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第五章 その終 信用とはお金に換えがたいものである。

トリガー・ハッピーエンド



 あるいは、この窮地は避けられたかも知れない。

 氷見ゆうのすけと富山しずるが入る扉が逆であったならば、リュカの嘘を一瞬で看破していとも簡単に、そのお気に入りの浴衣を血で汚すことなく通過できたのかもしれない。


 しかし、物事はそう都合良くはいかない。

 どちらか一方を選ぶということは必然的に残されたもう一方を選ばないということであるのだから。もしもなどという仮説はそもそも考えるだけ時間の無駄なのだ。後悔先に立たず、である。


 それでも、ゆうのすけは確信する。

 この局面は、富山しずるでなく自分で良かったと。根はバカ正直な浴衣少女でなく、性根があまのじゃくな自分にバトンが回ってよかったのだと。制止を賭けた二択の中でそう思った。


 決断の時は、あっけなく訪れた。



  ☆



「助けて、ゆっちゃん。リュカが、襲ってくるよ」


 少女の悲鳴が扉越しに響く。

 必死にドアを叩く音からいかに緊迫した状況に陥っているのか、ある意味悲鳴よりも真実味を持ってゆうのすけたちの耳に届いた。少なくともゆうのすけにはそのように聞こえた。


 富山しずるは、ついに泣き出した。

 涙声で不規則なしゃっくりを上げながら、ただ『お願い』と壊れたステレオのように繰り返すだけであった。子どもらしい泣き声は、ゆうのすけが今まで聞いたことのないくらい悲痛なものであった。


 ゆうのすけは、正気を失っていた。

 少年がドアノブを握ったと同時に高水義正が制止の言葉と共に一歩前へ踏み出す。しかし、それはゆうのすけが懐から『ブロークンハーツ』を取り出して、その人を刺し殺すには充分な薄い刀身を好青年へ向ける事で阻まれた。

 


「これはリュカの罠だ! 考え直せ、そう都合良くリュカが襲ってくるはずがないだろう!」


「動かないで。今近づいたら、あなたを刺します」


「彼女は専門家……いわば『ドクター』なんだろう? こんな雑魚相手に泣き出すと思うのかい」


「そんなの知りません。けれど、確信していることがあります」



 ゆうのすけは一呼吸を置く。

 どこか諦めたような口ぶり。

 そして、外気を取り込みながら、勢いよく扉を押し開けて、決して開けてはいけない扉を、今まで壁でしかなかった扉を、あっけなく開いた。



「万が一でも相手が本物のしずるだったら、心配じゃないですか」


 氷見ゆうのすけはドアを押し開ける。

 それが。

 ドアの隙間からねじ込まれた白い腕に、ゆうのすけの右手が掴まれるまで続いた。



 ☆☆


 『リュカの奇襲』に気付いた頃には、手遅れだった、

 開かれたドアのわずかな隙間から無遠慮に伸びた腕は、ドアノブを握るゆうのすけの右手首をがっちりと固定していた。びっくりするほど綺麗な細指からは想像できないほどの剛力でドアへと引きつける。


 まさに急襲。計算し尽くされた動きだった。

 ドアノブから手を離そうにも、ぴったりと吸い付いた五本の指が右手を開くことを妨害していた。力強く手首を握られると掌が動かなくなるとは耳にしたことはあるが、まさか実践することになろうとは思わなかった。


「ドアを、早くドアを閉めるんだ! 早く!」


 ドアを思いっきり引く。

 いかに握力が強かろうが、ドア越しであるから腕は右腕一本しか入ってこない。ここでドアを閉めてしまえば最悪の、部屋への侵入だけはは免れる。ゆうのすけは細い腕を扉で切断する覚悟で、むしろそれを望むように力を込める。


 しかし、ドアは何かに挟まって動かなかった。

 よく見ると前腕がドアに挟まった訳ではなく、ギリギリのところで停止していた。


 その正体は、相手の足である。

 つま先を強引にドアの間へねじ込むことで扉を閉めることを阻んだ。ちなみに白い足は素足であり、これまた恐ろしく綺麗なものであったが、同時に富山しずるでないことは確定した。


 邪魔するつま先を力一杯踏みつけようとするが、

 リュカの引っ張りがそれを許さない。


 細腕の暴力的な引きで、ゆうのすけはバランスを崩してドアにへばりつく。

 ドアの外へ無理矢理引っ張り出そうとする引力に対して、その場で踏みとどまろうとするが、完全に引き負けている。15歳の男児の腕力などたかが知れていると言い訳に聞こえるが、そうとしか説明できないほど凄まじい暴力であった。


「斬れ! 斬ってしまえ! その小刀でリュカの触手を切断するんだ!」


 高水義正が叫ぶ。

 ゆうのすけが手にするブロークン・ハートの事を言っているのだろう。しかし、生き物にさえ刃物を向けた経験もないゆうのすけに、人の細腕の形状をしたものをすぐに切れる訳がない。逆手に持った小刀を放さないだけで精一杯だった。


 万事休す。もう踏ん張りさえも長くは続かない。

 あと数秒でこの扉は突破されるだろう。

 そこで、ゆうのすけは逆らうことを止めた。



 ☆


 ゆうのすけは、あえて前に踏み出した。

 引っ張られている状態で前に出ると言うことは、それは抵抗を失い、実力以上の勢いで扉の外へと飛び出すことを意味する。推測通りにゆうのすけは部屋の外へと転がり出た。


 その瞬間を逃さない。

 外へはじき出された勢いでリュカに体当たりを加える。まさかの奇襲にリュカは反応することができずにゆうのすけと一緒に廊下の床へと投げ出される。仰向けに倒れるリュカに対してゆうのすけは馬乗りになる体勢になった。


 その時にゆうのすけは初めてリュカの姿を目撃する。

 病的にまで白い肌をした美しい人型、ただし顔には人間にあるべき目と鼻がなく、口がひとつ付いているだけだった。いわゆる『のっぺらぼう』に酷似している。


「……あ、あぐ」


 富山しずるのあえぎ声。

 それは確かに、リュカの口から聞こえるものだった。

 どうやってコピーしたのか判らないけれど、どういう仕組みで声真似しているか知らないけれど、いかに腕力で勝るとしても、この体勢は覆らない。

 刃物を持った少年。

 押し倒される悪性新生物。


 そして、相手が倒すべき敵ならやるべき事はひとつだ。


「…………っ、ゆっちゃん、たすけ」


「ごめん、嘘つきにはお仕置きだわ」


 小刀を、喉へと突き刺す。

 深々と突き刺した刀身は細い首を貫通して地面に釘付けにした。断末魔の叫びを上げることもなく、死に際に首をねじ切る気概もないままにリュカは絶命する。


 あまりにもあっっけなく、完膚無きまでに、決着はついた。



 次へ。

 

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