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鈴木は無言でここの部屋の電気をつけた。
灯りをつけると、この部屋がいかに大きいかが分かった。シックな黒いテーブルと五人は座れるくらいの黒革のソファとおしゃれなカウンターキッチン、実は業務用なのでは思うくらいの大きな銀色の冷蔵庫、近代美術っぽい大きな黒い絵画が壁に掛かっている。黒を基調としたモダンで広々としたおしゃれな空間だったのだろう。
それを大きくぶち壊しているのは、ゴミとよくわからない家電と段ボールと鈴木の私物だ。部屋の外同様、コンビニの弁当とか食いかけの菓子パンとか、脱ぎ散らかした制服や作業服や下着とか、一回も使っていないような電化製品が床に無造作に置いてあって、開けていない段ボールも何個かあった。
鈴木は近くにあったTシャツを取ってきて、牛乳でぬれたソファを無言で拭いていた。
「鈴木、雑巾は?」
一応俺も手伝おうとしたが、鈴木は無視した。当たり前だがものすごく鈴木は怒っている。拭き終わった後、毛布はそのままソファに置いて俺達の方を向いた。
「……突っ立てないで、座れば。」
俺は「……え?どこに座れと?」と思ったが言わないで、とりあえずテーブルの周りに置いてあるゴミとか漫画雑誌をどかしてスペースを作って座った。テーブルの上をまじまじ見るとこの部屋の縮図のごとくいろんなものが置かれてあった。なんでシャーペンやボールペンの入ったペンたてに、使い捨ての白いプラスチックのスプーンとか当たりって書かれてあるアイスの棒とか歯ブラシとか一緒にあるんだ?
神経質な佐藤を見ると案の定、この世のものとは思えないと言った表情でカピカピになった食いかけの菓子パンを見ていた。山本はあからさまにきょろきょろ見ている。
「なんでいるの、お前ら。」
「鈴木が忘れていった腕時計を渡そうと思って。」
「で?腕時計は?」
「忘れてしまいました。」
鈴木は「ふうん。」と相打ちし、そのまま冷たい目で俺達を見ていた。ちょっと怖い雰囲気だが、ここまでの経緯を全部話せねば。
「無断で鈴木の家に上がってごめん。でも電話で『ムマが来る』って聞こえてきたから。」
「俺は言っていない。初夏と電話した後、すぐに寝落ちしたんだ。」
「それで今日一日、いろいろな事があったから、もしかしたら何かあったかなって思って。インターホンも壊れているし。悪いと思ったけど窓から入った。それでこの部屋に入ると、大人になった夕日ちゃんがお前を馬乗りにしていた。」
俺がそう言うと鈴木は「え?大人版の夕日ちゃんが……。」と表情を変えて、少し前のめりになった。コロコロと変わる鈴木の態度にたじろぐが話を続ける。
「そんで、大人版夕日ちゃんに牛乳をかけたら嬉しそうに消えていった。」
「そうか。で、大人版夕日ちゃんを撮った人間はいるのか?」
「俺、写真撮った。」
「マジか!山本!でかした。このパンをあげよう!」
スマホを出した山本に、鈴木はテーブルの下にあったパンを渡した。チョコレートでコーティングされたパンだったが、五月の汗ばむ陽気でちょっと溶けている。
それにしても、山本。こいつ、いつの間に撮ったんだ。呆れつつも撮った山本の画像を見ると真っ黒のでかいヤギが寝ている鈴木の上に乗っていた。プレゼントをもらった子供のような笑顔で見ていた鈴木は、どんどん表情を失っていった。
「夕日ちゃんどころか人間ですらねえ。黒ヤギだ!なんだこれ!」
「そうなんだよね、イツさんと同じでカメラには映らなかったり、別の姿が映るんだね。あ、そうだ。俺が撮ったイツさんたちが消えた瞬間もちょっと変わっていたよ。」
