50刑事と怪盗
わたしは凡庸だ
だからこの二本の脚で地べたに立つしか脳のない人間だ
早朝
朝食の支度をする
コップ一杯のミルクとトースト
それにニュースを観るためにテレビをつける
ニュースといっても本当は天気予報しか真面目に観ていない
テレビをぼおっと観ていたら
なにか忘れ物をしていることを思い出した
大切ななにか
なんだろう、それはとても大事でどこか遠くにある記憶
ふと壁に目をやると
壁に貼られた紙にゴミの収集日が書かれてあった
これだった気がした
急いでゴミ箱からゴミごとゴミ袋を引っ張り出すと
先端を結んで外に出ていく
住んでいるアパートの二階から降りていく途中
同じくゴミ出しに出ていた一階に住む青年に出会した
わたしはこの青年の本性を知っている
けれど今は知らないことにしている
青年は
「やあ、おはよう」
と馴れ馴れしくわたしに声をかける
わたしは丁寧かつそっけなく
「おはようございます」
と返した
「朝はやいね」
「そうですか、いつもこんなですよ」
とりとめもないやりとりのなか
青年はわたしのことをじっと見つめている
あまり見られるのも困るので
「何か?」
と問いただすと
「あ、パジャマなんだね」
とわたしのパジャマ姿を指摘した
ひとにはフェティシズムというものがあると聞いたことがあるが
この男はパジャマフェチだったか
またひとつ青年の本性を知ってしまった
わたしは侮蔑と目上の人に対する尊敬語をかけた眼差しを送る
俗に言うジト目である
青年は気まずそうにわたしから目線を逸らすと
ゴミ袋を置いてそそくさと戻っていった
わたしもその後からゴミ袋を捨てて家に戻る
わたしの部屋には制服がハンガーにかけられて主人を待っていた
わたしの本性のひとつ
それは女子高生
なんといういい響きだろう
三年しかいられないが本心を言えばもっとそうでありつづけたくある
そろそろ通学の時間が来てしまったな
ミルクを飲み干すと
わたしは本来のわたしになった
街角にある宝石店
わたしは今、わたしのもうひとつの本性、怪盗になっている
変装し、アイマスクをして
わたしが誰だかわからないようにしている
店のブレーカーを落として
目的のお宝に近づく
もう少しでショーケースが割れる、そのときだった
店内がぱっと明るくなった
「はい、逮捕」
後ろからあの青年の声とともに
わたしの手首に手錠がかけられる
「今は予備電源っていって、電源が落ちても少ししたら点くんだよ」
講釈をたれながら青年もとい
その本性である刑事はわたしを後ろ手にして
もう片方の手首にも手錠をかける
わたしはまたもや同じ刑事に捕まった
署内の応接室で尋問が行われている
「キミ、予告から4分遅れてやって来たよね
あれだけ事前に時計の時間調整しとけって言ったのにさ」
机を挟んで刑事の向かいで座るわたしは
うつむきながら恥ずかしさに耐えている
「それに予備電源のことも調査不足だし」
「店内に入ってくる経路はワンパターンだし」
「こちらの人員が余って警備が手厚い時間帯にわざわざ予告してるしさ」
刑事にいくつも指摘されるたびに
わたしの顔は真っ赤になり
羞恥心のあまり
沸騰して頭から蒸気が出てしまうようだった
しばらくして刑事は少し呆れたようにしながら
いつものようにこう言った
「まあ、これで七回目か、今回も未遂だったし
未成年だから補導の扱いにしとくから
もう帰っていいよ」
もう必要なくなったからと
野に放たれた生贄の子羊のように
わたしは警察署から追い出されるのだった
街の中央には街の人がよく目印にしている水色のビルがある
ビルの中にはテナントとして美術館があり
この期間は特別展示で海外の絵画展が催されていた
わたしはその中の一枚の絵に目星をつけて
絵画展に下見に来ている
もちろん女子高生として
こういった美術学習経験を積む目的も兼ねてだ
順路を辿って中程あたりまできたころ
お目当てのお宝を発見した
それはハガキ大くらいしかない小さな抽象画だった
瞳のキラキラが止まらない
これこそわたしの求めていたお宝だ
