8
俺が通う私立松月高校は元々女子高だった。
だが少子化により女子のみだと生徒数が割れてしまう。そのため俺が受験生の時に松月高校は共学になり、男子を初めて募集をしていた。俺はそこを滑り止めとして受けていたが、第一志望に落ちてしまい、この学校に入ることになってしまったのだ。
周りから「いいねえ、ハーレムじゃん。」とか言われるが、所詮オタク系男子。花のごとく美しきクラスメイトや先輩方にとって、俺はその辺に生えている雑草のような存在だ。全く相手にされない。されたとしても困るけど。
昨日の夕方俺は友人達と魔女に会い、喋るメデゥサの生首とお話をして、夜は友人を救うためムマと激戦をするというまるで漫画の主人公のような一日だったが、それは俺達だけのようで学校も街も何にも変わない。
ただ日雀自然公園でちょっとした火事があったとクラスの友人が言っていた。大火事ではなく見つけた時には火は自然に消えて、芝生がちょっと燃えたくらいだ。ヤンキーがタバコのポイ捨てをしたのだろう。
ホームルームも終わり俺は早々と学校を出た。昨夜鈴木邸の掃除をすると約束したので早く行かないといけない。
校門を出ると高校を囲む生け垣にはツツジが咲いて、その向こうの園庭にはバラなどが植えてありアンティーク調のベンチが設置してある。こうして見ると本当に少女漫画に出てくる乙女な学校だ。校舎も何となく大正デモクラシーっぽいモダンなデザインである。
学校の通りを歩いていると、ものすごく目を引く集団が現れた。
「知っている?香り玉のおまじない。コチちゃん。」
「何それ?」
「あのね、きれいな箱にレモンの香り玉を入れて……。」
「えー、違うよ。イチゴの香り玉だよ。」
小四か小五くらいの女の子の集団だ。カラフルなランドセルを背負って楽しそうにお話ししながら帰っていく。よくある集団だがそのうちの一人が、あまりにもおかしい!
身長が高くミニスカートで足がすらっと細く長い。全体的に細い上に胸が大きい。重くて倒れないのかって思うくらい大きい。きりっとした顔立ちでクールな感じの美少女だ。俺とそんなに年変わらなそうな大人びた感じだがランドセルを背負い、頭一つ二つ分小さい小学生の女の子と一緒に歩き、なんかおまじないの話をしている。
俺がびっくりしながら凝視していると、女の子たちも気づいたようで俺の方をちらっと見てきた。俺はすぐさま目線を離して何でもないような感じで歩く。凝視なんてしていたら不審者になってしまう!
それにしても最近の小学生って、大人っぽいなあ……。そう思いながら、待ち合わせ場所へと急いだ。
待ち合わせ場所の駅前で佐藤と鈴木はすでにいた。挨拶もそこそこに、佐藤が興奮気味に話し始めた。
「あのさ、昨日の夜に持って来た鈴木の年賀状が大変ことになっているんだ!」
そう言って佐藤は鈴木が送った年賀状を出した。新年のあいさつが書かれてある文面には『 まし おめでとう』と虫食いのように文字が消えた。
「鈴木邸に突入する前は、普通に『あけまして おめでとう』って書いてあったよな。」
「そう言えば、鈴木の部屋に入る時に『あけて』って変な声が聞こえてきたよな。」
「俺も見せたい物がある。」
そう言って鈴木は鞄から、筆で書いた便箋を出した。
便箋を見ると『じいちゃん 送ってくれた食料、昨日 た。 っこう大量にあって驚いたよ。それからライ ジュースとか ーマレードのジャムとか俺の大好物を入れ くれて、ありがとう。 か よ。』と墨で達筆に書かれているが、虫食いのように文字が不自然に抜けていた。
「ものすごくうまいよな、お前の字って。」
「そうだろう、佐藤!字って言うのは人柄が現れるんだよ!」
「うん。その格言が覆されるくらい、きれいな字だ。」
「どういう意味だ!」
確かにあのゴミ屋敷で書いた字とは思えない。鈴木は消えた文字を指差して話し始めた。
「俺は『じいちゃんが送ってくれた食料、昨日来た。けっこう大量にあって驚いた。それからライムジュースとかマーマレードのジャムとか俺の大好物を入れてくれて、ありがとう。助かるよ。』って書いたんだ。」
全部で無くなっている文字は八個。無くなった文字を並び替えると【助けて】と【ムマが来る】って言葉になる。それは鈴木からの電話で言っていた言葉だ。
