第四幕 最初の洗礼
トリガー・ハッピーエンド
火薬ヶ島の扉は回転扉だ。
通常の扉とは異なり、空間を小分けにすることで建物内の室温を保つ効果が期待できるので大型ビルや高層マンションにも珍しくない造りだ。その反面に身体を挟んで命に関わる事故が出てきているので決して気を抜ける場面ではない。
内装はまるでホテルのロビーだ。
明かりが点いてないのか中は薄暗く、ゆうのすけは目を凝らして周囲を見渡す。頭上に古びたシャンデリアに鑑賞植物、待合用のソファー、受付カウンター、そして真っ赤な絨毯が敷いてあった。
高級ホテル顔負けの演出と景色。これをネット上の画像で確認して予約した人間は絶望することだろう。なにせ床一面には『あるもの』が敷いてあるのだから。
自動照明のようにシャンデリアに灯がともる。
明順応していくゆうのすけとしずるの視界は上ではなく、むしろ明るくなることではっきりと浮かび上がってきた『それ』に釘付けになった。
それはーー、大量の衣服。
敷物だと思っていたそれはもともと誰かが着ていたであろう衣類だったのだ。防刃ベストや防弾チョッキなどの穏やかじゃないものばかりが目に飛び込んでくる。そしてなによりそれらの着色は仕様ものではなく、明らかに悪意が込められたものだった。
そう、衣服は血液で真っ赤に染まっていたのだ。
『悪意ある加工』からずいぶん時間が経っているのか、血液は凝固しつくして衣服をガチガチに固めている。それ以上に血液特有のエグい異臭がゆうのすけの吐瀉衝動を駆り立てる。ゆうのすけはおそるおそるしずるの顔を伺って確認するように呟いた。
「な、なんだよこれ。大丈夫なのか?」
「たぶん、先に突入した調査隊のものやと思うよ」
「そうじゃなくて、これの持ち主はどこに行ったんだ!」
富山しずるは息を殺して黙る。
眼前に積み上げられた衣服をジッと眺めている。よく観察すると無残に裂けているものや大穴が空いているものまで様々な傷跡があるではないか。そのどれもから血の臭いがする。ひょっとしたら『中身』が紛れているのではないかと考えて、ゆうのすけは目を背けた。
「たぶん、全員やられてるね。おそらく罠に掛かったかな」
トラップ。人を消し去る罠。
ゆうのすけは正直怯えていた。
どうやったらこんな状況が作り出せるのだろうか。なんの為に衣服だけをここに残しているのか。『悪意ある加工』の目的とは何か。これをやったやつは何者なのか。意味不明過ぎるこの状況は常人の判断力を削いでいった。
ーーーーそこへ突然、電話の呼び出し音が響く。
ゆうのすけは自分の携帯電話へと目を落とすが着信ではない。しずるに至っては自らの携帯端末には目もくれずに周囲を見渡していた。そしてすぐに呼び出し音の正体に気付く。それはこの空間には必ずある場所にあった。
そこは、ホテルの受付カウンター。亀型の固定電話器。
不気味に点滅する亀の甲羅からは無機質な音が規則正しく鳴りひびく。二人に電話に出ることを強要させる迫力がこの場にはあった。緑色の光沢を放つ受話器は高級感に包まれていた。
ゆうのすけの動悸が激しくなる。
明らかに誘っている電話。これは天国につながっているのか、それとも死の宣告なのだろうか。もし仮に失敗すればおそらく彼らと同じ運命を辿ることになる。思考はいやでも良くない方向へと流されてしまう。
選択を誤れば、ーー服だけ残して、死ぬ。
「なーんも心配いらんよ」
ぎゅっとジャージの裾を握る小さな手に気付いた。
富山しずるはいつもの無邪気な笑みを浮かべる。
「ーーゆっちゃんはあたしが守るもん」
それは自信に満ちた笑みであった。
本当は怖いであろう富山しずるは相方を見るに見かねて励ましたのだろう。心が折れそうなゆうのすけを支えようとした微笑みはゆうのすけに苦笑いする程度の元気を湧かせることに成功した。
富山しずるは強引にゆうのすけの手を引く。
受付カウンターの脇にある従業員用のゲートから中へ入り、鳴り止まない電話の前に立つ。自らの仕事だと言わんばかりに点滅するランプを一別すると、勢いよく受話器を取り上げた。
そして、ーー底なしのトラップが発動した。
さっきまで床だった真っ赤な絨毯が斜めに傾き、下へと開いていく。地面に固定してあるソファーや観賞植物、そして平積みされた衣服を除く全てがロビー中央に出来た穴に落ちていく。ゆうのすけとしずるの居る受付カウンター内以外の床は実質なくなった。
受付台から空いた大穴をのぞき込む。
底なしの闇が延々と続いていた。さっきまでの床は四方の壁と同化しており、ソファーなども重力に反してくっついたままである。どうやらもともとそういう造りらしい。
富山しずるが隣から備え付けのボールペンをほうり投げる。
重力に負けて落下する筆記具はそのまま深い闇へと姿を消した。穴からは音が聞こえないあたり、この穴の深度が窺えるものだ。
「なんぞこれ?」
「巨大落とし穴の罠やね。あのまま電話に出なかったらあたしらも呑まれてたよ。床下から吹くすきま風に気付いたのが幸いやったよ、機転が早くて助かったね」
「……お前、凄いな」
「えっ! ほんまに!」
富山しずるは思わず歓声をあげる。
しずるが褒めて伸びるタイプであることを知っているゆうのすけはちゃんと彼女を褒めてやることにしている。褒めるとしずるのパフォーマンスが上がり、良い意味でも悪い意味でも調子に乗ることが出来るのだ。
「ああ、普通に凄いぞ」
「やめて、は、恥ずかしいよ。けど褒めてほしいよ。ああ、なんか胸の胸骨あたりがむずむずしてるよ。幸せ苦しい。これが嬉しいってことなんかもね。というわけで、もっとさりげなく褒めてよ」
「…………調子にのるな、もう褒めない」
「あうっ」
「こりゃ驚きたまげたぜぇ。まさかこんな子どもにこのトラップが破られるなんてよ」
聞き慣れない声が響く。
しずるが手にする亀型の受話器。金属だと思っていた四肢をばたばた動かしている。小さな悲鳴を上げて亀から手を放すと、重力に負けて受付カウンターの上へと転がり落ちた。数回スピンした後に亀は当たり前であるかのように直立した。
「異世界へようこそ、浴衣のお嬢ちゃんにジャージのお兄ちゃん」
受話器の亀は、丁寧にお辞儀をした。
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