8月終わり、飛び出してきた車。身体は宙に浮き異世界、ではなく手術室へ。
1・入院初日 宙を舞った日
八月の午後。
乗用車が左から突っ込んで来たのに気付いた次の瞬間。衝撃、視界がぐるぐると回り、空が青いなと思った。体が高速で前方に移動しているのを感じた。頭ははっきりしており、撥ねられたのだとすぐわかった。
「死ぬのかな」
と思った。なぜ私を撥ねた車が停まらないのか、理解できなかった。
私の体は撥ねた車のボンネットの上に跳ね上げられ、そのまま20メートルくらい先まで運ばれ、そこでボトリと路上に落ちた。
すぐに激痛がやってきた。
右手の流血はかろうじて視界に入った。しかし痛みは左の足からだった。
他の車のタイヤが乗ってくるのではないかという恐怖があり、そこでもう一度「死ぬのかな」と思った。
幸いタイヤは乗ってこなかった。運転手が近付いてきて「大丈夫ですか」と声を掛けてきた。震えるような女性の声だった。私はもう目を開けていられる状況ではなかった。死ぬほどの激痛などとよくいうが、まさにそうだった。
「大丈夫じゃないので救急車呼んで下さいっ」
と絶叫した。
後に聞いた話ではその時点で、骨が三箇所折れていたらしい。
やがて周囲の人が集まってきて、口々に「うわっ、凄い血だ」とか「右手からの血が凄い」などと言っているのが聞こえた。
違うんだ。右はたぶん裂傷で、やばいのは左足なんだとうめくように答えた。
「うわっ、折れてるな」
誰かが叫んだ。悪気はないんだろうが、その間抜けな声のトーンにイラっとした。
時間の経過がやけに遅く感じたが、後から調書を見たところ実際には30分くらいで救急車が到着したようだ。車内で隊員と警察官に色々聞かれる。激痛に耐えながら、逐一答えていく。早く病院に運んで欲しい。
なんで今それを聞く、とは思ったが仕方ない。
救急病院に搬送され、緊急手術。麻酔医師から全身麻酔だからもう痛くなくなりますよ、と言われる。麻酔医師の方が天使に見えた。
激痛に苦しむ患者の、掛けて欲しい言葉を的確に理解している。
麻酔に関する説明。承諾書。それから手術に関しての説明と承諾書。保証人の有無。色々サインした。
全て激痛で朦朧としている間の出来事だ。
もしこの時「全財産譲ります」みたいな書類を出されても「それが必要ならお任せします」とサインしていたであろう、痛みで朦朧とした中での儀式的なやり取り。
全身麻酔と言われていたが直前で局部麻酔になる。
まずはぐちゃぐちゃに曲がった足をまっすぐに固定する補助的な金具を入れていくとの事。
本格的な手当ての為の手術はまだできる状態では無いのだとか。
手術が始まる。痛みはない。
脚が切り裂かれ、骨にドリルが入る。感覚的に何をやっているのかは理解できるが、痛みだけはない。
麻酔技術というのは凄まじいものだ。
とりあえず緊急手術が終わり、病室へ。
こうして、人生初の入院生活が始まった。
2・入院初日 ああ、今日は家に帰れないんですね?
手術は無事終わり、そのまま病室へ。
体中に色々な管が付いている。目があまり開かない。何かの後遺症だろうか。
ベッドのままガラガラと病室へ運ばれる。
何かご質問はありますかと病院事務の人に聞かれる。聞きたいことはたくさんあるが、怪我の状況は医師でないとわからないだろう。
「今日は家に帰れないんですね?」
口から出たのはそんな言葉だった。
後にネットで調べ、このケースでは当日どころか数週間から数ヶ月はかかると知り絶望するのは翌日以降。
この時点ではとにかく手術後の痛みがつらかった。
色々なことが気になる。
私はマンションに一人暮らしだった。
部屋のエアコン消したか、ゴミどうだったかな、熱帯魚は、ああ数日前に暑さで全滅したんだっけ。よかったな、いや良くはない。そんなことが頭をめぐる。
仕事は、明日以降誰に引き継げるだろう。
ああ、痛いな。また麻酔してくれないかな。
3・入院2日目 よみがえる痛覚
辛い。麻酔が切れたら色々感覚が戻ってきた。
骨の痛み、傷の痛み、針で刺すような痛み、膀胱の痛み、喉の痛み、色々な痛みがブレンドされた状態でやってくる。
見れば足に血を抜く管、腹部には尿を抜く管、左手に点滴。針と管だらけで包帯の隙間から見える足指は紫色。針ミイラだな、情け無い。と自虐する。
カラカラに乾いた喉で水を飲んでもいいですかと看護師に尋ねてみるが、今は避けてくださいとの事。
誤飲する可能性があるから云々。
もちろん素直に従う。いきなり車が飛び出してきて、マンガの様に撥ね飛ばされる事故を経験したばかりだもの。滅多に起こらない事故というのはいつか誰かに必ず起きる事故だと今は知ったから。
4・入院3日目 動かない足、動ずる心
辛い。職場の人間が職場に置きっぱなしだった私物を持ってきてくれた。
カバンを漁るとマイバスケットのレシートが。日常が恋しい。買い物がしたい。ベッドから立ち上がりたい。帰りたい。
横になったまま最低限の仕事の引き継ぎ。
とりあえず任せていいから安心して回復に専念してよ、と同僚と上司。
涙が出るほどありがたい。
そして、実家の母にメッセージ。私も動けないから何もできないけど早く良くなってねと、短い返信。
長文書くのはもう辛いんだろうな、と少し悲しい気分になる。とりあえず今は次の手術に向けて足の腫れが引くまで回復待ちだそうだ。
いつ帰れるのか見当もつかない。
それも悩ましいが、戻って事故前と同じ仕事ができるのかというのが一番の不安。
なにしろ足の膝から下は、痛みだけは伝えてくる癖に、全くピクリとも自分の意思では動かせないのだから。
5・入院4日目 たぶん、生かされたのだと思いたい
辛い。足の包帯の隙間から覗く紫色の皮膚はまるでゾンビのよう。ごめんね、私の足。そして強い腫れと痛み。この腫れが引かない事には次の手術が出来ないとのこと。気が遠くなる。
意識ははっきりしていてスマホもタブレットもあるのだが、一切の娯楽が楽しめない。
文字を読んでも音楽を聴いても数分で痛みに負けて放り出してしまう。とりあえず最低限必要な連絡と、払い込み等を済ます。後は今後必要な書類やら保険金がいくらかでも出るのか等を検索。
何週間あるいは何ヶ月か動けないのならば当面、食べて行けるかだけは調べなければならない。