溶けているチョコレートパンを頬張って、山本は喋る。鈴木は山本のスマホを操作して、イツさんが消えた瞬間の画像を出した。
「何も変わっていないけど。」
「ほら、拡大するともう一つ目が出てきて映りこんでいる。」
「あ、本当だ。俺の動画も何か変化あるかな?……いや、ないな。」
鈴木もほんの少しずつ穏やかな口調になってきた。
だが佐藤が食べかけの菓子パンを凝視しながら、「お前、一人暮らししているの?親は?」と言った瞬間、表情を変えた。
「今年の一月に離婚している。」
ほんの少し態度が軟化してきた鈴木だが、再びイライラし始めている。
「両親二人は県外にいる。あっちに仕事があるし、こっちから仕事に行くのがしんどいんだろ。それに正直親は俺を引き取りたくないんだろうよ。本当は有名のエスカレーター式の中高一貫の学校に入学させたかったけど、俺はやる気がなかったし何より出来が悪かった。親は俺が中学受験で落ちた頃から諦めていた。だから親は俺を自分の子供と思いたくないし、一緒にいたくないだろ。だから俺はここで生活費をもらって一人暮らししているんだよ。」
鈴木はじろりと睨みながら「何か、ご質問は?」と尋ねた。俺はさっさと不法侵入して悪いって謝りたいが、佐藤は更に地雷を踏みまくる。
「大丈夫なのかよ?」
「何が?」
「だってさ、お前の家、ゴミだらけだろ。これじゃあすぐにゴミ屋敷になるぞ!不衛生だし。しかも!燃えるゴミと燃えないゴミとペットボトルを一緒に捨てちゃいけないんだぞ!インターホンは壊れているし、芝生だって雑草だらけだ!それと一番の問題は俺達が普通に簡単にここまで来れた事だ!泥棒とか放火魔とか犯罪者が来たら、お前対処できるのか?!」
「うるせえよ!なんでお前にそんな事、言われなきゃいけないんだよ!お前らは、無断で入って来たくせに!!俺は助けてって言っていないんだぞ!!」
神経質な佐藤も大雑把な鈴木も小さな諍いはあるものの、ここまで怒鳴り合う事なんて初めてだった。
俺は二人の気迫に何にも言えず、山本は平常心とばかりにチョコレートパンを食べていた。
「そもそもお前に心配される必要ないね!生活費だって十分すぎるくらいもらっているし。」
「お金じゃなくて、ゴミ捨てとか、戸締りできていないとかだ!」
「うるさいな!なんでお前に心配されなきゃいけない……。」
バシン!
突然、鈴木の言葉を山本が雑誌を床に叩きつけた音で遮った。もしかして、こいつも怒ったのかと思ったが、様子がおかしかった。山本は何も言わずテーブルから離れた位置で、雑誌を叩き付けた面を見ていた。
「山本、何しているんだ?」
「あ、逃げられた。ん、ゴキブリがいたから潰そうと思って。」
「え?何をつぶそうとしたの?」
「家庭内害虫、ゴキブリ。」
山本が言うか言わないかで鈴木は「ぎゃあああ。」と叫びベッド代わりにしていたソファに避難した。同じように佐藤も顔面蒼白で避難していた。こいつらの素早過ぎる動きに俺は呆れながら部屋を見渡した。
「こんなに汚ければ、普通にいるよな。ゴキ。」
「潰せ!いや、頼む。潰してくれ!!俺、苦手なんだよ。初夏も分析しないで、潰してくれ!」
暴言吐いていた口から、懇願する言葉が出てきた。鈴木、くっそ情けない。見ると鈴木は本当に苦手なようで、罵り合っていた佐藤と一緒に仲良く震えている。
そんな姿に山本もあきれ顔で言った。
「一匹いるって事はこの家には三十匹はいるって事だよ。」
「なんだよ、山本!その法則!なんでゴキが住み着いているんだよ。」
俺は「汚いからだよ!」と突っ込む。ここまでゴミがたまっているのだから、えさを求めて家庭内害虫は住み着くに決まっている。
