その参 間に合わないなんて、言わせない
トリガー・ハッピーエンド
間に合わないなんて、言わせない。
高水義正の反応よりわずかに早く、罠が起動した。
氷見ゆうのすけが遥か頭上の後方を見上げると、果てしなく延びる階段の闇から『なにか』が地鳴りのような音を上げてこちらへ近付いてくる。二人でやっと通れた階段の隙間をびっしりと埋め尽くすそれはゆうのすけたちよりも大きかった。
「おいおい、凄いな。誰だよ、あんなの持ち出した力自慢さんは……」
「はは、なんであんなものがここに……」
ーー巨大な鉄球である。
階段の段をまるごと砕きながら重力に乗ることで徐々に加速を付けていく鉄球はさながら生き物であるかのように真っ直ぐことらへと駆けてくるではないか。ゆうに三百キロを越えるそれを確認するのと同時に高水は目の前の扉をくぐった。
「急ぐんだ! 追いつかれたらペシャンコだぞ!」
「言われなくても逃げますよ!」
ゆうのすけは扉をくぐると即座に鍵をかける。
こんなもので足止めになるとは到底思えないが、無いだけマシだろうという考えである。ゆうのすけはすぐに階段を下ろうとしていいるところに、高水が立ち止まっていることに気付いた。その場で足踏みをしている様子である。
「なにやってるんですか、俺を待ってる必要なんて無いんですよ! ほら早く行ってくださいよ!」
「それは無理だよ、どうやら敵さんはどうしても僕らをペシャンコにしたいらしい」
「どういうことですか?」
「階段が、……上ってくるんだ」
高水は階段を下り続けていた。
しかし踏み出した段は自然と上へ移動し、高水の足を強制的に元の場所へと戻してしまう。エスカレータを逆走するような絵になっていた。いくら歩調を速めようともそれに合わせて階段の方が戻るスピードを上げるだけだった。
「どうなってるんです? 普通じゃないですよこれ」
「僕も初めてみるタイプのトラップだ。よりにもよってピカイチさんのいない時に遭遇するなんて。あぁ怒られるの嫌だなぁ」
「なにを暢気なことを言ってるんですか」
「大丈夫だよ。下れないなら、飛び降りればいいじゃないか」
高水は五段飛ばしに階段を飛び降りる。
動く階段に対して危険な行為ではある上に着地を失敗すれば大怪我をしてもおかしくない。それでも動く階段には効果的であったらしく、高水は徐々にではあるが下方へと移動しつつあった。
「なにをボケッと見ているんだ。キミもやるんだよ。ほら早く」
「…………本気ですか」
「いいから早くしなよ、時間はーー」
耳を突く轟音が高水の声をかき消す。
後ろを見ると木製の扉にはさっきの鉄球がめり込んでいた。完全には突き抜けず、扉は半壊状態である所をみると交通事故相当の威力のある鉄球であるらしい。どうやら鉄球との接触はぺちゃんこではなく、ぐちゃぐちゃが正解らしかった。
「でもこれで鉄球に潰される心配は」
なくならなかった。
鉄球は止まった状態から、自ら回転をは始めた。もちろん回りの何かが作用したわけでもゆうのすけが手を加えた訳ではない。どうやらさっきの生き物みたいという比喩は間違いないらしい。
「こ、こいつ、勝手に動きます」
「いちいち驚くなよ、とにかく早く下るんだ!」
ゆうのすけは一目散に駆け下る。
もともと体育会系のゆうのすけはあっという間に高水の後ろへと追いつくと、勢いに任せてそのまま追い抜かした。高水もなんとか付いていってはいるが、想像以上にハードな五段飛ばしに身体が参ってしまったらしい。
しかし、順調に鉄球との距離は開いていくのだった。
「あとどれくらいで出口に着くんですか?」
「さあどうだろう。五十歩圏内なのは間違いないんだけど、正確な位置は掴めないよ。というよりこの階段はルームランナーみたいに延々と同じ場所をぐるぐる廻っているのかもしれない」
「困りましたね」
「困ってしまうよね」
しかし、ここで更に問題が起こる。
高水の左足がほぼ動いていなかったのだ。どこかで挫いたのか、分不相応の運動に対する代償なのか判らないが階段を降りられる状態ではないのは確かである。
「高水さん、その足……」
「はは、気付かれちゃったかな。情けないなぁ、ちょっと運動しただけなのに」
「……」
ここで、耳障りな摩擦音がふっと止む。
階段で自転を繰り返す鉄球が摩擦熱でついに扉を焼き切ったのである。自由になったその巨体でゆっくりと階段手前まで転がると、ぴたりと制止した。いつ転がり始めてもおかしくない状態である。
「しかたない。こうなったら奥の手を使います」
「? どうするんだい?」
ゆうのすけは腹部を手すりに押し当てる。
そして足を階段から放すと一気に下方へと下っていった。階段の動きに左右されることなくかつ鉄球との距離を開けるには最高のとっておきである。
ゆうのすけは難なく一番下の扉まで辿り着くことができた。
「さあ高水さん。くれぐれも手すりの向こう側に落っこちないでください」
「まったくキミってやつは、つくづくヘッドハンティングしたくなったよ」
高水は不器用に手すりを下り始める。
どうやら初めてやるらしく、不格好なことこの上なしではあったがさっきまでの五段飛ばしとは比べるまでもなく進む速さが上がっていく。
そして、ついに恐れていた時が来た。
鉄球はゆっくりとその巨体を傾げて下方へと動き出す。段の上を転がる度に小さく飛び跳ねる鉄球は徐々にではあるが確実にそのスピードをあげていった。
「高水さん!」
「くっそ、こんなことなら学生時代に練習しとけば良かったよ」
重厚な破壊音が響く。
だんだんと迫る音は迫り来る感じで高水をさらに焦らせる。しかし、冷静さはバランスを奪ってしまい順調にすすまない。ゆうのすけの呼びかけは完全に裏目に出ているのではあるが、まだ子どもである彼にはそれも判っていない。
傾斜で加速する鉄球。
手すりを滑走する人間。
そして、この結果は必然であった。
☆☆☆