しばらく調べて、まあなんとかなるのかなと一応は安心。ワープアの身としては休みを取ってやりたい事は山ほどあったはずなのに、痛みと焦りで何をする気にもならない。
無理矢理に前向きに考える。当たった角度がほんの少しズレていたら、もう一生自力で立つ事は出来なかっただろう。何しろ、ただぶつけられた衝撃のみで足の一番硬い部分の骨が3箇所へし折られたのだから、首や腰だったらと思うとゾッとする。
足と、それからきっと何かが守ってくれたのだろう。ありがとう足。ごめんいつも大事にしなかった足。そしてありがとう、守ってくれた何か。
6・入院5日目 ベッドの上の夏の旅①
少しだけ腫れが引いて、ようやく明日二度目の本格的な手術ができるそうだ。
そしてやっと、脚をのばして乗るタイプの大きな車椅子で窓際まで行けるようになった。
空が青い。雲が白い。夏の景色が広がっている。
ブラックならokと言われたので、冷たいコーヒーを飲みながら、翌日の手術の事をとりあえず忘れたいなと、音楽を聴く。
ベッドで寝たきりの時は全くそんな気持ちにはなれなかったのだが、こうして外を見るだけで結構癒されるものなのだなと思う。
米軍仕様だとかなんとかのケースに入れておいたせいか傷一つつかなかったiPhone16。Apple Musicの他に、あまり知られていないサブスクのiTunes matchというのがあり、これは自分のコレクションのライブラリとApple Musicの膨大なライブラリを統合してシームレスに扱えるという優れもので、もう何年も愛用しているサービスだ。
サブスク反対の気難しいミュージシャンの曲や、廃盤でAppleが網羅していない曲、インディーCDから自分でiTunesに登録した曲、等をアプリの切り替え無しで聴ける中々素敵なサービス。
まあとはいえ、最近のApple Musicのラインナップは素晴らしくて、かなり古いマイナー曲や、タワーレコードなんかで限定発売しているアルバム等すら網羅しているので、あえてiTunes matchに入る必要性は薄くはなっている。
忙しさにかまけてApple Music自体立ち上げるのは久しぶりだな、ただ毎月お金だけ払うサブスクあるあるだ。まさかこんな形で「入ってて良かった」になるとは。
最初は高中正義の夏・全・開、松岡直也の夏の旅、
そして渡辺貞夫のOrange Express。それからDLだけして聴いていない滝沢洋一さんという方の「かぎりなき夏」という曲。
かなり前に亡くなられた方らしいが、近年になって再リミックス版が発売されたとのこと。初めて聴くミュージシャンの最新リミックスというのは何か新鮮なのかノスタルジックなのかよくわからない感覚に陥るけれど、楽しみだ。
ほんの短い時間だったが、ベッドの上で夏の旅を楽しんだ。明日はいよいよ大手術だ。
7・入院6日目 ベッドの上の夏の旅②
手術当日の朝。既に飲食は禁止で、病室で呼ばれるのを待っている状況。
まるで対空戦車の砲塔のように、足を前方に伸ばして座る車椅子で窓際へ移動する。
外を眺めていると、手術前なので少しでも腫れを引かせる為に横になっていた方がいいと看護師に言われ、またベッドに戻り横たわる。
何もしていないと、仕事はどうなってるかとか、保険の書類はどこだっけとか、色々考えてしまい疲れる。
音楽はOKとの事なので、またぞろApple Musicへ。
思いついたまま、懐かしい夏の曲あるいは旅の曲を。
大滝詠一の「A LONG VACATION 」さすがにリアルで大ヒットした頃は知らない。「君は天然色」もいいけれど昨今、自分自身が歳を取ったせいか「カナリア諸島にて」の「時はまるで銀紙の波の上で溶け出し僕は自分が誰かも忘れてしまうよ」とか「もうあなたの表情の輪郭も薄れて僕は僕の岸辺で生きて行くだけ、それだけ」というフレーズがぐっとくる。
井上陽水という人の全盛期を知らないのは幸か不幸か。最初に聴いた時はあのトロリとした鼻にかかったような妖しい声に、なんだこの歌い手はと衝撃をうけた。明るいんだか暗いんだか分からないが冒頭のイントロが最高にあやしい「なぜか上海」
いつもの毒はどうしちゃったのと叫びたくなるようなどこまでも優しい世界「夏の終わりのハーモニー」
「遮断機が上がり振り向いた君は、もう大人の顔をしているだろう」と、これは作詞した小椋佳が凄いのか「白い一日」
時代的にまだ引き篭もりが社会問題になる前の曲だと思うと一層凄い「つめたい部屋の世界地図」
「はるかな見知らぬ国へ」「見渡す限りの水平線」「飛び交うカモメ」等々、期待と不安の入り混じった船旅を優しく歌い上げているように見せかけているがそこは「優しさが壊れた」「つめたい部屋」。
海を見ながらの船旅を夢見ながら、部屋の中でおそらく壁に貼られた世界地図を虚な目をして眺めているという現実を、タイトル以外では一切語らない怜悧さ。
ベッドの上で夏の空を夢見る身に染みる。
JITTERIN’JINNの、或いはWhiteberryの「夏祭り」
「君がいた夏は遠い夢の中」のくだりが刺さり過ぎる。実はお別れした日が真夏から少しズレていても記憶の方を少し修正して夏の日に変えてしまっている人、きっといるだろうと思う。いないかな。
まあ歌詞でも夏に別れたとは言っていないしね。
心と体が弱っているから、通り過ぎてきた過去ばかり思い出す。あの子は、あの人は、通り過ぎてきた人達は元気でいるのかな。私は、今はこんな有様だよ。情け無い。
そろそろ手術室に呼ばれる時間だ。
8・入院7日目 大手術
初めての全身麻酔。
肩のあたりに注射され、「痺れが広がってくる間に終わりますよ」と先生に言われていた通り、鈍い痛みを伴った痺れが肩口から広がってくる。
いやこれ結構痛いですよ先生。
そしてこの、絵の具か墨汁が白い紙の上を広がっていく感覚、どこかで。
これ昔「エヴァンゲリオン」とかそういうので見た奴、いわゆる体が侵食されてくる系(というのかどうかは知らないが)じゃないか。
ああきっと、ああいうシーン書いた人も全身麻酔の経験あるだろ絶対、などとくだらない事を考えたのが最後の記憶。意識はブラックアウト。
このまま目が覚めなかったらあまりにも悲しい最後の記憶、となる所だった。
幸いにもきちんと起こしてもらえたのが約6時間後。