目ざとい山本は「あ、またいた。」と見つけ叩く。そして「また、逃げられた。」と言い、再び家庭内害虫を探し見つけて叩く。そのたびに、佐藤と鈴木はぎゃあぎゃあ叫ぶ。この二人あまりの変わりように呆れる。こいつらが罵り合っていたのが大昔に思えてきた。
鈴木はがっくりと肩を落として、やつれたようにつぶやいた。
「もう、俺、この部屋で寝れらない。」
「……俺達が来るまで、ずっとここで爆睡していただろ。」
「あ、また逃がした。」
「もう!何やっているんだよ!山本!」
「文句言うなら、お前が退治しろよ。」
「初夏!それは絶対、無理!それから佐藤!ここは俺のソファなんだから、降りろよ!」
「無理!俺に死ねと言うのか!」
「落ち着いて。うーん……とりあえず、食事していない部屋で寝れば?食べ物がなければ、奴も来ないだろ。」
山本の名案に鈴木は「なるほど……。」と言い考え込む。俺は脱ぎ散らかしてあった制服を見つけて、近くにあったハンガーにかけてやった。
結局、鈴木は父親の書斎で寝る事にした。
「俺の親父、書斎には食べ物とか置いていなかったと思うし。多分奴らも来ないだろう。」
洋風な作りの扉を開けると、畳の和室になっていて異世界に来たような雰囲気になった。しかしここも家具はほとんどなく、がらんとした雰囲気だ。
「座布団を枕にして、畳でごろ寝でもする。」
「じゃあ、これを枕元に置いてくれ。」
と言って、鈴木に牛乳を渡した。
「これを置いておくとさっきの悪魔が来ないんだと。」
「ふうん。でも俺、牛乳嫌いなんだけど。カルピスじゃダメか?乳製品だし。」
佐藤は「とにかく!置け!」と言い、渋々鈴木は「わかった」と言って了承した。
「ところで鈴木、もしかしてあの一室でいつも生活しているのか?」
「まあね。この家、家族で住んでいる時も広いと感じていたけど、一人で住んでいると本当にただ広いだけだから。一室で生活した方が良いよ。合理的だろ。」
「へえ、頭いいね。その一室がものすごく汚くなったら片付けないで別の部屋に移ればいいし。」
山本はすごく関心をしていたが、俺はただずぼらなだけな気がした。佐藤は無表情でスマホを見て「ああ、もう十時半だ。」とつぶやいた。
「結構遅くなっちゃったな。明日も学校だし、そろそろ帰ろうか。」
「そうだね。お騒がせしちゃって、悪かったね。鈴木。」
「無断で入ってごめん。」
「本当だよ。爆睡していたのに牛乳かけられ、その上大人版夕日ちゃんが見られなかったし。」
にやりと笑いながら山本と俺に言った。だが佐藤の方に目を向けず、佐藤も山本は何も言わなかった。
そのまま口々に「じゃあな。」と言って手を軽く振り、帰ろうとした。佐藤と鈴木は何にも言わずに帰るのかと思ったが、佐藤は首だけ振り返って「また明日、来るからな。」と告げた。
「なんで?」
「掃除。大きなお世話だし、俺に言われたくないだろうけど、やっぱり不衛生だ。もう暑くなりかけているし食中毒になったらヤバいだろ。だから掃除しに行く。」
「勝手にしろ。」
「悪かった、いろいろ言って。」
鈴木は何にも言わずにただ頷いた。
俺達は入ってきたリビングの窓から鈴木邸を出て行き、駅前の自転車置き場に戻ってきた。
「鈴木って世話好きのお節介な幼馴染とかいないのかな?」
「佐藤、いないからあのざまなんだよ。」
「そもそも現実的に考えていないだろ?そんな都合のいい幼馴染。」
その時、警備員と目があった。ただ今時刻十一時近く、健全な子供ならお家にいる時間だ。にっこり笑って、警備員はやってきた。
「君達、こんな時間まで何していたんだ?」
「ああ、ごめんなさい。塾が長引いて遅くなりました。すぐに帰ります。」
佐藤がスラスラと大嘘を言うと、警備員は「早く、帰りなさい」と言って去って行った。
