21. 離婚
「サインをしてちょうだい」
「嫌だ……君を愛してるんだっ……これだけは嘘じゃない! ローラに気持ちを移したことなど一度もない、俺が愛しているのはイリスだけなんだよ……っ」
王族の前でもおかまいなしに、シグルドは泣きながら私に許しを乞う。でも彼が言い訳するほど、私の心は冷えていった。
愛していない女を、あんなに好き勝手にしていたのか。
ギフトで見る限り、ローラはシグルドを愛している。
だから私に敵意を向けたのだろう。
それなのに、シグルドは愛していないと言う。
彼は自分がどれだけ最低な発言をしているのか、自覚がないのだろうか?
妻を裏切り、好きでもない女を娼婦のように扱った人間に、愛を叫ばれても全然嬉しくない。
私だけを愛しているというのなら、なぜ裏切ったの?
結局は話がそれに行き着いて堂々巡りだ。
(私には男の人が考えることが理解できないみたい)
ため息をつくと、シグルドの肩がビクリと跳ねた。
「シグルド、私はもう貴方と夫婦を続けられないの」
「嫌だ! 頼むよイリス、俺を捨てないで……っ」
「もう無理なのよ、シグルド。私はもう貴方に触れられない。触れただけで嘔吐するほど、体が貴方を拒否してしまうの。それに浮気したら即離婚。これは婚前契約で決めたことよ。貴方はその契約書にサインしたでしょう?」
その言葉で、シグルドの瞳から光が消えた。
それでも拒否するなら裁判になる──それを悟ったのだろう。これだけの証拠があれば私が負けることはない。
そうなれば離婚理由が世間に開示され、私もシグルドにも瑕疵がつく。それを避けて円満離婚にするために、私は王宮で離婚協議することを決めたのだ。
全身の力が抜けたように彼は俯いた。
部屋が静寂に包まれる。
きっとシグルドなら、あの誕生日パーティで私が体調を崩した理由にも気づいているはずだ。そして、視察に一人で行くことになった時点で、離婚することが決定事項だったことも──
彼はしばらくした後、ゆっくりとペンを取った。
離婚届を手に取り、震える手でサインをする。
紙の上に、ポタポタと彼の涙の雫が落ちた。
「ついでにこちらにもサインをしてもらえるか?」
兄様が追加で一枚の誓約書をシグルドの前に差し出す。
精霊のギフトの機密保持に関する書類だ。
「精霊のギフトの情報は国の機密事項なんだ。だから情報を知っている者を王家で管理する必要がある。ついでに私は『魔眼』のギフト持ちだ。人の嘘を見抜く能力がある。だからこの場で君がついた嘘も全部見抜いているよ」
「……っ」
「ローラとの関係は最近のことじゃないよね? いつからだい? 正直に言った方がいいよ?」
「……一年前からです」
「最低ね」
マルシェの容赦ない言葉に、シグルドは何も言葉を返さず、俯いていた。
そんなに前から裏切っていたのか。
二年の結婚生活の中で、一年もローラと夫を共有していたらしい。もう気持ち悪いという感想しか出てこない。
そして、やっぱり私ではダメだったのだという事実を突きつけられただけ。
トラウマのせいで閨事は苦手だったけれど、シグルドを拒否したことなんかなかった。でも、心のどこかで自分が乱れる姿に抵抗感があったのは確かだ。
シグルドにはそれがつまらなかったのかもしれない。
だから私では満足できなかったのだろう。
性の不一致だけは、どうにもならない。
(私たちは、幼馴染のままの方が良かったのかもね)
「シグルド」
これがきっと、最後になる。
この後、彼は実家に帰される。
私はいずれこの国を出るから、もうこの先、シグルドに会うことはないかもしれない。
彼に最後に言いたいことは——
「シグルド……今までありがとう」
最後にまた罵倒されるとでも思っていたのか、笑顔でお礼を言った私に、シグルドは目を見開いて呆然としている。
もちろん恨んだりもしたし、失った愛情が戻ることはない。
でも、だからといって彼に不幸になってほしいとは思わない。これだけ弱った彼を見れば、私を愛してくれたのは事実なのだろう。
それを受け入れてやり直すことは、もうできないけれど。
「夫婦としては上手くいかなかったけれど、貴方とマルシェがずっと側にいてくれたから、私はこのギフトの能力に狂わずにいられたの。それはとても感謝しているわ」
私の言葉に、彼はまたくしゃりを顔を歪めて、瞳に涙を浮かべた。
もういい。けじめはつけられた。
だからこれ以上、彼を追い詰めるつもりはない。
離婚さえしてくれたら、それでいい。
彼の実家である伯爵家には、慰謝料は請求しなかった。
シグルドにたくさん助けられた思い出があるから、そこまで非情にはなれなかった。
だから別れの言葉は、これでいい。
「さようなら、シグルド。幸せになってね」
そして私は立ち上がる。
背後で私の名を呼びながら嗚咽する声が聞こえたけれど、振り返らずに部屋を出た。
今日から私は、新しい人生を始める。
もう怯えなくていい。
もうギフトに苦しめられることはないのだ。
それだけで、未来が希望に変わる。
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