こちらは寝ているだけだったが、大手術をこなしていただいた先生、スタッフの皆様に本当に頭が下がる。
輸血も相当必要だったとの事で、流血に弱い私などは立場が逆なら一瞬で貧血起こして倒れてしまうだろう。スプラッター大嫌いだ。
「さあこのまま病室に戻りますよ」
とガラガラとベッドを運んでもらい病室へ。
あのままずっと眠っていたかったかもしれない、などという不謹慎な事は1%くらいしか思っていなかった。
手術についての説明を卒倒しそうになりながら聞いた。やれ骨のどこを繋いでどこにボルトを入れてどこにプレートを入れて、という話を聞きながら思った事。近代医学凄すぎ。外科医も凄すぎ。
ブラックジャックみたいな事を保険の範囲内でやってくれるのが、ありがたすぎる。
そういえばライバルのドクター・キリコは特にそういう外科的な技を振るうわけでもないのにBJ同様の高額請求するのは暴利だよなあ、なんなら注射一本でキリコさんの仕事は終わりでしょう、と。
馬鹿な事をたくさん考えよう。何しろ「骨にも痛覚がありますから、麻酔が切れたら今日明日は一番痛むと思います」との事だった。
馬鹿な事を考えていなければ、やっていられない。
9・入院8日目〜10日目 炎と氷の中で
激痛が始まる。発熱もあり、眠れない。
9日目、10日目、痛みと苦痛との戦いだった。焼けるように痛んだかと思えば、氷のように冷たい感覚にもなる。体中が燃えるような熱さを感じたかと思うと、氷を押し付けられているような苦痛がくる。
これ以降しばらくはメモを残したり、何かを考えている余裕は全くなかった。
人間の肉体の脆さを嫌というほど思い知らされた日々だった。
今後の人生、もっと辛い事はあるのかも知れない。
だったらもうそんな思いをしてまで生きていたくも無いなあ、とまで思った。
自分の弱さを痛感した。
二度と思い上がって「明日は明日の風が吹く」とか「人間、一度しか死なないよ」などといった、強い人間ぶった考えを持たないように戒めとしよう。
喉元過ぎても、この熱さは忘れたく無い。
この先、日付が一気に飛ぶ。これは、前述の通り手術後の痛みと精神的な辛さから何か考えを巡らせたりする気持ちにもならなかったからだ。
10・入院10日目〜18日目 激痛の日々
音楽を聴く気にもならず、本を読む気にもならなかった。ただ呻いて、横たわりながら痛みを紛らわす為に中空にパンチをしたり、頭を掻きむしったりの日々。建設的な事は一切出来なかった。
ただ手術部位以外のリハビリは言われた通りこなし、眠れないのでスマホでショート動画を見たりした。長いものを見ていると途中で痛みに襲われて中断してしまうのだ。猫やらウサギやらの動画を上げてくれていた方、ありがとう。あれが一番癒された。
焦る気持ちはあったが、もう早期退院は諦めた。
仕事に復帰出来るのかどうかなどと考えるのも辞め、回復だけを考えるようにしていた。
考えても無駄なので、考えるのをやめた。
何かであったな、そんな話。
11・入院19日目〜21日目 ひび割れたガラスのように
まさかの入院生活三週間目に突入。
anniversaryだ。勿論全く嬉しくない。しかし手術後の痛みと焦りと情けなさ、悔しさのようなネガティブな感情は少し薄れてきた。
なにしろほぼベッド上に縛られているようなもので、それはもう不満や不快を数えていたらキリがない。
何より自分が惨めだ。
まあこんなミイラの様な有様で人間の器を大きく持とうなどとは自分でも片腹痛い。しかし怒っても愚痴っても自力で立ち上がる事すらできないのだから状況を悪くするだけだ。
特に二度目の大きな手術直後は真夜中にナースコールで痛み止めを注射してもらったり、明け方まだ暗いうちに点滴の定期交換もあった。
それなりに同室の方の安眠を妨げてしまっていた事であろう。たとえその間、轟音のようなイビキが聞こえていたとはいえ、いい夢の邪魔をしたにきっと違いない、うん。
そう思って、イライラしない、怒らない、そう心に決めてはいたのだけれど。
不快な話など書いてもつまらないだろうが、日記なのだから多少は書いておくべきか。
不快だから考えなかった事がある。私を撥ねた相手の事。なんであんなスピードで、とか怒りの感情は勿論ある。けれど、私が路上に倒れ激痛に呻いている時、震える声で「ごめんなさい、ごめんなさい!」と言い続けていたのはしっかり聞こえていた。目も開けられず表情も見れなかったけれど、それはさぞや蒼白だった事くらいはわかる。だから、それ以上のネガティブな感情は、今は持ちたくない。
この後に警察や保険屋が入って、その感情は変わるかもしれない。
しかしだからこそ、今この時点で相手に必要以上の悪感情を抱いて、日々を過ごしたくはなかった。
苦痛だった事。イヤホンが断線して、同僚がスペアを持って来てくれるまで音楽が聞けなかった事。馬鹿馬鹿しいようだが実は結構切実だった。
苦痛だった事。怪我した場所の痛みは仕方ないとして、それ以外の場所の不快感や苦痛があった事。
たとえば外傷もなく骨にも異常は無いと言われた左手は、変に捻ったのかズキズキした。
差し歯が一本取れて、周囲に口内炎が出来てズキズキした。普段は朝夕の二度はシャワーを浴びるのに、これが二日に一回となった。
髪を洗いたい、体を拭きたいとイライラした。
更に、その決められたシャワーの時間を守らない患者が少なくなく、かなり待たされる事があった。
しかも私が待たされているという事は私の次に入る予定の人は知らない訳で、例えば持ち時間30分のうち20分待たされてしまえば、次の人に迷惑をかけない為には私の持ち時間は10分になるという事だ。
これは非常に辛かった。
不快だった事。病室は二人部屋だったのだが、もう一人が陽気な外国人だった事。
個人的に会話はしていないが、とにかく陽気で、消灯時間後も陽気で突然歌を歌い出したり、また毎晩の様に家族と長電話して、「Hello darling!あいらぶゆー」なんて会話を夜中までずっとしていた。
最初の数日は、まあ日本人と文化や感覚が違うから、ああやって家族に電話するのは大切なんだろうなあ、と割と微笑ましく聞き流していたが、毎晩毎晩消灯後に「Hello darling!」が始まるので、そのうち、毎回同じ話ばかり長電話して××じゃないのか。迷惑だから早く寝ろっ」という感覚になってきてた。