「なあ、鈴木。年賀状とこの手紙を書いた時、なんか特別な事をした?一族に代々伝わる筆を使っているとか……。」
「あるわけないよ、そんな筆。ああ、でも年賀状とこの手紙を書いた時、固形墨を使った。」
「固形墨?」
「じいちゃんにもらった固形墨。水を硯に入れて固形墨をすっていくと墨になるんだ。」
腕を前後に動かして固形墨をする動作をする鈴木。
簡単に言っているけど、固形墨ってちゃんとした墨になるまで結構時間がかかるよな。あのゴミの部屋の中で黙々と墨をする光景を考えると結構シュールだ。
さて俺達三人は鈴木邸ではなくホームセンターに向かっていた。掃除という戦いの前にまずは掃除用具という武器を買わなくてはいけない。
「自動掃除機とかあるんだけどな。」
「鈴木、あれはペットボトルとかお弁当の空とかがすべて吸い込める掃除機じゃない。」
「はあ、最新家電なのに不便だ……。」
そんな会話をしていたがふと佐藤が立ち止まり、ある場所をじっと見ていた。
「なあ、あれ、見てみろ!」
「あれ?山本じゃない?」
指差す方向を見るとスーパーナギラの裏でスーパーの制服を着た山本がいた。だが佐藤が驚いているのは山本と詰め寄って話している女性二人だ。遠目からわかるくらい女性の一人は怒って、山本はタジタジだ。
「うわあ、クレーム受けているのか?あいつ。」
「かわいそうに。」
「はあ?何言ってんだよ。あの二人、山本の妹たちじゃん。おーい!山本!」
鈴木が大きく手を振って呼ぶと、山本も気が付き大きく手を振ってこっちに向かってきて、笑いながら「ういっす!」と言った。
「あれ?鈴木邸の掃除は?」
「その前に掃除用具を買いに行く途中。あれ?山本は休憩中なの?」
「うん、まあそう。」
「ジウ兄のお友達ですか?」
山本に怒りながら何かを言っていた女性二人も後ろからやってきた。遠くからだと大人だと思ったが、よく見ると俺達と同じくらいの年の少女たちだった。
山本に怒っていた一人は帰り道で見た小学生と一緒にランドセルを背負ったあの美少女だ。あの時遠くから見ていてもわかっていたが、キリッとしたきれいな顔立ちでスタイルがいい、大人っぽいきりっとした美少女だ。
「こんにちは!」
もう一人のクレームを言っていない美少女はかわいらしい笑顔で、俺達に挨拶してくれた。髪はツインテールで縛りかわいらしいフリルのついた洋服を着ている。可愛らしい雰囲気の美少女だ。だが言葉がどこか見た目の割に幼い。舌足らずと言う感じだ。
見とれてしまう美少女たちだが、彼女たちの言葉が引っかかる。え?ジウ兄?
「とにかく、東風、紫雲。俺はこれから仕事に行かなきゃいけないから……。」
「お仕事が終わったら、うちに帰ってくるんだよね?今日はお母さん、夜勤なんだよ。それなのにお泊りなんて!」
「東風、もしかしたら泊まるかもだよ。もしかしたら……。多分帰ってくるよ。」
「多分って!お父さん、今、大変なのはわかるよね!」
東風と言う大人っぽい少女は、山本に噛みつくように言い返す。一方の紫雲と言う少女は状況をあまりよくわかっていないようで、ニコニコと愛想よく俺達に話しかける。
「あのね、ジウ兄ね、お泊りするんだって。シウンもね、お泊りするの。えっと八月にね、保育園のぞう組さんときりん組さんだけお泊りするの!いいでしょう!」
「うるさい!バカ紫雲!」
「うるさくないもん!バカって言った方がバカなんだよ!バカコチ姉!……イタ!……う、うわああん。コチ姉、叩いた!コチ姉、叩いたよ。ジウ兄!」
「ちょっと当っただけでしょ!大げさに泣かないでよ。ねえ、滋雨兄。昨日だって夜遅く抜け出したでしょ?お父さん、病気は治ったけど、昔みたいに動けないんだよ。それなのに、抜け出して何かあったら、大変でしょ。」
大泣きをするかわいい系の美少女と涙をこらえてキッと睨むきれい系美少女とその二人にあたふたする平々凡々系の山本滋雨。
兄妹ってわからなければ、修羅場だな。俺達は何となく居たたまれない気分になってきた。そして本名なのだろうけど三兄妹共に変わった名前なので、なんだか変な感じだ。
