第六話 Ⅳ 狂った悪魔に花束を。
トリガー・ハッピーエンド
狂った悪魔に花束を。
フロア全体を揺るがす衝撃とともに鉄球は出口を砕く。
出口の扉は勢いを殺しきれずに四散し、鉄球は床の接地面を抉りながら壁にぶつかることでようやく停止した。正方形の部屋はただそれだけで軋みをあげていた
「高水さん!」
「……」
ゆうのすけは階段でうつ伏せる高水義正へと近付く。
しかし、高水から返事はなく、ゆうのすけ自身もなにもできなかった。
それは目の前の惨状を見ていられないからでもある。
高水の下半身は潰されていた。
手すりで腹滑りをした状態で鉄球が通過したのだから無理もない。おそらく瞬間的に潰されたのであろう両足からは血が滴ってジーンスがどす黒い赤に染まっていた。
高水に意識はなかった。
それは唯一救いになる点だろう。かりにこの場で彼に意識があれば激痛と絶望感でのたうち回ることになるのだから。もっともここまで徹底的に破壊された両下肢では歩くことさえままならないだろうけれども。
急にゆうのすけの心に怒りが湧いた。
高水義正には義理もなにもないし恩義もない。偽りの協力関係である。出会ってまだ一日も経たない赤の他人である。情など湧くはずもない。
けれど、ゆうのすけはあの悪性新生物を許せなかった。
人間からこうもあっさりと自由を奪い去る存在が看過できなかった。
それは、自分の左手も味わったことのある屈辱であったから。
高水を置いてゆうのすけは階段を下りる。
すると想像通りに鉄球が壁からひとりでに転がり、こちらへとゆっくり接近していた。ゆうのすけと同じくらいの丈はある鉄球はまるで意志を持つかのように何もない場所で停止した。
ゆっくりと『ブロークン・ハート』を逆手に構えた。
「荷物を増やすんじゃねえよ、黒飴ちゃんよぉ」
☆☆☆
猛威を振るう鉄球には『ミスティ』という名前がある。
ミスティは圧倒的な質量で外敵を挽き殺し、その残骸をルートにちりばめることを目的としている。栄養補給や力の根源などは謎に包まれている悪性新生物である。
高水義正ならば知っていたが、彼がいない今は知る術はない。
ミスティは助走もなしにゆうのすけへと突撃する。
相手の得物など一切の不安要素を無視する攻防一体の体当たり。それは確かな殺意を持ってゆうのすけの肉体を挽き殺すために敢行した。
「こっちだ、こっちに来い」
ゆうのすけは部屋を縦横無尽に駆け出した、
初撃を外したミスティは壁を抉りながら方向転換したあとに獲物の後を追いかけ始めた。しかし、正方形の部屋を円上に駆け回るゆうのすけをミスティはどうしても捉えることができなかった。円を描くゆうのすけを線で捉えようとする攻撃はすべて空を切るしかない。
ゆうのすけの思惑通りである。
この鉄球は直線においてはかなりのスピードを誇るがその分曲線運動には弱い。あれだけの重量がある巨体をそうやすやすとコントロールできるはずがないという推測が当たったのだ。
要は円運動に弱い鰐と同じ理屈なのである。
長所は同時に短所でもある。
例え悪性新生物といえど、魔女といえど例外ではない。
ゆうのすけの見解は間違ってはいない。
混乱の中から見いだしたミスティの特性はほぼ満点に近いと言える。
しかし決定的に足りないとすれば、悪性新生物への認識だ。
彼らには人間の常識など超越していることを忘れていたのだ。
「おいおい、俺より賢いんじゃないかこいつ」
ミスティは部屋の中心で徐々に膨らんでいた。
部屋の三割程度を占める大きさになりながらも膨張するスピードは止まらない。もはやゆうのすけの身長をゆうに超えた黒い巨体はまさに岩石と呼ぶにふさわしかった。
ついにゆうのすけの逃げ場がなくなる。
追い詰めたゆうのすけを潰そうとするミスティを避ける為に部屋の隅で体育座りをした。すると今度は膨張した巨体が邪魔で角にデッドスペースにしゃがみ込むゆうのすけを潰すことができないのだ。
大きいという長所を詰め切れないという弱点に転換したのだ。
「……、…………」
しかし、それだけでは終わらなかった。
ミスティは自ら回転することで部屋の角そのものを壊し始めたのだ。耳を突く部屋の破壊音は少しずつではあるが壁ごと破るつもりだ。密閉された空間を力任せに潰そうとするミスティが目と鼻の先に迫る鉄球にゆうのすけは手の打ちようがなかった。
それは、意外にも妙手であったらしい。
ミスティとの接地面は徐々に埋まっていき、壁は軋みを上げていまにも崩れてしまいそうだ。どんなに優秀な小細工もここまで出来上がった状態ではどうしようもない。
「……ここまでか」
ゆうのすけは悟った。これがほんとの詰みであることを。
短い人生だった。まだあまのじゃくの呪いを解いていないのに、やらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、それなのにこんなところで。
不思議と涙が零れた。
ずっと死にたかったはずなのに。
とっくに死んでいたはずなのに。
本当に死ぬときは、こんなにも怖いなんて。
涙が零れないように上を向いた。けれど止まらなかった。
ーー富山しずる、ごめん。
「そんなことで泣いてはいけない。男が泣いていいのは親しい者の成功と悲報、そして感動した時だけだ。キミは良くやった、むしろ笑うべきなのだ。歯をむき出して笑うといい」
視界に人影を捉える。
それも普通の格好ではない。全身を特殊装甲で武装した金色の人物である。
その人物は、見上げた天井に『立っている』のだ。
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