表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
般若心経~七つの裁きと六道の行方~  作者: 建徳院 陽明


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/52

【1日目】霧の道-霧の中の目覚め

目を覚ますと、そこは静かな霧の世界だった。

風もなく、鳥の声もなく、ただ白い靄が果てしなく漂っている。

足元を見れば、地面は確かにあるようなのに、踏みしめても感触はなく、身体は宙に浮いているかのようだった。


彼は自分の手を持ち上げた。

しかし、その指先は淡く透き通り、霧と溶け合っていく。

何度握っても掴むものはなく、皮膚の温もりも血の脈打つ気配もない。


――ああ、私は死んだのだ。


そう悟った瞬間、胸の奥に冷たいものが走る。

残してきた家族の顔が浮かぶ。

あの人は泣いているだろうか。

あの子は、父の不在に気づいているだろうか。


彼は声をあげようとした。

「ここにいる」と叫ぼうとした。

だが喉から出るのは、音のない吐息だけ。

その声は届かず、霧に吸い込まれて消えていく。


遠くでかすかな鈴の音が鳴った。

耳を澄ますと、それは声へと変わっていく。

「……色即是空 空即是色……」

古い響きが、どこからともなく霧の中に広がった。


身体がないはずなのに、胸の奥が温かく震えた。

その言葉に応えるように、足元の霧が少しずつ晴れていく。

彼の前に、細い光の道が浮かび上がった。


そのとき、霧の中から無数の影が現れた。

老人、子ども、男も女も、皆同じように透き通った姿で列をなし、静かに歩いていく。

彼らは互いに目を合わせず、ただ黙々と同じ方向へ進んでいた。


「これは……どこへ続くのだろう」

彼はその列に加わり、一歩を踏み出した。


遠くの闇に炎がちらついて見える。

そこからは呻き声と叫びが絶え間なく響いていた。

地獄の火だろうか。

胸がざわめき、足がすくむ。


けれど、反対の空には金色の光がかすかに射し、花びらが舞っていた。

蓮華の香りが漂い、楽の音が風に混じる。

そこには、安らぎの世界があるのだと直感する。


炎と光のはざまに、自分は立っている。

どちらに行くのか、まだわからない。


そのとき、彼の耳に馴染み深い声が届いた。

それは遠く離れた地上から、僧侶の読経と家族の祈りだった。

「どうか安らかに」

「ありがとう」

懐かしい声の温もりが、霧の中で彼を包み込む。


涙があふれた。

消えたはずの手に、確かに光が宿った気がした。


「私は……一人ではない」


彼は祈りに導かれるように、再び足を前に出した。

四十九日間の旅の始まりだと知らぬままに――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