生ぬるい湧水
「確か、ここだよね……?」おばあさんの危篤に駆けつけ、病室を訪れた。おばあさんはたくさんの管を繋がれて、顔は腫れ上がり、もう意識のない状態だった。
「今夜が山だって」その言葉を聞くと僕は呆然とした。
おばあさんの次男、僕の父がおばあさんの家に家族を集める。
「兄さん、色々準備した方がいいじゃ……?」
「まだ治療すれば、また元気になるって」伯父はそう言って聞かなかった。
だが、僕はあの姿を見ると、とてもそうとは思えなかった。
「兄さん……」他の家族に聞いても、おそらく同じように答えるだろう。
それでも彼だけは違っていた。
おじいさんは亡くなり、伯父はおばあさんと同居している。
誰よりも近くにいたからこそ、最後まで諦めきれないのかもしれない。
しかし、現実は残酷で無情だ。
伯父は数年前に失職しており、彼にとっておばあさんは唯一の収入源だった。
年金目当ての延命治療。
決してそこに愛など感じなかった。
「もう兄さん、やめましょうよ」その一言が彼を豹変させた。
伯父は黙って立ち上がり、台所のガス栓を開いた。
部屋中がガスの臭いで覆われる。
「うるさい! 黙れ!」伯父はチャッカマンを持ち、叫んだ。
「おい、落ち着けって!」抑制するも言葉は届かず、カチカチとレバーを押す。
一瞬にして、恐怖のどん底へと堕とされる。
皆は家から逃げ出し、彼1人が残る状態になった。
荒くなった息を整える。
「消防に連絡しなきゃ」携帯電話を持つと、父にその腕を抑えられた。
「待て」
「いやでも……」
「火が無い」父は冷静に呟いた。
確かに出火は確認できた。にも関わらず、燃え広がらなかったのか、家は平然としている。
煙も無い。あの状況なら、爆発が起きてもおかしくはなかった。
「一体何が起こってるんだ」頭の中で理解が追いつかなかった。
気味の悪さに、すぐには近づけず、時間だけが過ぎていく。
待てども待てども、何の変化も起きやしない。
しばらくして、もう大丈夫だろうと家の中を確認すると、そこに伯父はいなかった。
「兄さん! いるなら出てきてくれよ!」部屋中探し回っても、どこにもいなかった。
長男が行方不明のまま、翌日おばあさんは息を引き取った。
葬儀を終えても、彼は現れなかった。
1年と時は過ぎ、もうあの日の事は、忘れかけていた。
僕は幼なじみの恋人と地元の夏祭りに訪れた。初めてみる実加の浴衣姿にドキドキが止まらない。
バンバンと頭上では花火が上がり、夜空を鮮やかに彩っている。
屋台の香ばしい匂いにつられて、たこ焼きを買い、熱い熱いと言いながら楽しむ。
「あの人、誰?」手を繋ぎながら歩いていると、突然彼女が指を差した。遠くで男の人が僕らをじっと見ていたらしい。
「どの人?」僕は後ろ姿しか確認できなかった。見た事のある背格好だった。
「ちょっとここで待ってて」僕は彼女にそう言って、男を追いかけた。
走って追いかけるも、すぐに見失ってしまった。
気のせいだったのか、と先ほどの場所に戻る。
「実加? 実加?!」だが、そこに彼女はいなかった。
下駄だから歩きにくく、そう遠くに行ってないはずだ。
しかし辺りを見渡しても、探し回ってもやはりいない。
「もう終わりなのか……」僕は膝から崩れ落ちた。不安と悲しみで涙が溢れてくる。
ゆっくりと立ち上がり、何かに誘われるかのように、おばあさんの家に勝手に足が動いた。
玄関に鍵はかかっていなかった。
「おーい! いるんだろ? 出てこいよ!」僕は叫んだ。真夏なのに手が震え、鳥肌が立つ。
玄関から居間へ歩を進めた。
――ガタガタ。
納戸の襖が音を立てていることに気が付いた。
僕は恐る恐る襖を開けた。
熱風が身体を包み込む。バチバチと炎が火柱を立てていた。
火に囲まれ、逃げ場などなかった。
「ありがとう」僕は目を瞑った。