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32 紅白のシブキに染まって。

 ★★★★★


 目の端で捕らえたのは水かきの付いた手であった。

 モスグリーンをより白くした怪腕はほとんど残像となって足場になった武器を押しのける。弾ける武器たちが大胆な目眩ましとなり、さらに反応速度を鈍らせた。

 そもそも足場いが崩れて飛び退くことも出来ない。

 刃物のように尖ったかぎ爪を前には、このジャージの防御力ではとても防ぎきれない。

 もう手の打ちようがない。

 けれど、足の出しようはあったようである。


「緊急回避キィーック」


 俺の身体はーーおもいっきり蹴飛ばされる。

 もちろんかぎ爪のものではない。流星の如く飛来した富山しずるの跳び蹴りは俺の脇腹に炸裂し、かぎ爪の猛威のそとへと弾きだした。反動で自分の回避も忘れないところも抜け目ない彼女らしい行動だった。

 しずるは出口側へ、俺は部屋の奥側へと弾き出される。

 しかし、ーーー火薬の長の不意打ちはそんなに単調ではなかった。


 伸びた手が、ぐにゃりとひん曲がる。

 水飴や溶解した鉄を連想させる腕は、ムチ以上のしなりとスナイパー顔負けの命中精度でしずるの小さな体躯をまるごと鷲づかみにした。あまりに自由自在の動きに思わずあっけに取られてしまった。

 あっという間にしずるは捕まってしまった。


「あ、あぐ……」


「甘いぜ、俺様が指をくわえて見ているだけと思ったかまぬけが! 火薬の長に逆らうものがどうなるか教えてくれるぜ」


「こ、降参だ! もう肘鉄は諦める、だからそれ以上はーーー」


 ぐしゃり、と何かが潰れる音が聞こえた。

 そして、液体が滴る音が後から続く。


 ぐったりと、しずるの身体から力が抜け落ちた。

 あの鋭利なかぎ爪で掴まれたのだ、全身出血は避けられない。

 腕を伸ばす、という強襲。最初から知っていなければ避けようのない攻撃なのだから、いかにマジカルスターとしてのキャリアを持つしずるといえど、避けられなかった。


「勝負ありだな、これではいままでのスターと変わらんではないか」


「あ、あああ、……こんなことって」


 完全に、俺のせいだった。

 しずるがひとりで来ていたのならば、絶対にこんな結果にはならなかっただろう。火薬の長との知恵比べにも負けることはなかったはずだ。

 あまりにもあっけないエンディング。



 ふと、奇妙な点に気付く。

 彼女の身体から流れる血の香りーー鼻を突く鉄の異臭であるはずが、まったく臭わないのである。血の臭いならば一瞬で判るはずなのに、この香りはどこかで嗅いだことのある甘い香り。

 ーーーそう、野菜ジュースの香りだ。


「河童が相手ならもちろん腕が伸びることなんて計算の内、そして姑息な地形攻撃も充分承知しているんだよ。かませでもないんだから、こんなところでやられるわけないじゃん」


 しずるの身体がずるり、とかぎ爪からずり落ちる。

 ガッチリと着物に食い込んだはずの怪腕は、空を掴むかのようにしずるを捕らえ損ねる。そして掴まれていた本人はふわっと音もなく着地をしてのけた。


「マジカルスター、なぜ生きている。それにどうやって俺様の手から抜け落ちたんだ」


「冥土のみやげに教えてあげる。あたしのこの浴衣は『紙一重アーマー』と言って、太平洋で確認されたスターフィッシュの鱗を三万匹分使って加工したものなの。表面に触れたものとの摩擦係数はゼロになって刃物や銃弾の軌道を狂わせてしまう。つまりうなぎの粘膜と同じなんだよ」


 エゴのかぎ爪はしずるの肉に届いていなかった。

 さっきの血はしずるが懐に隠し持っていたペットボトルの中身をわざと零したのだ。そして油断した隙を突いて『紙一重アーマー』の特性を生かしてずるり、と抜け落ちた。

 こんなとんでも装備に救われた結果である。

 まさに紙一重の回避。ゆえに紙一重アーマー。


 エゴは怪腕はすさまじい勢いで主の元へと収縮した。

 間に埋まった腕の部分もあらわになり、ざっと十二メートルほどの射程と目算した腕は伸びきったバンジージャンプのゴムであるかのように元の形へと還っていく。そして、エゴは肩をコキコキ、と鳴らしながら気だるそうに立ち上がった。


「ほうほう、確かに便利そうなおべべじゃねーか。だがこれからどうする? どんな手品もタネが割れればどうってことはない。この玩具の山から『火薬・肘鉄』を見つけることが出来るのかね」


「……」


「なんにせよ、俺様のやることはひとつのみ。お前らをーーミンチにしてくれるぜ」


 瞬間、二人の身体に戦慄が走る。

 あきらかに人間の造形からかけ離れた両腕の怪腕ーーまるでミキサーの刃のように回転を始めたのである。掴んだものをそのまま捻りきるようにあらかじめ設計されたその回転は鳴門海峡のうずしおにも似た迫力と危険な魅力を秘めていた。

 しずるの紙一重アーマーを見越しての変形なのだろう。

 アレなら露出した肌ーー前腕や手、細い首をピンポイントに抉ることができるのだから、さっきの紙一重アクションはもうできない。できたとしても次の連弾で、ヤツの宣言通りミンチにされてしまうのが落ちである。


 状況は一気に深刻化した。

 エゴの強硬な皮膚の前では、俺のブロークンハートも突き立てる前に砕けてしまうだろう。いくら刃を何度も再生するとは言っても、所詮は接戦での微量なアドバンテージに過ぎない。傷は付けられるだろうけれど、代わりに命をむしり取られる。


「なにも、変わらんよ」


 しずるはそう言った。

 俺に向けてだろうか、さらに奧にいる火薬の長に対しての言葉であろうか。

 はたまた何かのメッセージなのだろうか。


「見せてあげる、あたしとスプラッシュの本当の戦い方をね」


 しずるは初めて、両太股に付いたホルダーから紅白の”スプラッシュ”を引き抜いた。


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