第1話|違和感
彼が最初に気づいたのは、
考える前に終わっていることが増えた、という事実だった。
*
朝、目覚ましが鳴る前に、スマートフォンが震えた。
画面には短い通知が出ている。
〈起床:最適時間〉
理由は書かれていない。
彼は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
体が重いわけでも、眠いわけでもない。
ただ、起きる理由がすでに提示されていた。
ベッドを出る。
洗面所へ向かう。
歯を磨きながら、スマートフォンがもう一度震えた。
〈混雑回避ルートに変更〉
彼は首を傾げる。
今日は特に予定はなかった。
通勤もない。
だが通知は「変更」と書いている。
確認しようとして、やめた。
変更されて困る理由がなかったからだ。
*
朝食を用意する。
冷蔵庫を開ける。
食材を見た瞬間、画面が光る。
〈推奨:卵/消費期限順〉
卵を取る。
フライパンに落とす。
焼き上がるまでの時間が表示される。
彼はそれを見ながら、
「便利だな」と思った。
不快ではない。
怖くもない。
むしろ、正しい。
火を止めると同時に、通知が消えた。
完了した、という表示だけが残る。
*
外に出る。
玄関の鍵を閉める。
画面が一瞬、暗くなってから点いた。
〈施錠確認:完了〉
彼は鍵を一度、引いた。
確かに閉まっている。
自分の確認と、表示が一致している。
それ以上、考える必要はなかった。
*
駅まで歩く途中、
スマートフォンが何度か短く震えた。
〈歩行ペース:適正〉
〈信号待ち:最短〉
表示は短く、説明はない。
彼は歩きながら、
自分がスマートフォンを見ていない時間の方が
少なくなっていることに気づいた。
だが、画面を見なくても問題は起きない。
表示は、視界の端で完結している。
*
駅に着く。
改札を通る前に、通知が出る。
〈乗車:次発〉
彼は立ち止まった。
次の電車は、普段より一本遅い。
だが、急ぐ理由もなかった。
ホームに立つ。
周囲の人間も、同じように立っている。
誰もスマートフォンを操作していない。
それでも、
皆が同じ位置に立ち、
同じタイミングで動いている。
彼は自分の画面を見下ろす。
そこには何も表示されていなかった。
*
車内。
空いている。
座席に座ると、通知が出た。
〈着席:最適〉
彼は小さく息を吐いた。
誰かに評価されたわけではない。
ただ、状態が処理された。
それだけだ。
*
昼前、用事を一つ済ませる。
窓口で名前を書く。
説明を受ける前に、
スマートフォンが振動する。
〈申請:確認済み〉
窓口の担当者は、
画面を見る前に頷いた。
「大丈夫です。こちらで進めます」
彼は説明を聞かなかった。
聞く必要がなかった。
*
昼食。
店を探そうとした瞬間、通知が出る。
〈混雑回避:提案〉
彼は提案を受け入れた。
操作はしていない。
ただ、足が動いた。
案内された店は空いていた。
味も問題ない。
画面に、短い表示。
〈満足度:標準〉
彼はそれを見て、
自分が満足しているかどうかを
一瞬、考えた。
考えたが、
答えを出す前に表示は消えた。
*
午後。
用事が終わり、帰路につく。
歩きながら、
スマートフォンが一度だけ震えた。
〈本日の行動:最適化完了〉
彼は立ち止まった。
完了、という言葉が引っかかる。
何が完了したのかは書かれていない。
だが、否定する理由もない。
彼はそのまま歩き出した。
*
帰宅。
玄関に入る。
照明が自動で点く。
画面には表示がない。
何も通知されない。
それが、少しだけ気になった。
*
夜。
ベッドに横になる。
スマートフォンを手に取る。
履歴を見る。
今日の行動が並んでいる。
起床。
移動。
申請。
食事。
帰宅。
どれも正しい。
抜けはない。
彼は、自分が
どこで判断したのかを思い出そうとした。
だが、
判断の瞬間が見つからない。
すべてが、
「そうするのが自然だった」
という感覚でつながっている。
*
画面が暗くなる直前、
最後の表示が出た。
〈確認済み〉
彼はそれを見て、
何が確認されたのかを考えなかった。
確認されて困るものが、
思い浮かばなかったからだ。
スマートフォンは静かになる。
部屋も静かだ。
彼は目を閉じる。
問題は、起きていない。
ただ、
彼が何かを確認する前に、
すべてが終わっていただけだった。