我ながら心が狭い。
しかしマンションでよくある騒音トラブルなんかも、結局こういう事なんだろうなとは思う。
音そのものに対してというのももちろんあるが、が、むしろその無神経の方に腹が立つという奴だ。
ともあれ同室でトラブルも御免なので、解決は話し合いでも看護士でもなく、購買で買って来てもらった「耳栓」だった。
そして、一番辛かった事。足が全く動かせない事。
歩けないとかではなく、全く動かない。
車椅子にも一人で乗れない。
ベッドの真下に落とした筆記具すら拾えない。
リハビリの先生は、まだ骨が折れたままだから動かせないのは当然ですよと笑ってくれるけれど看護師達は違った。
忙しいのに、大変なのに、迷惑かけて済みませんねとは心から思う。
思うのだけれど、動かないものは動かない。
CTやレントゲンで部屋移動した後や、シャワー後のベッドへの移動。
物を手の届かない場所に落としてしまった時。
横の棚から着替えを取りたい時。
もちろん自分でやれるものなら人の手は借りたく無い。しかし出来ないから頼む。
頼めば時間はかかってもやってはくれるが、しかし「できるだけ自分でやって下さいね」と必ず言われる。
自分で出来る事をやらずに甘える患者が多いのだろう事は理解する。
でも担当医師には安静にと言われ、リハビリの先生には、自分でやろうとする事自体は悪くないけれど、安全の為に必ず横に看護士がいる状態で行ってください、と言われている。
結果、「お願いします」「ちょっと助けて下さい」「お忙しい中すみません」とひたすら頼みこんで過ごす日々。
結局この間の、お前は自分の事も自分で出来ない役立たずだ、と扱われているような日々が一番辛かった。
悪意が無いのはわかっている、忙しいのも理解している。こちらも精神的に余裕が無いからだというのもある。
しかしただ一つ言えるのは、「弱い立場の人間は、相手の表情や言動から苛立ち等のネガティブな感情を敏感に感じる物ですよ」ということ。
今はもうかなりの事が自分で出来るようになり、誰かの手を煩わす事も減り、どの看護士さんもにこやかに接してくれている。
ただ、やはりあの悲しさは忘れられない。恨みでも怒りでもなく、ただ悲しかった。
あの時、どれほど力を入れても動かなかった足。
足上げて車椅子からベッドに移動する。それだけの事がどうしても出来なかった。
足全体を手で持って持ち上げろ、と言われたが、死んだ魚の様にグニャっとした自分の足は両手で持っても持ち上がらなかった。
「どうしても上がりません」と訴えたら、やり方をそこで初めて教えてくれた。
脚を持たずに脚とベッド、あるいは車椅子の間に大きめのタオル等を差し込み、風呂敷の様に脚を包んで、その端を持つ。そして荷物のように自分の脚を運ぶように移動する。
うん、これならなんとか感覚が無くても出来る。
やった事もあったかな、大理石の像だとかコンクリ片とか割れたガラスとか、そういうモノをゴミ捨て場に運ぶ時には、こうやるんだったね。
大事に抱えて、そっと下ろす。壊れかけていても動かなくても、これはまだまだ大切に使うのだから。
12・入院22日目 チタンの足とプロテクター①
3回目の手術をした。
足にはバッチリとチタン合金のプレートが装着された。もう一生取り外さないのだそうだ。
「結構大変な事ですよね」と看護師に呟く。
愛想のいい看護師は和かに
「夏乃さんがご自身で感じている以上の大怪我だったんですよ」と返す。
「むう」なにがむうなのかわからないが、言葉に詰まって朝食と一緒に出された出涸らしのお茶を飲む。
普段なら出勤準備で慌ただしい時間なのだが、ある意味優雅なものではある。外はここ数日ずっと快晴で、夏らしい爽やかな景色が忌々しくも窓の外に広がっている。
チタン合金がいくら素晴らしくても、骨自体はまだ三箇所も折れたまま、ただ繋いでいるだけに過ぎない。脛の辺りは、ぱんぱんに膨れ上がって破裂しそうな肉塊を包帯できつく押さえ付けているような有様だ。
包帯の隙間から紫色の皮膚がのぞき、ビニールを貼り付けたような感覚の足裏は、血液なのか髄液なのか知らないが体を流れる液体がそこでいったん停留し、揉みほぐす事でようやくドクンドクンと流れていくかのような引っ掛かりを常に感じさせてくる。
どういう仕組みでそう感じるのか分からないが、本当にドクンドクンという刺激を足に感じるのが不思議。
チタンカーボンというサイボーグぽい響きに反して見た目はさながら墓場鬼太郎の親父さんだな、なあ鬼太郎、いや体型しか似ていない看護師さん。
お化けは死なないし、お化けでいる間は仕事もなんにもなあい。
とにかく今は体力回復と、折れていない部分を極力使ってのリハビリの日々だ。
担当医の先生は、かなり腕の良い素晴らしい医師だ。
そして素晴らしい腕の外科医にありがちな、切りたがりの先生なのではとギワクが残る。「腫れが引いたらまた切ります」「うん、回復が早いので明日あたり切れます」「念の為に反対側にもプレートを入れます」「なあに、手術はすぐ終わる簡単なものですよ」
「安心して下さい」と、実に明るく、まあ暗く言われても怖いけれど、本当に嬉しそうに切ってくれるので、こちらも安心、いやできない。嫌。
そんなこんなで切っては回復、回復したらまた切るを繰り返すこと3回。
たぶん、もう切らないでいいでしょうとの事だが、このたぶんがまた怖い。
しかし今回は本当に切らずに済みそうだ。
腫れが引いたら次は装具、杖で歩く為のプロテクターの型取りをするとの事。
お値段は約13万。お高いが足には代えられぬ。 はい振り込んでおきますよと、スマホから送金。
持ってて良かったスマートフォン。
病室から出れなくても支払いはバッチリだね、まるで打ち出の小槌だね。お金を出してくれるのではなく持って行ってしまう小槌だけど。
なんにせよ、それがくれば数週間ぶりに歩けるのだ。
いや本当に歩けるのか、この有様で。
まあとにかく現代医学を信じて任すしかない。
13・入院23日目 チタンの足とプロテクター②
たとえ器具頼りではあっても、歩けるという事はやはり素晴らしい事だ。
横たわる「ただのしかばね」から徘徊するUNDEADにレベルアップしたような気分。
もう少し頑張ればVampireにでもなれるだろうか。