二人の美少女に狼狽していた山本が突然「あー!」と大声を出して、腕時計を見た。
「もうすぐ休憩時間が終わるから、もういいよな?」
「ちょっとまだ話し終わっていないんだけど!?ちゃんと帰ってくるの!?」
東風ちゃんの質問には答えず、山本は俺達の方に突然声をかける。
「とにかく休憩時間終了するから、もう行く!じゃあーねえー!」
大きく手を振って、山本は店の裏口に消えていった。残ったのは悲しそうに兄を見る美少女二人と一方的な友人に呆然とする俺達だけとなった。
この二人どうしよう……と思っていると、くるっと東風ちゃんは俺達の方を向いて会釈して、紫雲ちゃんを引っ張って帰って行った。東風ちゃんの背中を見ていると気丈と言う言葉が思いつく。
二人の美少女の後ろ姿が見えなくなった所で、二人に言った。
「山本の妹たちって、ものすごく美少女なんだな……。初めて見たわ。」
呆けたように言う俺に、鈴木と佐藤は「はあ?」と声を上げた。
「初夏、あんな大人っぽい美少女の小六と五才児いないだろ……。」
「佐藤、初夏。俺には普通の、どこにでもいる、山本似の、小六と五才児の女の子にしか見えないんだけど。」
「えー……。じゃあ、佐藤。これってイツさんたちの魔法?」
「だろうね。」
「俺はまたハブられているのかよ……。」
がっくりと肩を落とす鈴木。
ああ、そうだ。鈴木は大人版夕日ちゃんを見ていないんだった。しかしハブいたという発言は心外だ。俺達も好きでかけられているわけではない。
その時、山本からメールが届いた。『見ての通り、妹達がヤバいんだ!バイト終わったら秘密基地に行ってもいいか?』とあった。
俺達は掃除道具を買わずに、鈴木は例の物を取りに行って俺達は秘密基地に集まった。
「俺達が呪いをかけられた瞬間は、鈴木邸から戻って自転車置き場で話していた時だよな。ほら、邪眼みたいな真っ赤な目をした黒髪の女性と目があった時。」
「その時だろうな。じゃあ、あの人はゼンさん?」
「でもあの人黒いローブを着ていなかったよな。それにゼンさんとはちょっと違っていたかも。」
「魔女だから姿形は変わるんじゃないか?」
佐藤と議論している間、期待半分でメデゥサが喋るのを待っていた。だがメデゥサはうんともすんとも言わない。
「初夏、なんでチラチラと上を見ているんだ?」
「あー、えー実は……。」
「ただいま!持って来たぞ!固形墨!」
ここでメデゥサの事を言おうとしたら、固形墨を見せつけながら秘密基地に鈴木が入ってきた。よし、鈴木も来たところだし言ってしまおう!
「あのさ、俺の親戚……。」
「それとこれだー!」
俺の言葉に被せながらドンと効果音が聞こえてきそうな感じで俺達に何かを見せてきた。
迫力ある筆さばきで『戻れ』という書かれた半紙だった。
だが見せつけられた俺と佐藤は意味が解らず、ぽかんとその字を見つめるだけだった。
「鈴木、何この書。」
「俺が書いた文字を見せたらお前らの魔法が解けるかなって思って。ほら、山本の妹たちの写真。」
そう言って鈴木はスマホを取りだし画像を見せた。画面には変顔をする山本の美しい妹が映っていた。それにしても変顔しても美少女って美しさを保つもんだな。
「全く解けていない。それに魔法を解くのに『戻れ』はないだろ。」
「じゃあ、どういう言葉がよかったんだよ。」
「そうだな。『南無阿弥陀仏』とか?」
佐藤、ジャンルが違うと思う……。
鈴木はうんうんと頷きながら、鞄から書道道具をテーブルに出して来た。
「とりあえず、魔法が解けそうな言葉を書いていこう。固形墨ですった墨はあるから。」
「そうだな。」
そう言って思いつく限りの言葉を考えていった。思つけなくなってきたらライトノベルや漫画からヒントを得て書いていく。だが山本の妹たちの変顔写真は美少女のままだ。
うんうんと悩んでいると、俺のスマホが鳴った。
「山本からメールだ。バイト終わったって。これから来るとさ。」
佐藤と鈴木は「わかった。」と言って、漫画やライトノベルに目を落とす。使えそうな呪文を探しているのだ。
俺はあの山本の妹たちが言っていた事を思い出し、聞いた。
「なあ、山本のお父さんが病気って鈴木は知っていた?」
