39 隠されたもうひとつの長
★★★
俺は天国の部屋から逃げ出した。
出口から転がるように退出した俺はこれからなにをすればいいのか判らなくなって、扉にもたれかかってしまう。
まだ中にいるであろう手負いの彼女を持てあましたからであろうか。
とにかく富山しずると一緒にいたくなかった。
なんにせよ怖い。彼女がたまらなく怖かった。
「もう、火薬ヶ島から出よう」
この島には用がないのだから。
彼女と一緒に島から出るよりいくらかマシである。
あれのことはもう忘れよう。きっと悪性新生物だったに違いない。
未練を振り切るように、地獄の扉へと向かう。
地獄の部屋は重厚な漆塗りのドアだ。
内装はさきほど確認したーー豪勢なダンスホールと生々しい石像が十二体ばかりである。
マネキンにも似た彼らは曲がないにもかかわらずまるで踊っているかのような造形であった。
いまにも動き出しそうなほど精巧に作られているこれらはなるべく直視したくない。
絢爛豪華な地獄絵図。
地獄で開く舞踏会といった趣なのか。
ステージを横切った部屋の最奧には出口である『地獄のエレベータ』が見えた。
あそこに乗れば地上へと帰られる。
もう何年も帰っていないかのような気持ちである。さっさと帰りたい。
しかし、そう簡単にはいかないらしい。
石像の間を縫うように進んでいく俺の耳はある物音を捕らえたのだから。
ガチャリ、とドアノブを回す音が聞こえる。
ほとんど反射的、危機管理能力のせいで振り返ってしまい、後悔した。
そこには、いま一番会いたくないひとが立っていたからだ。
「俺が帰るまでこっちに来るなっていったろ」
「…………ゆっちゃん」
富山しずるである。
ドアを後ろ手に閉めた彼女はただオロオロとした態度でこちらを見ている。
本当に勘に触るヤツだ。
「ごめんなさい、ちゃんと説明しないあたしが間違ってた」
「…………」
「ここを出たらちゃんと説明するから、それで許してください。お願い」
「……絶対だぞ?」
「約束する、なんなら指切りしてもいい」
そう言ってしずるは左手の小指を立てる。
左手での約束は決して破れないジンクスがあるので、よほど本気なのだろう。
そんな一生懸命な彼女を見て、一気に肩のちからが抜けてしまった。
少しだけ、大人げない態度だったかもしれない。
「それじゃあ、こっち来いよ」
「うん、ありがとう」
富山しずるは表情を明るくした。
そして、ヨタヨタと歩きずらそうに寄ってくる彼女を待つことにした。
そんな彼女に、違和感を憶える。
富山しずるの足取りに、違和感を憶えたのだ。
「……お前、足を怪我したのか?」
「……え?」
「いや、だからここへ来るまでに足を怪我したのかって聞いてるんだよ。俺がいない間に天国の部屋でなにかに蹴躓いたりしたのか?」
「なに言ってるの? ゆっちゃんも見てたじゃんか、エゴに足を潰されるとこ」
その瞬間、俺の全身から鳥肌が立つ。
先のみえない恐怖ーーー海上から深海をのぞきこんだかのような底知れなさを感じた。
そして、圧倒的な悪意を秘めた彼女からさっきの倍は距離を開いたのである。
彼女はキョトン、と惚けた風にこちらを見てた。
「いいや、違うね。俺が知ってるのは”右脚”を怪我しているしずるだ。お前は”両足”に切れ込みを入れている。それはお前は”しずるがどっちの足を潰されたのか知らない”からだ、だから両方のアキレス腱に傷を入れたんだろう」
「……どうでもいいよ、はやく帰ろう」
「やだね、おまえ敵だろう」
その時、しずるの目がギラリと輝くのを感じた。
その眼光は明らかに人へ向けるものではなく、本性を隠した瞳である。
「……賢い男は嫌いだよ」
髪をかき上げるしずるに対して戦慄する。
諦めと皮肉を込めた彼女の言葉は凍てつくように冷たかった。
乾ききっていたといってもいい、見下すことに長けている眼差しである。
「やっぱり自分の目で見なきゃだめだな、会話だけじゃあ足を怪我したことは判るけれど左右どっちの足を怪我したのか判らんものな。だからどっちでもいいように両方に切れ込みを入れといたけれど、まさに痛いところを突かれたってかんじ?」
「お前、一体何者だ」
「名乗るほどのモノじゃないよ、教科書に名前が載るようなヤツでもない」
ふざけているのか、と思う。
しかし恐ろしくて言い返すことなどできない。
こいつはおそらく悪性新生物・リュカではない。
もっと違う、なにかである。
「お前らがまさか火薬の長と和解しちまうなんてたまげたことをするもんだから、僕が出なきゃいけなくなっただろうが、どうしてくれる。ちゃんと敵は殺してくれないと、死んでったみんなが消化不良で浮かばれないだろう」
「だから、おまえ誰なんだよ!」
「まだ判らない? セーフティでの事件を野放しにしちゃったからこうなったんだろうがよ、畳めねえ風呂敷なら最初っから広げるんじゃねーっての。まあキャンディと違い、お前らが引き返さなかったことだけは褒めてやるけどな」
「……なるほど、すべてが繋がった」
そこでピンとくる。
目の前にいるヤツが誰なのか。
いや、誰を演じていたヤツなのかを実感する。
セーフティでの三つの事件。
高水義正の滅多刺し事件。
ヒーロー・ピカイチのバラバラ事件。
セーフティにいたスタッフ六名の積み上げ事件。
その犯人が目の前にいるのだ。
最期に、声帯へ手を当てヤツ自身が答えた。
「僕だよーーー最初に殺された高水義正だよ」
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