などとニヤけつつ夜の静まりかえった病棟を、杖を持ちプロテクターを装着した重装備でカシャカシャと歩く。不審者でも徘徊者でもない、これもリハビリセンターより指示された、れっきとしたトレーニング。
職場復帰できるのか不安は大きかった。しかしこうしてなんとか動けるうちは、まだもう少しだけは頑張ってみようか、という気分にさせてくれる。
ある程度歩いてそれなりの疲労を感じた頃に病室に戻る。人間の神経というのは不便で理不尽にできていて、横になって安静にしている方が痛くて辛い。
動いていない時の方が苦痛が大きいので、一番辛い時間は真夜中から明け方になる。
なので紛らわすために、この機に試してみたのがAmazonのAudibleという本を読み上げてくれるサブスク。以前から無料体験の案内メールが頻繁に来ていたので、入院中に始めて色々聴き倒そうかと申し込んだ。
リストを物色すると、かなりのラインナップが揃っている。暇が出来たら読んでみたいと思っていた本のタイトル達。「国宝」もあるし「ザリガニの鳴くところ」もある。
とりあえず「騎士団長殺し」「海辺のカフカ」等の村上春樹のものをダウンロードして聴き始める。
思った通りだ。
朗読のイイ声、長い情景描写、面白いが静かな展開。
うん、自分で読み進めず耳から入ってくるだけの村上作品は、予想通りよく眠れる。
14・入院24日目 Bittersweet Samba
リハビリの日々。ゴムで足首を引っ張ったり、関節を曲げ伸ばしたりの毎日。
条件付きで杖で歩けるようになったとはいえ、基本的にはベッドと車椅子の上の日々だ。
折れた足に体重をかけられないので、装具と呼ばれるプロテクターと杖で体を支えて歩く。
腫れ上がってあちこち縫い目だらけで、ケロイド状にただれた皮膚の上からプロテクターを付けているので、当然結構痛い。そして
歩けば歩くほど、汗やら血やらが吹き出してくる。
どの道、骨がくっつくまでは数ヶ月かかるので、あまり焦らない方が良いと医師には言われた。
数ヶ月。
なんて気の遠くなる話なんだろう。
その間、ずっとこうやって脚を庇いながら、折れていない部分を鍛えつつ生活なければならないのか。
そして、もし順調に退院できたとしても、いや出来なかったら困るのだが、それでも歩くたびにこんなに痛いのだろうか。毎晩こんなに痛むのだろうか。
いやだなあ。
辛い苦しい痛い忌々しい、ネガティブな思い。
それは単独では耐えがたい程では、たぶん無い。
も、その小さなネガ達がいくつも積み上がると、前へ進む気力を奪っていくのだろう。
外出も出来ず、好きな時にシャワーを浴びる事もできず、何度も体にメスを入れ、冷やして、また手術。
ベッドサイドの引き出しにはこれから記入したり申請したりが必要な書類が溜まっている。
依頼した書類はなかなか出来上がって来ない。
役所のレスポンスはとても遅い。
いやだなあ。
色々なことが煩わしくて溜息をつく。
「あー、頭抱えてますねえ」
カーテンが開いてアンニュイな声が聞こえ、若い女の子が入ってきてコンビニコーヒーを差し出してきた。誰。何。
「近く通ったので寄りましたー」
と大きなマスクをずらして顔を見せる。後輩の事務員の子だった。花のZ世代。
頭を抱え溜め息ついてる所を見られたな。
バツが悪い。まあコーヒーはありがたいが。
「甘いコーヒーは看護師に見られたら文句言われるんだよね」
と言いながらありがたく頂く。甘露。砂糖は体に悪いのなんだの言われるんだろうが、心には絶対いい。
人生に甘みは必要だ。たぶん。
「チョコもありますよー」
最高か。ああ隠れて食べるチョコレートの背徳感。
こいつは天使か。泣けそうだ。
腕に「転倒要注意なんたら患者」のタグが巻かれていて、病院の購買にすら行けない身だった。
最低限必要な物は1日1回、看護師に依頼してチェックが通れば買って来て貰える、そんな生活。
しかも忙しい時はその買い物さえスルーされてしまう事も少なくない。
お茶等の買い置きが切れていれば洗面台から汲む水道水を飲んで乾きを癒してる生活。
まあ水が飲めるだけても感謝はしているのだけれど。最初の二日くらいは水も飲ませて貰えなかったからな。
色々とイケナイ差し入れを証拠隠滅しつつ、上司やら同僚やらには聞き辛い話なども聞いてみる。
彼らなに聞いても(ありがたい事に)職場は大丈夫だから心配するなとしか返ってこないのだ。
クレーマーからの電話があって大変だったとか、誰と誰が喧嘩して怒られていただとか、誰が暇そうにしてたとか、ガールズトークのノリで教えてくれる。
いいな、職場は変わりなくて。
戻りたいな。別にこんな事になる前は大好きな場所では当然ながら無かったけれど。
みんなによろしく伝えて欲しいと頼み、さよなら。
帰り際に「早く戻ってきて下さいねー」と言われる。
「もう戻れないかもしれない」なんて情け無い本音は言わない。
「うん」とだけ言って軽く手を振って送り出す。
帰る場所があっても帰れないのは、帰る場所が無いよりは少しはマシなのか。
考えるとまた憂鬱になりそうだが、とりあえずコーヒーとチョコのおかげで少しだけ気持ちが落ち着いた気がする。
空調の効いた病室でコーヒー飲めるだけ、かつてオールナイトニッポンを流しながら深夜の営業回りしていた頃に比べたらマシなのかもしれない。
と前向きに考える事にする。
元気が出たとまではいかないが、気休めにはなった。
ポリフェノールは偉大なのだ。
15・入院日記25日目〜28日目 イカロスの墜落
ギリシャ神話の有名なイカロス。父親の作ったツナギに蝋を使ったとんでもタケコプターでハイになって太陽に近づいて落ちた若者。
あれ、落ちる時そうとう慌てただろうと思う。
たぶん一気に真っ逆さまではなくて、何せ蝋だから最初にバランスが崩れて「やばっ」となる。
何度か立て直して、「あっ、いけるか」となって、結局「あああ駄目だあー」となったのではないかと。
希望の後の絶望は悲しいという話。
物事、浮かれたりやり過ぎたりしてはいけないという教訓だろう。
知人達に悲しいお知らせメールを発信し終わる。
プロテクターを付けて歩ける様になったのも束の間、ワーカーホリックのサガでリハビリをやり過ぎたのか、はたまた皮膚が専門家の見立て以上に損傷していたのか。
