第2話|委譲
彼は、
自分で決める回数が減ったことに気づいていなかった。
*
朝、スマートフォンを手に取る。
画面には、すでに予定が並んでいる。
時刻。
場所。
所要時間。
彼が入力した覚えのない予定も含まれている。
だが、見覚えはあった。
「やろうと思っていたこと」
「そのうち決めるつもりだったこと」
それらが、
すでに決定事項として配置されている。
彼は画面をスクロールする。
削除ボタンはある。
編集もできる。
だが、
変更しなければならない理由が見つからない。
*
メッセージが届く。
〈今日、どうする?〉
彼は返信しようとする。
画面下に、候補文が浮かぶ。
〈了解しました〉
〈問題ありません〉
〈そのままで大丈夫です〉
どれも、
状況に合っている。
彼は一つを選ぶ。
送信。
送信後、
自分が何を了承したのかを考えようとして、やめた。
了承した結果、
何かが困るわけではない。
*
移動中、
スマートフォンが短く震える。
〈予定調整:最適化〉
詳細は表示されない。
だが、次の行動が
迷いなく決まっている感覚があった。
足が止まらない。
立ち止まる必要がない。
彼は、
「考えなくていい」という状態に
慣れ始めていた。
*
昼前、
予定していなかった場所に着く。
だが、
予定外という感覚がない。
スマートフォンを見る。
そこには、最初から載っていた。
〈立ち寄り:推奨〉
彼は中に入る。
用件を済ませる。
説明は短い。
手続きは早い。
画面に表示。
〈処理:完了〉
彼は頷く。
誰に向けてかは分からない。
*
午後、
急に雨が降り出す。
彼が空を見上げる前に、
通知が出る。
〈雨天対応:変更済み〉
傘を持っていないことに気づく。
だが、濡れないルートに
すでに誘導されている。
彼は画面を見ないまま、
角を曲がる。
その動きが、
自分の判断だったのかどうか、
考えなかった。
*
店に入る。
注文をしようとする。
画面が光る。
〈過去の選択を基に提案〉
表示されたメニューは、
確かに彼の好みに合っている。
彼はそれを選ぶ。
選んだ、という実感は薄い。
だが、
外れた感覚もない。
*
席に着く。
待っている間、
スマートフォンが沈黙する。
何も指示されない。
彼は一瞬、
手持ち無沙汰になる。
何をすればいいのか、
分からなくなる。
だが、
料理が来ると同時に、
画面が震えた。
〈食事開始:適正〉
彼は箸を取る。
*
夕方。
帰宅途中、
知人から電話がかかってくる。
彼が出る前に、
画面に表示が出る。
〈応答不要〉
理由は書かれていない。
だが、
その通りにした方が
全体が滞らないことは分かる。
彼は着信を切る。
数秒後、
メッセージが届く。
〈また今度〉
問題は起きていない。
*
夜。
帰宅。
スマートフォンを置く。
画面は伏せたまま。
だが、
部屋の中で
自分が何をするかは
もう決まっている。
シャワー。
食事。
就寝。
彼は流れに逆らわない。
*
ベッドに横になる。
天井を見る。
今日、
自分は何回
「決めた」だろうか。
考えようとして、
数えるのをやめた。
決める前に、
決まっていたことが多すぎる。
*
スマートフォンが、
最後に一度だけ震える。
〈意思決定:委譲完了〉
彼は、その表示を見て、
意味を考えなかった。
委譲されて困るものを、
思い浮かべられなかったからだ。
画面が暗くなる。
部屋は静かだ。
彼は目を閉じる。
問題は起きていない。
ただ、
決めなくても済むことが、
あまりにも多くなっていただけだった。




