4. 呪いの始まり
「シグルドは今どうしてるの?」
「ここに居座ろうとしてたけど、中止したパーティの後始末をしてこいって追い出したわ」
「そう……戻ってくるまでに、いつも通りの私に戻らなくちゃね。泳がせないと証拠を得られないわ」
「イリス、それは影にやらせるから。私と王宮に帰りましょう?」
私は首を横に振る。
「いいえ。証拠が揃うまで私はここにいる。シグルドが優秀なのはマルシェも知っているでしょう? 私がいつもと違う行動を取れば、彼はすぐに感づいて証拠を消すわ。そして私を監視して、ほとぼりが冷めるまで愛人との接触は控えるでしょうね。それでは困るのよ」
伯爵家の次男だったシグルドが公爵家の婿になれたのは、私が二度の婚約破棄で瑕疵がついていたことが大きいけれど、それだけが理由じゃない。
単純に彼が優秀で、貴族としての立ち回りや仕事ぶりを父や王妃に評価されたからだ。
外見は温厚そうに見えるシグルドだが、社交の場での空気を読むのが得意で、相手を油断させて情報を引き出す能力に長けている。
そして時には非情な選択も取れる覚悟も持ち合わせている。そういうところが私の婿に相応しいと父の許しを得たのだ。
「マルシェもシグルドは諜報員に向いていると言っていたでしょ。現に私はギフトが発動するまで愛人の存在に気が付かなかったのよ。それって私の行動や思考を読んでうまく立ち回っているということでしょう? 我が夫ながら恐れ入るわ」
先程まで夫の愛を疑っていなかったのだから、ずっと彼の手のひらで踊らされていたということなのだろう。
「離婚まで時間をかけたくないの。短期決戦で決着をつけたい。ちょうど明後日から夫婦で領地に視察に行く予定だったから、これは大チャンスよ。この体調不良を利用してシグルド一人で行かせるから、影に監視をお願いしてもいいかしら?」
「わかったわ。今日中に手配しておく。この事は両親とお兄様には伝えるわよ。その方がすぐに影を動かせるし、王家でイリスを守れるから」
「王妃様にまた心配かけてしまうわね……」
「姪なんだから、困った時は遠慮せず甘えればいいのよ。お母様もそれを望んでる。貴女は王妃の妹が残した大事な忘れ形見なんだから」
「うん。ありがとう」
実は、亡き母も私と同じギフトの持ち主だった。
私の伯母である王妃は、きっと私が母と同じ末路を辿るのではと心配なのだろう。
母も長い間、このギフトに苦しめられていたと聞いた。
私がこのギフトを発現したのは八歳の時だ。病弱の母に何か思うことがあったのか、精霊は気まぐれを起こして母のギフトを私に移した。
ある日突然、何の前触れもなく、父と見知らぬ女が睦み合う映像を脳に植え付けられたのだ。
八歳の私にはとても衝撃で、脳内で父の知らない一面を強制的に見せられて泣き叫び、そのまま倒れて数日間、高熱で寝込んだ。
目覚めた後、心配で近づいてきた父を見て嘔吐し、号泣しながら拒絶した。
娘が父を拒絶する理由を知った母は、自分の忌々しいギフトがよりによって娘に移ってしまったことに気づいた。その事実は、衰弱していた母に大きな精神的ダメージを負わせ、体調は悪化の一途を辿った。
母が体調を崩したきっかけは、妊娠中にギフトが発動して父の浮気を見せられたことに起因している。予告もなく無秩序に脳に叩き込まれる映像は、どれだけ母の心を抉ったのだろうか。
私の記憶の中の母は病弱で、すぐに寝込んでいたイメージしかない。でも、とても優しい母だった。いつも私を気にかけて、愛してくれた。
ギフトに苦しめられていたというのに、私の前では母はいつも笑顔だった。母が負の感情を見せたのは、私にギフトが移ってからだ。
ギフトを授かってからの私の人生は地獄そのもので、親族の集まりや邸内の親しい使用人たち相手でもギフトが発動し、酷い頭痛で倒れ、いつしか大人の男性を受け付けなくなった。
それからは、いつ発動するかわからないギフトに怯えて部屋から出られず、母の部屋で過ごした。それでも心の傷は癒えることはなく、脳に刻みつけられた気持ち悪い記憶を夢の中でも見せられた。
発狂して飛び起きる度に、母が私を抱きしめて、泣きながら謝るのだ。
『ごめんね、イリス。私がこのギフトを持ったまま死ねたら良かったのに……っ』
母は自分と娘を裏切った父との離婚を望んだが、父は離婚に応じなかったらしい。心から愛しているのは母一人だけで、浮気相手は愛人でもなんでもなく、ただの性欲処理の相手だと言っていたそうだ。意味がわからない。
愛しているのが母だけなら、なぜ母を苦しめるようなことをするのか。裏切っておいて、なぜ拒絶されたら被害者面して嘆いているのか。
図々しいにもほどがある。
結局母は、私の境遇を嘆きながら衰弱し、そのまま息を引き取った。