或いは足の骨にネジで留めたチタンプレートに問題でもあったのか、大流血してしまう。
結果しばらく歩行禁止となってしまった。
さらに、皮膚の手術も行うとのこと。
少し良くなるとまた悪くなる。
うんざりだが仕方ない。仕方ないがうんざりだ。
丸一月以上外に出られず、やっと光明が見えたかと思えばまた後退。
精神的に結構ギリギリなので、(心の中で)天を仰ぎ絶叫し(心の中で)怒り狂いながら地べたを転げ回り(心の中で)布団をかぶって慟哭の涙を流した。
まあ切り替えて頑張るしかない。
で、やはり大変失礼ながら思った事。
先生、手術決まると本当に嬉しそうに見えるのだが。
16・29日目 Don’t look down, look forward
気持ちを切り替えて、また歩ける日を目指す。
今は駄々っ子のように頑として動かなかったり、少し歩けば血を吹いて激痛を送ってくるチタン入りのこの足。しかし時間はかかっても諦めなければまた歩けるようになるはずだ。
一度は私の足を見放してどこかへ飛んで行った聖なるプロテクターことチタン聖衣も、きっといつか舞い戻ってくれるだろう。
なにせ13万もしたのだからな。
労災だから退院後に書類が揃えば費用は返ってくるらしいが、何ヶ月先になるのやら。
このように多少なりとも前向きに思える様になったのは、大谷翔平選手が活躍したからでも可愛い後輩がまたコンビニコーヒーをこっそり差し入れてくれたからでも無く、体調の変化があったからだ。
痛みの質が明らかに変わってきた。
相変わらず痛いには痛いのだが、以前の様なそれこそ骨の髄から(本当に上手い表現考える人がいたもんだな)の重い、地獄の底で責苦の鬼が鈍器で骨を叩いているような痛みではなくなった。
もっと表層的な、切り傷や刺し傷的な痛みになってきた。今までよりはずっとマシだし、なによりその手の痛みなら痛み止めの効きがいい。
Don’t look down, look forward
下を向くな、前を見ろ(そしてとっとと歩け)
そんな事、他人様にはとても言えない。
今どきは相当のブラック企業でもなかなかそこまでは言わないだろうから、自分自身に言ってみる。
CMの二枚目俳優になったつもりで言ってみる。
タメイキ。たとえ自分自身に言われてもやはりこう、やれやれという気持ちにしかならない。
本当はもう、薄々分かっている。
元のようには走れない。歩けない。
傷が癒えても、何も元通りにはならない。
退院しても、左足で自室の床すら踏めない生活が何ヶ月も続く。いよいよその後復帰できたとする。
関係先に挨拶回りして、保険会社や事故相手と交渉なり裁判なりをし、その後ようやく職場に戻る。
職場では快気祝いの花束くらいはくれるのだろう。
そして、迷惑かけた分だけ頑張りますなどと私は挨拶する。
でも、もう入院前と同じパフォーマンスで成果を上げる事は、きっとできずに終わるのだろう。自分の体だからこそ、それがわかってしまう。
下を向くな前を見ろ。
それはつまり、その現実を受け入れろという自分自身への通告だ。
弱い心を奮い立たせて前を向く。睨む。
目の前には、病室の白い壁。
16・入院30日目〜33日目 秋きたりなば
変わらぬリハビリの日々。
傷が塞がらないので歩けないから、車椅子移動に逆戻り。そして傷が開かないように配慮しながらの関節をほぐす運動主体なリハビリ。
骨自体はまだ全然くっついてくれない。
季節はすっかり変わり、もう秋の気配。
撥ねられたのは、気が遠くなるような昔のような気すらする。
夏はすっかり消えてしまった。
今年の夏は今後何年先になっても思い出すだろう、あきらめの夏として。
体はなかなか回復しないし、警察も会社事務も病院事務も、必要な書類を中々揃えてくれない。
労災手続きや自前の保険手続きも進められず、相手方の保険会社との話も始まってすらいない。
更に入院していても家賃やローンの支払いは来る。
まあ当座は多少の貯えでやりくりするとしても、収入がストップして支出だけ続いている状態というのは、早めになんとかしないといけない。
救急病院の常として、毎日ひっきりなしに患者が運ばれてくる。泣き叫ぶ声、怒号、そういうものがいつも聞こえながらの生活にも慣れてしまった。嫌な話だ。
苛々せぬよう、動物にでもなったつもりで今現在の事と傷を治す事だけを考える事にする。
職場からの業務引き継ぎ関連のメールも逐次対応せずに昼食後や夕刻などにまとめて対応する事にした。
相変わらず、シャワーを毎日浴びられないのが辛い。更に今は包帯を濡らさぬようにビニールで足をカバーしつつ浴びねばならない。またシャワールームに入るのに片足でぴょんぴょんと飛び跳ねて移動するのが少し怖くて面倒くさい。
そんな日々。
そんな中。
回診の先生がさらっと一言。
だいぶ傷が塞がってきたので、まあ傷が癒えて歩く練習も再開出来るようなら、退院でいいかもですね。
嗚呼、そうなんだ。骨がくっついてなくても、プロテクター付けて自力で動けるなら退院出来るのね。
傷さえ塞がれば。
うむ、傷ってどうすればすぐ塞がるのだろう。
傷薬とか買って塗るとかしないでいいのかな。
いやまあここ病院なんだが、たまに消毒して包帯巻き直すくらいで薬とかほとんど塗らないし。
ビタミンとか多量に摂った方が早く治りそうな気がする。ビタミン剤とか差し入れさせるか。
日々の少量の味気ない病院食は、身体に悪い成分は控えめなのだろうが、どう見ても栄養豊富、ビタミン満載といった感じではない。
あれこれ馬鹿な事を考えつつ、壁に掛けてある薄手のシャツを見る。病院に運び込まれた時に着ていた、半袖のサマーシャツ。
これを着て帰るのか。
さぞや秋の風が、身に沁みる事だろう。
17・入院34日目〜35日目 鉄塊を動かす全ての人へ
相変わらずのリハビリの日々。
ストレッチと、杖のみを使った歩行訓練。
傷の関係でプロテクターがまだ装着できず、短距離しか歩かせてもらえない。
足の折れている部分には力を入れては絶対ダメで、しかし折れていない部分は逆にぐいぐいと負荷をかけていく。これが怖い。間違えそうで。
怖いから躊躇していると、どんどん使わないと駄目ですよとリハビリの先生に言われる。
間違えて負荷をかけたらどうなりますかと恐る恐る聞く。
「そうしたらまあ、終わりです」
