5. すべては幻想
母の死後、私と父は国王夫妻に呼び出され、私が母からギフトを受け継いでいることを父に告げた。亡くなる前に母が王妃に私のことを託したらしい。
父はそこで初めて母のギフトを知り、更にそのギフトが娘に移ったことで娘にまで不貞現場を見られていたことを知った。
自分の軽率な行いが妻の死期を早め、娘に嘔吐するほど拒絶されていることを知り、取り返しのつかない過ちに絶望していたらしい。
今となってはどうでもいいことだ。
私と父の間には、未だ埋まらない深い溝がある。父が酷く後悔し、今は慎ましく生きていたとしても、私の信頼と愛は戻らない。
母と私を汚いもので苦しめた父を、許すことなどできない。
シグルドもいつかの父のように、被害者ぶって愛を乞うのだろうか。昨夜まで、毎日のように私に愛を囁き、月のもの以外は三日と開けず閨を共にしていた。
それなのに、他の女も抱いていた夫。
つまり彼は、私では満足できなかったのだろう。だって私はあの映像のように、激しく、強く求められたことはない。いつでも彼は、優しく抱いてくれた。
男性不信になっていた私を責めることなく、少しずつ触れ合うことから始まり、二人の初夜を行えたのは結婚してから半年後だ。
愛する人に愛されて、トラウマを克服することができて、やっと自分も人並の幸せを掴めると希望を持てた。
ここまで私の心の傷に寄り添い、愛してくれる人はいないと思ってた。
それなのに、ギフトは発動してしまった。
結局私は、彼に我慢させていただけなのかもしれない。
こんなトラウマ持ちのメンタルが弱い女、本当は面倒だったのかもしれない。でも婿入り先として公爵家に旨味があるから、偽りの自分を——私が望む理想の男性を演じていただけなのかもしれない。
手に入れたと思った普通の幸せは、すべて幻想だった。
もう、私には何が愛なのかわからない。
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「イリス!」
パーティの後始末を終えたシグルドが寝室に飛び込んで来た。必死な形相でベッドに駆け寄り、私の手を握る。
その瞬間、全身にぞわりと悪寒が走った。
だけどそれを必死に抑え込み、夫に微笑みかける。
「シグルド……ごめんなさい、せっかくのパーティだったのに……」
「いいんだよ、そんなの。ああ、熱があるね。体調が悪かったのなら早めに言ってほしかった。君が倒れた時はもう気が気じゃなかったよ。頼むから無理はしないでくれ」
「ごめんなさい。パーティを今更中止にできないと思って……」
庇護欲をそそるよう落ち込んだふりをして、キスを拒絶した時のことをうやむやにする。疑問を投げられたら困るため、朝からずっと体調が悪かったことにした。
「イリスは子供の頃から疲れが溜まるとすぐ高熱を出すんだから、シグルドがちゃんと気を配ってあげてちょうだい。我慢強いから毎回『私は大丈夫』って言うけど、その言葉は鵜呑みにしちゃだめよ」
マルシェが不自然にならないようにフォローしてくれる。子供の頃からよく高熱を出していたのは事実なので、シグルドもすんなり信じてくれた。
「ああ、わかってるよ。無理をさせないように目を配るし、使用人たちにも指示を出しておく」
「二人とも大げさよ。明日の朝にはきっと治ってるわ」
「ダメだ。このあと医者に診てもらうよ。しばらく安静にしてくれ。明日の執務は君の分も俺がやっておくから」
「でも明後日は領地に視察に行くでしょう? いろいろと準備しないといけないし」
私の言葉にかぶせるように、マルシェがたたみかける。
「ちょっと! 病み上がりでいきなり領地の視察に行くつもり? オルタンシア領の本邸までどれだけかかると思ってるのよ。さっき無茶しないでと言ったばかりでしょう?」
「そうだよ。本邸までほぼ一日馬車に揺られるんだ。そんな長旅に病み上がりのイリスを連れて行けないよ。視察は俺一人でも大丈夫だから、今は安静にしてほしい」
「そうよ、イリス。具合が悪い時くらい旦那に甘えときなさい」
「わかったわ」
私の返事に、シグルドが満足そうに微笑んだ。
これで言質は取れた。
マルシェのフォローで自然に誘導できたことに心の中でほくそ笑む。マルシェはこのあとすぐに王宮へ帰っていった。
きっとすぐに影を手配してくれるだろう。
とりあえずシグルドに警戒心を抱かせず、視察に送り出すことができそうだ。
馬車で一日かかる距離。
視察期間は半月ほど。
彼は、あの侍女を連れて行くかしら?