「知らない。多分誰にも言っていなかったんじゃないのかな?商業科の友人も知らないと思う。」
ため息が出てきた。
今の俺達の状況もだが、山本の家族についてもわからないことだらけだ。
三十分後、山本がやってきた。
「うっす!何してんの?」
「俺が持っている固形墨で書いた文字には、もしかしたら魔法を解けるかもしれないから書いているんだ。何せ、俺が書いた字が声になって危機を知らせたんだから。」
「へえ。でも文字の前後に十字架をつけても絶対効果はないと思うよ。ああ、この魔法陣はあのマンガから真似たの?」
半紙を見て笑う山本。他にもマンガで描いてあった魔法を解く魔法陣とか英語っぽい文章とかも律儀に半紙で書き、新聞を敷いて床に置いている。
「それで効果はあった?」
「全くありませんでした……。」
佐藤の言葉に、山本の笑顔は苦笑に変わり、「そっか。」と肩を落とした。
「なあ、分かっていると思うけど。やばいんだよ、うちの妹たち……。」
「うん、めっちゃ美人になっているね。うらやましいよ。」
「うらやましい?変わってくれたら、ぜひ変わってほしいよ!もう最悪なんだ……。今日の朝目覚めたら、東風も紫雲もあんな風になっちゃって。みんなきっと憧れているようなイベントが起こるだろうと思っているだろ?絶対になかったから、マジで。だって朝から紫雲が俺に馬乗りで起こして来てびっくりして叫んじゃったね。それからあいつ下着姿で今日来ていく服を目の前で選んで着替えるんだよ。中身は五歳児だけど、体はそこそこ発育しているからもう恥ずかしくて……。東風は東風であんなきれいな姿で俺が着替えている時に入ってきたりするから、恥ずかしくて悶絶死になりそうになったよ。しかも親は妹たちが普通の姿にしか見えないから、いちいち驚いて騒ぐ俺に『うるせえ!』って怒るし。」
せきを切ったかのごとく美少女化した妹たちの愚痴を吐きまくる山本。その顔は疲れしかなく、本当にきついんだろうと感じさせた。
「朝だけでこんなに恥ずかしくて火が噴きそうになったのに、夜を考えるともっと恐ろしいよ。東風も紫雲も風呂に入った後、下着姿でフラフラするし家も小さいから嫌でも目に入るし……。」
「大変だ……。」
「でさ、初夏の魔法とか呪いとかに詳しい親戚の人って今、コンタクト取れる?」
質問と言うより、懇願しているような口調だった。
「妹たちが元に戻る方法とか知らないかな?」
「えっと、どうだろう?」
そっと上を見てメデゥサの反応を待った。だが何も言わないどころか、物音ひとつ出さなかった。おいおい、ものすごくピンチなのにシカトかよ!メデゥサ!!
「妹たちイツさんやゼンさんの事は言わないけれど、早く元に戻してほしい。今日は早く帰りたいし。」
「お父さん、病気とかなんとかって妹さん言っていたけど?」
佐藤がためらいがちにそういうと、山本は大きなため息をついた。
「病気はもう治ったよ。でも後遺症で手足が痺れてうまく動けなったり疲れやすいんだ。まだ三十代なのに……。昔みたいにバリバリ働けないから、母さんが介護師の仕事を増やしたりしているんだ。」
山本がぽつりぽつりと話す内容は、とても重い。佐藤も鈴木もちょっとなんて言えばいいかわからない顔をしている。
それを見て更に頭を抱える大きなため息をつく山本。
「今日は母さんが夜勤だ。紫雲は母さんに甘えたいのに出来ないし、東風は一人で何でもしようと頑張っていっぱいいっぱいになるし、父さんは疲れているのにこれ以上無理させたくないし。」
がっくりとうなだれて山本は「心配なんだ。」とつぶやいた。
何か言おうとした瞬間、コトっという音が聞こえてきた。そちらに目を向けるとテーブルの上に書道道具と一緒に木箱があった。
「なんだこれ?鈴木、これも書道道具?」
「いや、違う。これって今までここにあったか?」
山本が木箱を持ち、蓋を開ける。すると掌に収まるくらいの丸い手鏡が入っていた。
「魔鏡だ。俺の婆ちゃんの形見。え?これ、俺の本棚に入れておいたものなのになんで出て来てんだ?」
「魔鏡って?」
山本は笑って箱から鏡を出すとスマホを出して、ライトをつけた。
「初夏、ちょっとここの電気を消してくれない。」
山本の言う通り、すぐに秘密基地の電気を消した。