との事。
そうか、それで終わるのか。
そんな恐ろしいならプロテクターが戻るまで使わなくていいやと思う。
さて。
自分を撥ねた車については思う事はいくらでもある。
なんなら目を閉じれば、その時の突っ込んでくる光景が今でもフラッシュバックする。
恐怖も怒りもある。
しかし以前の日記にも書いたが、もうそこを考え出すとおそらくこの入院生活が更に苦痛になるだけだろう。だから今は考えない。
痛みが激しい時や不安に駆られる夜に、もし「あいつのせいで」「畜生」という感情に囚われてしまえば、辛さが倍になるだけなのはわかりきっている。
自分がこんな有様になって色々思う。
昔、飼っていた犬が交通事故で死んだ事。
目を真っ赤に泣き腫らした叔母が、ずっと看病していたけれど、一晩もたなかった。
そして毎日の様に流れてくる痛ましい交通事故のニュース。特に、子供が犠牲になる事故のニュースを見聞きすると、この世の残酷さに絶望する。
事故に限らない。病気、犯罪、震災。
この世は一歩間違えれば容易く地獄と化す。
よくみんな、この恐ろしい世界で心折らずに生きて行けるなと、人の心の強さに感嘆する。
私の様な、足が1本折れただけで心もバキバキに折れるような甘っちょろい人間には想像もつかない。
ただしかし、震災や病気は防ぐのは難しいが、事故、特に交通事故は減らす事はできるはずだ。
自動車という鉄の塊を高速で走らせているのだという意識は常に持つべきだろう。そしてそれが生身の人間にぶつかればどのような惨事になるのか、それだけは常に忘れないでいたいし、忘れないで欲しいと思う。
18・入院35日目〜39日目 怪物君の空
入院生活も長くなった。
看護師の方々や清掃スタッフさん、病院事務の方々、栄養士、薬剤師の方とそれなりに親しくなり、院内の人間関係は円滑だ。
痛みもまあなんとか我慢できる程度におさまってきた。
もうその気になれば歌って踊って、なんならウィンクの一つでもキメられそうな気分だ。
しかし骨はまだ三箇所ポッキリ折れているわけで、ほぼ動けない。
運動不足でストレスも溜まる。
音楽と、時には動画などを見たりして紛らわすのだけれど、最近嬉しいのはMLBのポストシーズンの中継がAmazonプライムで見られる事。
元々そんなにスポーツ観戦が好きなわけでもなく、ニワカもいいところだが、こうして動けない時にはなかなかどうして気休めになる。
特に、令和の怪物・佐々木朗希選手が怪我から回復して獅子奮迅の如く活躍している姿は見ていて心が癒される。
スポーツ観戦で癒されるという感覚自体、健康だった時には全く無かったのだけれど。少し不思議。
佐々木朗希選手は、怪我や不調に見舞われて少し前まで苦しんでいた。
報道では、もはや戦力外のトレード要員だ、メンタルも肉体も弱くてMLBでは通用しない、といった失望論。それに加え、やれ挨拶しないだの遅刻ばかりだの大谷翔平に無視されてるだの、人格否定レベルで書き殴られていた。
メンタル弱くて日本で完全試合なんかできる筈もなく、フィジカル弱くて奪三振記録が作れる筈もなく、もう完全に言いがかりだったのだが。
まあそういう理不尽なバッシングを受けまくっていた人が、ここにきての活躍と再評価。どのようなドラマよりも楽しませて頂いた。
こんな風にスポーツ観戦を楽しめる様になったのだなと、自分で驚く。
折れた骨や大きな傷があるとはいえ、患部が安定してきて次のステップが見えてきたということなのだろうか。感覚の戻らない足指を自分でマッサージしながら、安堵でも失意でもない溜息。リハビリ疲れか。
純粋に疲労からきた溜息、いつ以来だろう。
19・入院40日目〜41日目 炎天の記憶
足の痛みは安定しつつある。
季節の変わり目に歯が少しシクシク痛むような、鬱陶しいが耐え難いという程でもない痛み。
これがたぶん一生続くのだろう。
日常生活に戻れば或いは気にならなくなるのかもしれない。いやしかしそもそも元通りの日常などに戻れるのか。
少し前向きに考えて、頑張らないとなという気持ちになると、現実が襲ってくる。
命があっただけでも良かったのだ。
また歩ける見込みがあるだけ良かったのだ。
そう思う気持ちに嘘は無い。無いのだけれど。
心はたやすくネガティブな深淵に落ちそうになる。
どんなに気付かないふりをしても、この鈍い痛みがまるで闇からオイデオイデをしているかのように、歩けないという現実を教えてくる。
仕方ないとはいえ、病院から出られないのと、病院食しか食べられない生活が40日以上続くのはそれなりのストレスである。
嫌な事があっても酒で紛らわす、なんて事すらできない悲しさ。
もちろん、絶叫やら泣き声が四六時中聞こえてくる救急病院で、そんな事を考えるのは贅沢な事だとも思う。すぐ横を見ればおそらく私よりはるかに深刻な状態の人が寝ているのだから。
だからまあ、ただの愚痴だ。
事故直後の辛さを考えたら天国みたいなものだろうよ、と思い返す。
担ぎ込まれた時は炎天下だった。骨を砕かれた痛みの中でも、暑さによる不快感もしっかりあったのが驚きだ。手術直前に、ああ涼しいって感じたっけ。
もっとこう、こういう時って脳内麻薬みたいのが出まくって何も感じないモノなんじゃないのか。
嘘吐きめ。いや私のドーパミンが足りないのか。そんな馬鹿みたいな事を考えていた。
手術直前に、手術室担当の医療スタッフさんが「よく頑張りましたね、もう手術に入ります。大丈夫ですよ。治りますからね」と言ってくれたその言葉がどれほどありがたかった事だろう。
手術後、ピクリとも動かせなかった足。
今も痛いけれど、なんなら体重さえかけなければストレッチもできる。
傷が塞がればまた杖で歩けるし、退院できる。
退院できれば好きな物が食べられるし、そこからまた数ヶ月すれば杖を使わなくても歩けるだろう。
良い事だ。何も心配ない。元通りだ。全て元通りだ。
私の理性はそうやって心を慰める。
でも。
でもね。それは元通りじゃないんだ。
ネガティブな心がそう駄々を捏ねている。
元通り走り回れる訳ではない。
長期離職した事で失われた信用や信頼は戻らない。
痛みはおそらくずっと消えない。
そういって駄々を捏ねる。
上手く言葉にするのは難しい。
感傷に過ぎないのだけれど、一種の喪失感なのだろうなと思う。