絶対わたしの物にしてやるぞ
そんなことを考えていたら
少し離れたところからおーいと声をかけられた
あの刑事もといアパートの一階に住む青年だった
「奇遇だねえ、こんなところで会うなんて」
青年はいつもわたしに馴れ馴れしい
「そう、ですか?」
丁寧かつすっとぼける
「この絵、好きなのかい」
「好きっていうか、小さくて可愛いし部屋に飾れたらなって」
ふたりで小さな絵を鑑賞する
「これで一枚数億円だってさ。絵画の値段って恐ろしいよな
オレもさ、いいの見つけたよ、あっただろ、あのドデカイの」
少し前に横幅十メートルはあろうかという絵があったのを思い出す
「あんな絵、あなたの部屋に入るんですか?」
「うん?それもそうか、じぶんちのサイズ考えてなかったわ」
笑う青年にほとほと呆れている
「そういや、何回も会ってるのに電話番号交換してなかったよな、交換しないかい?」
「番号交換の誘い方、下手ですね、下手な人には教えませんよ」
あっさりとかつスマートに断ってみせたつもりだけど
内心はヒヤヒヤだったりする
というのも以前予告状の送り先を間違えて注意され
その際に同様の事故がおこらないよう電話番号を控えさせられていて
じぶんの番号なんて教えようものなら
一発で怪盗だとバレてしまうからだ
何気に冷や汗を拭いながら
「順路ってこれであってるのかな?」
ととぼけて話を逸らしてみる
「心配なら、一緒にいこうよ。二人で観た方が楽しいよ、きっと」
意図せず青年が話にのってきてしまった
「えっ、えっと、、、」
戸惑ってるわたしをよそに青年はさあ、さあ、と
わたしの手を引いていく
番号交換よりかはましかと諦めて
カルガモの親子のようについていくしかないと
わたしはじぶんを納得させた
「あの美術館で一緒にいた彼、誰よ」
絶対に知られてはいけない人物に知られてしまった
恋バナ大好きな親友だ
食いついたら離れない彼女の性格はよく知ってる
だから、わたしは観念して事情を話した
同じアパートに住む青年で
館内の途中でばったり出会したこと
その後一緒に鑑賞したこと
一緒に帰ったことなど
「ふーん、帰ったの一緒なんだあ」
「同じアパートで帰り道が同じだし」
言い訳じゃないのに言い訳臭くなってるのがかなしい
「んで、美術館の中ではどうだったの?」
「絵の感想とか言ったよ。意見が同じだったり違ったり」
「へー、で、じぶん的には彼との相性はどうだったの?」
相性?そんな切り口考えたこともなかった
「どうなの?ねっ、どうなの?」
執拗に顔をくっつけてくる親友に負けて
「相性は、、、ふつう?」
かなり適当に答えてしまった
「ふつう、、、そっかあ、これは脈アリだね」
ヤバイ、このままではカップリングにされかねないと
危機感を抱いたわたしはいい加減にもほどがあるような
理由を思いついて、その場からそそくさと逃げ出した
美術館襲撃の日
怪盗のわたしは水色ビルの裏口にいる
ビルは一見して真新しく見えるが
実は去年改修工事をしていて
本当は築40年の建物だ。
だから裏口にあるドアの鍵穴も古いもので
怪盗にとって必須スキルである鍵開けの技術を持つ
わたしにはちょちょいのちょいなのだった
今回はブレーカーを落とさず直でお宝を盗みに走る
最短ルートを計画している
裏口の通路を突っ切って展示場に入る
お宝までの順路は下見で暗記している
急ぎ足でお宝に近づいて手をかける
警報ブザーが鳴った
だけど気にはしない
そのまま壁からお宝を外す
お宝盗難、初めての成功だ
興奮さめやらぬ気持ちを必死に抑えて
逃走経路のルートを思い浮かべる
おそらく地上は警備員で一杯だろうから
逃げるなら屋上しかない
わたしは階段を必死に上がっていく
屋上出入り口の鍵もかかっていたが
これも旧式の鍵穴だったので難なく開けることができた
屋上に出たわたしに強い風がぶつかってくる
「こっちに来ると思ったぜ」
そこには青年もとい刑事がいた
「しまった! バレてた?!」
わたしはつい声を出してしまう
「まあ、キミ、運がいいよな。今日は要人警護が重なって、ここの警備は俺一人だ」
