第弐幕 嘘から出た大嘘 其の弐
トリガー・ハッピーエンド
第弐幕 嘘から出た大嘘 其の弐
富山しずるは嬉しそうに笑う。
休憩室の中をくるくると地面を滑るように回転する様はまるで踊っているかのような調子である。これはしずるが嬉しいときに無意識で起こす仕草であるが、この状況ではあまり賢い行動とは言えなかった。しずるが気付いた頃にはもう休憩室の扉は閉められていたのだから。
「……てめえ、俺を試したな」
「ゆっちゃん。……もしかしてすっごく怒っとる?」
しずるは勢いよくゆうのすけから間合いを取る。
口調の変化を敏感に読み取ったしずるはゆうのすけより一瞬だけはやく距離を置くことでこの拮抗状態を作ることができた。もしもあのまま離れなければ間違いなくやられていた、と直感する。ゆうのすけは平静を装ってしずるへと歩み寄った。
「そんなわけないだろう? 俺が一度でも怒ったことがあったか?」
「あるよ! むしろいつも怒ってるじゃん。イライラしてるっていうか、そわそわしているっていうか」
その返事と同時に富山しずるはまた後退する。
入り口を背にしたゆうのすけからしずるは部屋の隅に追い詰められる形になっていく。しずるは他に退路がないか探すけれども、はめ殺しの窓とハンモックと二段ベッドしかない休憩室にそんなも場所はなかった。
「そんなことはない。あれ、もしかして俺を怒らせるような何かまずいことでもしたのか? 何か心当たりでもあるのか?」
「うぐぐ、やっぱり怒ってるじゃん」
しずるは部屋の奥へと逃げる。
手に当たる丸テーブルに気付くと、それの向こう側に素早く回り込むことでゆうのすけとの間に丸テーブルを挟むことに成功した。迫り来る溶岩の如くゆっくりと前進するゆうのすけの足は丸テーブルの端が当たることでようやく制止した。
「……俺を信用できないのか?」
「うん、いまのゆっちゃんはね」
「そうか、なら仕方ない」
ゆうのすけは左手の小指を差し出す。
何をされるのかとしずるは怯えていたが、表情はすぐに戸惑いで満たされた。これは俗に言う『指切りゲンマン』のポーズを取る。この場面での行動にしずるは度肝を抜かれた。
「まいった、俺の根負けだ。俺はこの件に関してしずるに危害を加えない。『約束』してやる。それで今回のお仕置きは勘弁してやる」
しずるにはこの意味が判っていた。
左手小指の指切りゲンマン。それはゆうのすけの『呪い』である。
左手の小指での指切りで成立する『約束』を氷見ゆうのすけは決して約束を破ることができない。万が一約束を破れば、『副作用』によって甚大な『ペナルティ』を背負うことになる。そこに屁理屈はない。
呪いのプロであるしずるにはゆうのすけ以上に『約束』の重さを理解していた。
「こんなのに『約束』してもいいの? あとで悔やんでも遅いんやよ」
「ああ、お前の勝ちだ。ペナルティを承知で約束を反古にしてまでお前を咎めるつもりもない。これは仲直りの印だ。さあ早く」
おそるおそるしずるは丸テーブルの端から手を伸ばす。
いまならゆうのすけの言葉は本心からの約束だと、和解の指切りゲンマンなのだとすこしだけ信じられる。むしろこれを逃して延々と引きずることは避けたかった。
フック状に曲げた小指をゆうのすけの小指に引っかける。
仲直りの証を示そうとする。
しかし、ーーゆうのすけの左手はそうしなかった。
「……、……あれ?」
目にも止まらぬ早業だった。
しずるの小指が触れた瞬間、ポケットに隠していた右手でしずるの手首を力強く捉えたのである。がっちりと固定された左手首は引き抜こうとしてもびくともしない。
「……ゆっちゃん? これじゃあ指切りできんよ」
「指切り? なんの話だか判らないな」
「……、……うげっ!」
しずるは、ーーーー騙されたのだ。
『不反古の約束』は確かに本物だけれども、約束はまだ成立していない。それゆえに指切りする直前はまだ約束は未成立であるので自由に行動ができる。つまり、「『約束』すると『約束』はしていない」という屁理屈をこの場で突き通したのである。
富山しずるが気付いた時には手遅れだった。
ゆうのすけは右手でしずるをたぐり寄せると後ろから羽交い締めにする。さらに左腕で首を押さえて逃げられないように拘束した。しずるの細腕にはこの状況を打開する手段はない。まさに手も足も出ない状態にされてしまった。
「ひ、卑怯やよ! 卑怯卑怯卑怯っ! 約束するって言ったんに! ゆっちゃんのことを信じとったんに!」
「やかましい。俺をおちょくるとどういう目に遭うか教えてやらないと気が済まない。『教育的指導』ってやつだな。二度とこんな真似が出来ないようにしてやる」
「ひいっ! だ、誰か助けて。船長さん! 操縦桿なんかほっといてゆっちゃんを止めてよ。あたしが沈没しちゃう。くそー、こうなったらお兄ちゃんに緊急信号を送って助けてもらーーーーうひゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」
しずるの甲高い悲鳴が響く。
ゆうのすけの左手がしずるの首筋をゆっくりとなで上げたのである。過敏に反応したしずるは思わずあられもない声を上げて身体を丸くする。もちろんゆうのすけは承知の上で行ったのである。
要はただのくすぐり。けれどこれは富山しずるにとって絶大すぎるほどの効果を持っていた。
「うるさいぞ。次に騒いだら脇をくすぐる」
「そ、そんなことされたら、笑い死んじゃう。お願い、お願いします! もうゆっちゃんをからかったりしません。心を入れ替えました。今は反省してます。ごめんなさい」
「よし、『ごめんなさい』を十回言えたら許してやる」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ、ーーーーいくゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」
ゆうのすけは耳を優しく撫でる。
予想外の場所に触れられたことでしずるの言葉は無意識に遮られ、九回目で中断させられた。条件反射のように身体を反応させたしずるは身体をそり上げて目を白黒させる。それでもゆうのすけはしずるを逃がすことはない。
「……っ、た、たしゅけて、くらはい。あたし、おかしくなりゅ、やから、やめれ、やめれくらはい。お、おねがっああああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーッツ!」
「お前が喜んでくれてなによりだ」




