叫び声が漏れた。
「パーシバル」
肩に触れる温かなぬくもりに、パーシバルは、はっと目蓋を開いた。
白衣に身を包んだロゼが、不思議そうにパーシバルの顔を覗き込む。
「嫌な夢でも見たのかい。うなされていた」
「先生。……おはようございます」
「おはよう」
寝台から出ようと一歩足を踏み出した少年は、途端にバランスを崩し、床に膝をついた。
夢の名残が、彼の末端神経を刺激する。
ロゼの手を借りて立ち上がったものの、指先の微かな震えは隠しきれなかった。
「具合が悪いのかい?」
「いえ、大丈夫です。……今、何時ですか」
ロゼの腕時計を覗き込む。時計の針は八時三十分を指していた。
パーシバルは慌てて制服に着替え、慣れた手つきでリボンタイを結んだ。
聖エルフィス学園の厳しい規律は、生徒たちの休日にまで影響を及ぼしている。
「今日、何か予定が入っていたっけ?空間転移術の実験を手伝ってもらおうと思ったんだけど」
「すみません、先生。今日はジェリーと約束をしていて。その、……羽使いの庭に」
ロゼの大きな手がパーシバルの黒髪を撫でた。
養父の目はこの上無く穏やかで、慈愛に満ちている。
「そうか。行っておいで。……約束の場所は、いつもの時計塔かい?黒馬車の中で朝食を食べるといい」
「はい」
黒馬車の予約をとるから、とロゼは階下へ向かった。
羽使いの街では、ユニフスから派遣された翼のない大人たちのために、交通機関が用意されている。ロゼ曰く、ユニフスの大人たちは羽使いの街とは別の場所で生を受けたという。
天上都市ユニフスには、多くの種族や街が存在しているらしい。
黒馬車の中で繰り広げられる話は、どれも現実味がなかった。
翼を持たない種族の話は、ロゼなりの慰めなのだろう。
パーシバルは、枕元に置いた宝玉を手にとる。
表面に彫られた言霊を口にすれば、翼は跡形もなく消えてしまう。
(穢れた翼を、切り払い……か……)
夢の中で、パーシバルは友を止めることができなかった。
最後に目にしたジェラルドの残骸を思い出すだけで、震えが止まらなくなる。
(何が、正しいのだろう……)
鞄の奥深くに宝玉をしまいこみ、パーシバルは息をついた。
窓から見える青水晶の塔は、陽光を浴びて海色に輝いている。
ユニフスタワーに見入る少年の耳に、黒馬車の到着を告げるベルの音が届いた。