刑事は知人にでも話すような感覚で怪盗であるわたしに語りかける
「ふーん、一人でわたしを捕まえられると思ってるの?」
「思ってるさ、これまで全てそうだったからな」
「くっ」
語るに落ちるとはこのことだった
「もう諦めて、その盗品はこっちによこしな」
そう言いながら刑事はわたしにゆっくり近づいてくる
わたしは身構えて左右を見渡す
逃げ道を探すがいい案が浮かばない
当初の予定のルート上にはちょうど刑事がいて
これをなんとかしないと逃げ切れない
ここは一か八かだ
わたしは逆に刑事に向かって突進した
「なっ?!」
意表を突かれて刑事は少しびっくりしたように立ち止まる
わたしは刑事の目の前で
夕空を駆ける天馬のように大跳躍した
わたしがまだ非凡だった中学生のころ
新体操部で跳躍の天才として
名を馳せていたことがあった
でも、それ以外の演技が全然上手くなくて
あっさりレギュラーの座から降ろされ
それ以来わたしは凡庸なわたしになった
刑事の頭上でわたしは宙を舞う
驚きで身動きが取れない刑事の真後ろに着地して
しゃがんだ体勢のまま、また駆け出す
ビルの先にはまた別のビルが隣接している
その間隔は普通の人では飛び越せないが
大跳躍のできるわたしならギリギリなんとかなる距離だ
わたしは渾身の力を振り絞ってビルの先に足を乗せて
跳躍する姿勢にはいった
が、力みすぎたのが災いして
足を滑らせてビルの端からはみ出してしまった
「おち、る、、、」
わたしは無重力にでもなったかのような感覚に襲われた
もう駄目だ
わたしは死ぬのか
そう思ったとき
わたしの片腕が誰かに掴まれた
それは刑事だった
ビルの屋上から身体の三分の一ほど身を乗り出して
宙ぶらりんのわたしをすんでのところで捕まえていた
「俺の腕をしっかり握れ!」
言われるがまま命綱となっている片腕で刑事の腕を掴む
「力が弱すぎる。両手で握れ」
それはできない
もう片方の手には大切なお宝が握られている
重力の容赦ない重みに腕が引きちぎられそうになっている
苦痛がわたしの表情に表れる
「はやく、盗品を捨てるんだ」
わたしを掴んでいる刑事もまた同じ表情を浮かべながら説得する
それでもわたしは躊躇していた
「捨てろ!」
突然、彼は大声で叫んだ
わたしは彼に命令された気がした
従うつもりなんてないはずなのに
気づけばお宝がわたしの手から離れて落下していた
わたしは両手で彼の腕にしがみつく
「よし、これでなんとか」
彼はずるずるとわたしを引き上げていく
わたしは無事一命をとりとめたのだった
「助けられた。よかった。ほんとうによかった」
息を切らしながらしみじみつぶやく彼の
心の奥からやってくる真実の言葉に
わたしは銃撃される無抵抗な市民と変わるところがなかった
警察署の応接室の椅子に座らされたわたしは
力なくうなだれていた
あともう少しで成功だったはずが
命の危機に直面して
彼に救助された
その事実がわたしの小さな肩に重くのしかかっていた
「盗品は軽かったおかげで無傷だったそうだ
額縁の一部が欠けただけだな」
わたしを安心させようとする彼に目を合わせられないでいる
「今回は窃盗既遂なんだが、見てたのが俺しかいないし
まあ、いつも通り、補導にしとくからな」
わたしは黙ったままこくりと頷くしかなかった
「じゃあ、もう時間も遅いし帰っていいよ、おつかれさま」
彼がいつもよりやさしげに声をかけてくれる
結局ありがとうもごめんなさいも言えないまま
わたしは警察署を後にした
中間テストの結果が芳しくない
テスト中、問題について考えてるつもりが
いつの間にか彼のことに変わってたりした
長期入院中の母になんと言い訳して報告したらいいだろう
邪念が頭をもたげる
そんなわたしに親友は繰り返し絡んでくる
彼女は逆に成績が良かったようだ
彼女の機嫌はとてもわかりやすい
肩に手を乗せられてぽんぽんと叩かれた
彼女はわたしの成績の暴落を知っていて
彼女なりの気休めをしてくれていた
「それはそれとして、彼とは上手くいってるの?」