山本はスマホの光を鏡にあてた。すると昔、理科で習った光と鏡の反射で壁に丸い光が生れた。だがその丸い光の中に天使の形をした影が建物の陰に現れた。
「鏡の中に細工されていて、光を当てるとこうして光の中に影が映るんだ。」
「へえ、すごいな。」
鈴木の言葉に山本は笑い鏡を動かして光の中の天使を飛んでいるように見せた。
すると目にゴミが入ったような痛みがあった。
「あれ?なんか、目にゴミが入った。」
そう言って、俺は目をこすった。佐藤と山本も「俺も。」と言い、こすっていた。鈴木は首を傾げ不思議そうに見ていた。
鈴木だけは痛くなっていないようだ。もしかして……。
「山本、妹たちの画像を見せてくれ。」
俺の言葉に山本もピンときたようですぐにスマホを取りだして、妹たちの画像を見せた。思った通り、山本の妹たちはどこにでもいる小六と五才の女の子に戻っている。
「魔法が解けたみたいだ。」
「うん、俺も。」
「この鏡は婆ちゃんの形見なんだよな。でも紫雲に見せたら『ちょうだい』って言いまくるから、ここに避難しているんだ。でもこの鏡に魔法を解く力があったなんて知らなかった。もしかしたら婆ちゃんが俺を助けるために置いたのかも。」
鈴木の書いた文字にも不思議な力があるように、山本の魔鏡にもそんな力があるのかもしれない。
そう言って山本は自分の本棚に引き出しに鏡を片した。
「魔法もとけたし、これで家に帰れる。」
だが妹たちは元に戻ったというのに山本の表情は浮かない。そしてバイトの愚痴を言うかのような口調で「ばれちゃったなあ。」と言った。
「本当はみんなに父さんの話とかしたくなかった。ずっと隠しておきたかったな。なんかこういう空気感になるし。ほら、俺って空気読めないおちゃらけな人間なんだよ。学校でもバイトでも家でも、そうでいたいんだ。」
明るい感じでしゃべろうとしているが、無理しているとすぐにわかる。
「おちゃらけな俺としっかり者の東風と甘えん坊の紫雲、さばさばした母さんと何でもできる父さんの家だったんだ。でも父さんが倒れてから、周りの雰囲気が変わったんだ。親戚の人にも頑張らないといけないねって言われるし、バイトの人にもいつの間にかバレて大丈夫?って心配されるし、家族は特に父さんがいつも悪いなとかごめんなとか、そういう事言うし。いろいろ変わっちゃって、ものすごく怖くて嫌なんだ。俺はそういうキャラじゃないんだよ。」
そしてもう一度、念を押して俺達に「だから忘れてくれ!」と少し語気を強めて言った。
俺達三人が「わかったよ。」とか言って頷くのを満足そうに見て、山本は「頼むわ。」と軽い感じで言った。もう「大丈夫なのかよ。」と心配も必要ないと言っている気がした。
山本は「帰るね。」と言ってさびしげな表情で去ろうとする山本だったが、鈴木が書いた半紙を踏んで豪快にこけた。お笑い芸人でもこんな見事なこけ方がしないだろうってくらい見事なこけ方に、ちょっと半笑いになった。
俺は笑いをこらえて「大丈夫?」と尋ねた。
「初夏、尻餅をついた俺を笑ったな!」
「俺だけじゃないぞ、鈴木も佐藤も笑ったじゃないか!」
「貴様ら!傷心の俺に対して、なんて態度だ!」
にやりと笑って山本は広げてあった半紙を、かき集めて真上に投げた。ひらひらと舞い上がる半紙がゆっくりと落ちていく。
「おい!俺の芸術作品なんだぞ!」
言葉は咎めているが口調や表情は楽しげに鈴木は言い、山本同様に半紙を真上に投げる。
「何やってんだよ。」
そう言って佐藤は散らばった半紙を集めて、彼にしては珍しくはっちゃけて投げた。何となく楽しくなり、俺も半紙を集めて投げた。
「結構面白いよな、大量の紙を投げるの。紫雲が保育園で新聞紙を散らばして遊んだって話していて、すんごく楽しそうって思っていたんだ。」
「確かに楽しいな。」
「なんかこう悩みとか問題とか全部なくなった気分になれる。」
山本舞い上がった半紙を見て「一瞬だけどね。」と付け加えた。さびしげにそう言う山本に佐藤は、ポツリと言った。
「何かあったら言えよ。相談や愚痴くらいは聞いてやるから。でも今日のところは山本の話は忘れるよ。」
「ありがとな、佐藤。」
山本は半紙を上に投げながら笑った。