警備員がいなくなるまで、俺達は自分の自転車が置いてある所まで黙って歩いて行った。
「塾ね。日雀高校の子にしか言えない嘘だね。」
「そうかなあ。」
「いやあ。日門はそういう子、ほとんどいないし。」
「俺の松高もあまりいないかも。」
俺達四人は行っている高校がバラバラだ。佐藤は進学校の県立日雀高校、山本と鈴木はいろんな学科がある県立日雀専門高校、俺は私立松月高校。三校ともここ日雀市にある。
「なあ、山本。鈴木が一人暮らししているって事は知っていた?」
「知らなかった。そもそも俺達学科が違うだろ?俺は商業科、鈴木は農業科。でも周りの友人から今年に入って制服とか作業服とか汚いとか、遅刻ギリギリで登校するとかは聞いていたけど。」
山本は深刻そうな佐藤の顔見て、軽く笑った。
「あまりさ、心配しなくていいんじゃないか?だって俺達も今年で十七の高二、そして数年たてば高校卒業する。そうしたら一人暮らしする奴だっているだろう?そう考えれば、あいつは数年早く一人暮らししているってだけさ。まあ、佐藤にとってあの家は衝撃的だったろうけど。」
「俺は明日、あいつの家に掃除するのは大きなお世話か?」
「行った方が良いと思うよ。約束したんだし、それにあの家は俺も衝撃的だった。あいつがくれたチョコパン、賞味期限切れていたもん。」
「よく食べたな、お前。」
「数日過ぎているだけで食べなないって程、俺は神経質じゃないよ。」
能天気に笑って手を振る山本を見て、佐藤は少し落ち込んだ表情を浮かべた。
「佐藤の言い分も正しいのは、鈴木だってわかっているさ。それよりも鈴木の家を掃除するって約束したんだから、行かないといけないよ。俺も行きたいけど、明日はいけない。」
「山本はバイトだからな。俺も行くよ。」
「あ、マジで!初夏と佐藤、がんばって鈴木邸の掃除、任せたわ!」
山本は明るく能天気に俺達の肩を叩いた。
自転車を引きながら俺達は途中まで歩く。いつもこの時間ならお風呂に入っているか、本を読んでいるかのどっちかだろう。
「佐藤は親になんて言って、家を抜け出したの?」
「ん?何にも言っていないよ。俺の部屋は二階にあるんだけど、二階の部屋の窓から抜け出して庭にある植木をつたって降りて、ここまでやって着た。」
「……お前、化け物との対決の前に、とんでもない危険を冒しているな。」
「でも初夏が悪魔を祓ったじゃん。俺達は何もしていない。」
「うーん、でもあれって祓ったのかな?悪魔、めちゃくちゃ喜んでいたんだけど。」
「いや、あれは華麗に祓ったよ!」
山本と佐藤は褒めてくれるが、あの悪魔の恍惚な表情を考えると称賛される事なのかな?と疑問に思ってしまう。
ふっと甘い匂いが鼻腔をかすった。ゼンさんと会った時と同じバニラの香りだ。はっと周りを見渡すと走り去っていく何かが見えた。
「どうした?初夏。」
「ああ、なんかゼンさん達がいた気がして……。わ!」
走り去っていく何かを目で追うとしたがその先に真っ黒な人間が立っており、そちらに目を向けた。仁王立ちで目線は俺達を親の仇のように睨んでいる。その時、自動車が通りカーランプが人間を照らした。その人は女性だったが、アニメや漫画のキャラのような邪眼と言われる真っ赤な瞳をしていた。
赤い目に釘づけになり、しばらく動けなくなった。やがて赤い目の女性はすっと目線を離し、背を向けて行ってしまった。
その場で立ち尽くしていた俺達は、同時に息を大きく吐いた。
「は、早く帰ろう!」
「う、うん。そうだな。呪術系美女に目をつけられたら、大変だ。」
「やめろよ!そんなジャンル作るの!」
「バイバイ!またな!」
俺達は自転車にすぐに乗って、逃げるように帰って行った。