「・・・彼?ああ、ぜんぜん」
何も進展なんてしていないどころか迷惑すらかけたが
何故か嘘をついてるような気分になる
わたしの胸のなかで彼はどんどん大きくなっているのだ
わたしはそんなわたしが嫌いだった
いつものわたしに戻りたいけど、それができなくなっている
自分に対する抵抗感と嫌悪感が
わたしを苦しめようとシーソーしている
もうこれ以上どうしたらいいのかわからない
親友に抱きつかれて絡まれ、
こんがらがる頭の中でわたしはふと悟りを開き
そして決心した
水色のビルの屋上
「用ってなんだ?」
刑事である彼は対峙するわたしにぶっきらぼうに尋ねる
「とても大事な用です」
怪盗であるわたしは真剣に答える
わたしは深呼吸をすると出来うる限りの大声で話し出した
「よく心理学でいう、吊り橋効果、あれは本当でした
危ないところを、あなたに、助けられて
わたしは、あなたのことが、好きになりました」
当初、彼は少しラフだったが、わたしの話を聞いた途端
真摯な態度に改めたように、わたしの目には写った
「ふつうに考え事してるのに、何故かあなたのことが気になってしまいます
どうにか抑えたいときもあったりします
どうしたらいいか考えあぐねた結果、あなたに告白することにします
わたしは、あなたが、好きです」
過呼吸なのかうまく息ができない
水槽から放り出された金魚のようだ
苦しくて切なくもある
このまま消えていきそうになる
彼は黙っていた
沈黙が答えかもしれない
そうだろう、刑事と怪盗では相容れるところがない
彼も何かを諦めたように肩を僅かに落とした
だが、すこし様子が違うようだ
少し悩んでいるような仕草をした後
彼もわたしがしたように大きな声で話し始めた
「俺には、好きな子がいるんだ。いつも俺にそっけなくて
どう扱ったらいいかわからないときもある
困ってしまって話が空回りすることだってあった
それは、女子高生のときの、キミだ
キミが楽しそうに怪盗をしてるとき
いつか正体を明かして
俺と気さくに話してくれるのを、ずっと待っていた
俺も、キミのことが、好きだ
いやキミの想いよりずっと大きい、大好きだ」
信じられなかった
じぶんよりずっと前から
彼がわたしのことを好きだったなんて
心の奥底から暖かいものを感じてはいるものの
まだ信じきれていないわたしがいる
「じゃ、じゃあ、わたしの気持ちに応えてくれるんですか?」
「もちろんだ」
わたしの疑心暗鬼を打ち消すような即答だった
「それに」
彼は続ける
「だんだん怪盗としてのキミも好きになってきたんだ
だって、怪盗をしてるときのキミが一番輝いて見えるから」
「刑事さんを好きになっても、怪盗を続けていいの?」
わたしはいつの間にか彼に甘えてわがままを言っていた
「いいぞ、安心しろ。俺がなんとかする、してみせる」
心強い言葉だった
堪えていたものが全て吹き出したような感覚とともに
わたしの目から涙が溢れ出ていた
わたしは何かを引き寄せる力に導かれるように
彼に近づいていき、彼もわたしの元へやってきた
そして、彼はやわらかく包み込むようにわたしを抱きしめてくれた
「キミの笑顔が好きなんだ。なあ、せっかくだし、俺のために笑ってくれないかな」
「いま、感情がぐちゃぐちゃで涙が止まらないんだけど」
「それでも、さ。俺の願いを聞いてくれるだろ」
わたしは生まれて初めて人のために笑ってみせた
泣きながら笑顔にしてるわたしに彼はそっと唇を合わせる
そうしてわたしの全身は彼を想う気持ちでいっぱいになるのだった
わたしは凡庸だ
だからこの二本の脚で地べたに立つしか脳のない人間だ
わたしは凡庸なんだ
だからこの両手が届く彼に恋をした
ご一読していただきありがとうございました。いかがでしたでしょうか、よければご意見・ご感想いただけると嬉しいです。
また本作はこれで50作目の「短詩」となります。ということはこれまで49作の短詩があるわけで、よろしければそちらの方もご意見・ご感想いただければなと思います。
軽い気持ちで思うところのままに安心して書いてくださって構いません。