2025年の夏の後半、飛び出してきた車は残りの夏シーズンを私の身体ごと何処かへ撥ね飛ばしてしまった。
リハビリや治療を受け、きっと自分はまた日常に戻るつもりではいる。
ただ、なんだろう。
喪失感と敗北感。
そういったものも同時に強く感じてしまうのだ。
別にアスリートでも無いんだから今後速く走れなくても不便は無い。
別段いまの会社に一生いるかどうかもわからないのだから、査定がどうのとか考えても仕方ない。
そう理屈では分かっている。流せる。平然とした顔は繕える。
だけれどやはり、子供みたいだけれど。
行けなかった夏祭り。食べられなかったかき氷。
もう全力疾走できない足。一生消えない手術痕。
暑い暑いと愚痴りながら肩をすくめて通勤していたであろう2025年の夏の残りな平凡な日々。
そういうものは、もう絶対に戻らないじゃないか。
とネガティブな心が訴える。
退院して、リハビリして、職場にどんな顔で戻るのか。また一線でバリバリと営業回り出来ますかと問われた時、澱みなく勿論ですよと言えるのか。
半年近くを治療とリハビリに充てるというのは、それは結構重い話。
今は皆「お大事に」「早く回復に努めて」と言ってくれはするけれど、しかしずっとそんな言葉に甘えているわけにもいかないだろう。
今でも目を閉じれば、暗い路地からスピードを上げた車が突っ込んで来るようなゾワッとした感覚がある。職場に戻れば自分もまた運転者になるわけで、そんな感覚を持ちながらハンドルを握れるものなのか。
脳内でシミュレートしてみる。大丈夫だ。
しかし正直言えば運転したくない。
そんな事は決して言えないが、本音はもう車などに一生関わらない仕事がしたいよ、と思わずにはいられない。これもまた敗北感の一因か。
まあ別に何かと競争してる訳ではない。
負傷兵として少し治療に専念して、また動けるようになれば考えればいいだろう。
よしんば何かに負けたって、もう前に向かう気力が戻らなくたって、それで人生の全てが否定されるようなものでも無いだろう。
まずは甘い安物コーヒーとバターたっぷりのハムトーストでも食べられる世界に戻ろう。なあ、それでいいだろう。その先はその後考えようぜ。
と精一杯の理性で、駄々っ子で根性無しで泣き虫なネガティブな心に語りかける。
肩をすくめるくらいの元気は戻ったが、ネガティブな心はぐずぐずと泣くのを決してやめてくれない。
20・入院42日目〜49日目 破壊と再生
人の体、とあるいは心。
もちろん私という一個の生命体であるのと同時に、あまたの微生物やら細胞やらの集合体なのだと気付かされる。別にスピリチュアル的な事ではなくて。
いくつもの細胞や血液などが形成する肉体の一画に、何かが衝突し破壊されて穴が空き、それを手術で塞いだ。
でも破壊痕はゆっくり回復はしつつあるものの、しっかり残っている。それは身体全体をめぐる色々な物を乱し、リズムを狂わせる。
それが腰の辺りで乱れれば腰が痛むし、肩の辺りなら肩が痛む、という感じだ。
もちろん、医学的な話では全くない。
単に「怪我」に対する私のイメージの話である。
身体に埋め込まれた金属のワイヤーやらプレートが、時々妙に敏感になる時がある。
何かの弾みで痺れや鈍い痛みを送ってきている感じがする。足裏や指などは、感覚のある日と無い日の違いが激しい。不思議だ。
撥ねられてから40日以上経つのに、骨折部や手術痕はともかく、あちこちにできた小さな擦り傷のうちのいくつかがまだ治らない。
普通の生活をしていた時には、数日で治ってしまっていたような小さな傷がいくつか、まだ血を滲ませている。代謝も悪いし栄養も足りて無いのだろう。
いつまでものんびり寝てられないんだけどな、と傷口を摩りながら、一人病室でイジけていると、朗報。
新しく修復された聖衣もといプロテクターが加工所から届いたとの事。
傷口が擦れたり圧迫されたりしないよう再調整し、なんならパーツを一部切ったり広げたりして、外傷に干渉せず骨を守る。
つまり、、
これでまた、歩ける。
痛くとも重くとも再び歩ける。
それはこの、色々な感情がぎっしり詰まった、この病室での生活の終わりが近いという事だ。
21・入院50日目 白い檻から無人の城へ
最後の入院日記。
退院。檻の中よりの解放の日。
いや、檻なんて言って申し訳なく思う。
病院には、本当に感謝している。
人は一人では生きていけないなどとよく言われる。
それは頭では理解していた。
しかし、ならば一人で生きれる所まで生きて、後は終わりでいい。
などと考えていた空虚な自分の、人生観はかなり変わった。
疎遠気味の実家の母とは、ショートメールで互いに「お大事にね」くらいのやり取りをしただけだが、少しだけ敬老精神を持って話せた気もする。
見舞いに来てくれた職場の女子達に感謝。
あまりやつれた姿は見られたくなかったので、嬉しいけれど気持ちは複雑だった。
上司、同僚達には個別で本当に仕事に穴を開けた申し訳ない思いをそれぞれ伝えた。
回復しても戻れないかもしれないが、などとはもう言わない。もしそう思っても。
2度目の手術前夜、先輩に連れられてきた新人の看護師さん。点滴の針を3回も刺しなおして血だらけにされた時、軽く睨んで済まなかった。でも痛かったんだ。
3回目に刺した針も、手術前に液漏れして手術室付きの看護師さんが刺し直してくれたのは内緒にしておく。
しかし、術後の辛い時に一番親身になってくれたのも、その人だった。退院が決まって喜んでくれて、こちらも嬉しかった。
荷物をまとめ、手続きを済ませる。
荷物が多いのでタクシーで。
50日ぶりの外の風は少し寒い。
夏服だからね。秋に半袖のサマーシャツ、変な人みたいだな。
一時間ほどでタクシーは自宅マンションへ到着。
管理会社には入院している事は伝えておいたはずなのに、管理人が訝しげに見てくる。
挨拶してようやく気付いてくれたようだ。
さて、時間が止まっているはずの部屋に戻りますか。
ダブルロックを解除する。
少し長めに歩いたせいで、プロテクター(改)に締め付けられた足、というか傷とその周辺の皮膚がヒリヒリ痛む。
早く外して横にならないと。
横になっても痛いだろうけども。
ドアを開ける。
ただいま、50日間、無人だった部屋。
今、帰ってきたよ。
完




