1. 夫の裏切り
誰か。
誰でもいい。
この力を私の中から消して。
精霊の祝福なんかいらない。
こんなの祝福じゃない。
私にとっては呪いでしかない。
お願い、誰か。
この呪いから私を助けて──
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「ああ、イリス。なんて綺麗なんだ。今日のドレスはとても色っぽいね。やっぱり他の男に見せたくないから、今日のパーティは中止にしないか?」
今日の私のドレスはオフショルダーのドレスでデコルテまで肌が見えている。 私の夫はどうやらそれが気に入らないようだ。
首筋に口付けされそうになり、慌てて彼の唇を手で塞ぐ。
「ダメよ、シグルド。キスマークをつけるつもりでしょう。侍女たちが持てる力を尽くして着飾ってくれたんだから、絶対着替えないわよ」
私の言葉に、夫のシグルドが不満そうな顔をする。
そしてサイドに流したミルクティーブラウンの髪を手に取り、嫉妬の熱を灯したブルーの瞳で見つめながら、私の髪に口付けを落とした。
「こら、髪も引っ張っちゃダメよ。崩れちゃうわ。せっかく巻いてもらったんだから」
毛先は侍女たちが念入りに巻き、艶やかな色香と清廉さの合わせ技だと力説して仕上げてくれただけあって、女公爵として申し分のない仕上がりになっていると思う。
お触り厳禁だと言えば、ますますへそを曲げたシグルドが私の腰に手を回し、キスをしようと顔を近づけた。
私は再び彼の唇に手を当ててそれを防ぐ。
「だ~め。口紅がついてしまうわ」
「ついても構わない」
「今日は私の誕生日パーティなのよ? もうお客様が会場で待っているのに、私の愛する旦那様は皆と一緒に祝ってくれないの?」
彼の首に手を回し、甘えるように問いかければ、彼は私の唇に軽くキスをした。
黒髪から覗く水色の混ざったスカイブルーの瞳に、仄暗い欲が見える。そして色香を纏いながら妖しく微笑んだ。
眉目秀麗な目の前の男にクラクラする。
「誰よりも俺が一番先に祝っただろう? 昨夜のベッドの中で──」
耳元でそう囁き、今度は両頬を押さえられて深く口付けられた。本当に、私の夫は嫉妬深い。
夜会やお茶会など、招待客に男性が混じっている場合は、こうしてマーキングでもするかのように私を腕の中に閉じ込め、人前に行くのを邪魔するのだ。
(私が男性に必要以上に近づかないの知ってるくせに。困った人ね──)
普通の女性なら夫の愛が重たく感じるかもしれない。
でも私は嬉しいと思う。執着される分だけ、彼に愛されているのだと実感できるから。
彼の愛が重ければ重いほど、私だけを求めてくれるのだと歓喜に震える。かつて二度も婚約破棄をした『寝取られ令嬢』と揶揄された私のことを、真に愛してくれているのだと──
でも、二度あることは三度目もあるのだ。
よりによって私の誕生日に、その日は来てしまった。彼が舌を絡めた瞬間、私の脳裏に映像が飛び込んできた。
どこか知らない部屋で、裸の夫と女が抱き合う光景が──
『可愛いよ、ローラ。愛しているっ……もっと乱れた姿を見せてくれ』
『あぁっ、シグルド様! 私も、私も貴方を愛してます!』
獣のように激しく交わりながら、愛を叫ぶ二人。
(なんなの、これは──)
女には見覚えがある。シグルド付きの侍女だ。
今、自分に触れているこの唇で、侍女と舌を絡ませ──
その瞬間、吐き気が込み上げて夫を突き飛ばした。
「イリス!?」
「触らないで!」
(なにこれ、汚い……汚いっ……汚い!!)
他の女に触れた唇で私に触れた。
それが気持ち悪くて思わずえずいてしまう。
「どうしたんだ、イリス!」
「なんで……っ、どうして……っ」
脳裏に浮かぶ映像がまだ続いている。
見たくないのに強制的に見せられる精霊のギフト。
精霊の愛し子だけに与えられる特殊能力。
それが今発動し、私を苦しめる。
目の前に愛する夫がいるのに、頭の中ではその夫が他の女を抱いている姿を見せつけられる。
(やめて!こんなの見せないで!見たくないのよ!!)
そんな混沌とした状態に私の精神は限界を迎え、そのまま気を失った。