湖を見た
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よう、つぶらやくん。こんな夜中に起きているとはなあ。トイレの帰りかい?
――久々に見る湖の姿を見ていた?
ああ、今日はほぼ満月だったっけか。
ただでさえ自然少ない環境で暮らしているわけだし、こういう場所に来るチャンスはしっかり堪能したいよね。
そういえば、沼と湖の違いって知っているかい、つぶらやくん?
沼は水深5メートル以下で、泥が多く、全体に草が生えていたりする環境のことを指す。底なし沼のイメージで考えると5メートルなどたいしたことないように思えるが、人を飲み込むには十分だろうな。
それに対して湖は、水深5メートル以上のでっかい水たまりのことを指すようだ。琵琶湖などのおっきい湖を海と勘違いする人もいると聞くし、初見じゃ区別がしづらいこともあるかもな。
湖といったら、ここもまた神秘的な話のよく語られるスポットのひとつ。こうして夜中に、月明かり以外ない景色などは、きっと昔と同じような姿なのだろうなと感じるよ。
そこに伝わる話のひとつ。寝る前にちょっと耳に入れてみないかい?
父は小さいころ、湖の見える家に住んでいたことがあるらしい。
祖父の仕事の関係だかで、数年間の滞在だったらしいが、夜になると家から湖面を見下ろすがひとつの楽しみだったとか。
いまよりも明かりが少ないご時世だ。自分の家の明かりさえ消せば、高台から湖を静かに見下ろすことができた。今のような月明かりもあるなら、なおさらいい塩梅で
明かりの中、風を受けてかすかに揺らぐ水面。それを見るのは父にとっての、いい安らぎの時間だったらしいのだけど。
とある深夜のことだった。
布団に入ってもなかなか寝付けずにいた父は、そっとベランダへ出て、いつもしているように湖を見下ろし始めたのだけど、「おや?」と思った。
向かって手前側の湖畔で輝く、一対の光を目にしたからだ。湖のふちに沿って、ぐわんぐわんと上下する光に伴う、エンジンの駆動音。おそらく、車のものだと判断がついた。
このあたりに来る車そのものは、数こそ少ないが皆無というわけじゃない。キャンプを張るなどして過ごすケースもいくらかあったんだ。
そうだとしても、この夜中にああも走っているというのはなかなか見られない。もしや道に迷って今ごろ着いたのか? などと思っている間に車の動きが止まった。
わずかに闇へ慣れてきた目がとらえたところ、車はどうやら軽トラックらしいということが分かった父。後方にやや長い荷台がくっついたからだ。
ライトがふっと消える。ほどなくばらばらと運転席や助手席から降りる人影があったのだけど、その多さに目を見張った。
とらえただけでも五、六人が、次々と地面に降り立つ。身長もまた1メートルに届かないんじゃないかという小柄なもの。病気などであれくらいの身長のままの人もいると聞いたが、こうも集まっているのはやや妙だ。
目を離せない父の前で、小柄な影たちは身軽に荷台へ飛び移っていく。そこからめいめいで積んでいた何かを抱え込み、湖へ走る。そうして、とぽんとぽんと投げ込んでいくんだ。
荷台で揺られていたものは、影たちにとっては小さな山らしきもの。そこから一部、一部を持ち去っては不法投棄を繰り返していく。
人目を忍ぶこの時間というのが、いかにもよからぬものの気配を漂わせるが、自分にとがめにいけるほどの力も度胸もない。
相手は複数、しかも得体がしれないときている。むしろ、奴らに存在を気取られないように努めたほうが得策。
父はそそくさと部屋の中へ戻る。もとより明かりはつけていないんだ、明かりをつけたり消したりして、気取られることもないはずだ。
布団で横になる父の耳には、聞こえるわけもないのに、どこかあの「とぽん、とぽん」と湖へ塊を放り込んでいく、あの音が響いているような気がしたとか。
翌日。
目が覚めてから湖を見やる父だったけれど、あの軽トラックらしき影は見当たらなかった。もちろん、ごく小柄な彼らの姿もだ。
ほっと胸をなでおろしつつも、休みの日ゆえにのんぶり身支度を整える父だったけれど……やがてちょっとした異常に気が付いた。
いささか静かだ、ということ。
この湖の近辺、いつもであれば種々の鳥たちが集まって、朝からいくらか騒がしさをかもすはずなのだ。
それがない。代わりにときおり、ばしゃりとか、ざぶんとか、水面の騒ぐ音が頻繁にする。
父はあらためて、ベランダより湖の様子をうかがう。
湖面はわずかに波を立てているものの、それだけで音が聞こえてくるほどじゃない。休みの日のこの時間は人や車の往来も少なく、湖でいたずらをしようとする影も見られない。
ならば、先ほどの音は何なのだろうか……そう首をかしげかけたとき。
湖のまわりにある木立の中から、ぱっと飛び出した小鳥の影があった。どのような鳥かは分からなかったが、せわしく羽ばたいて湖の半ばへとその身体を運ばんとしていたんだ。
もし、そのままであったなら湖を超えて、その声を存分に響かせていただろうが、それは叶わなかった。
ざぶん、と音を立てたと思うや、鳥の真下の湖面から、黒い「山」らしくものが盛り上がったんだ。
その輪郭にそろう細かな凹凸の連続が、大きな歯たちだと分かったときにはもう、小鳥は山の中へ吞まれていた。山そのものもまた音を立てて湖面へ沈んでいったんだよ。
それ以降、父は湖に近寄ることはしなかったし、また祖父の仕事の関係で引っ越してしまった。
湖のその後は分からないが、あいつらも、あいつらがまいたものの大きい災いにつながっていないのを祈るばかりとか。