3 ある魔女の視点
「本当に魔導書はこの街にあるのかしら?ゼン?」
「あるわ。魔法は失敗していない。だからあの四人のうち一人が持っているはず。」
「本当よね、ゼン。長い時間をかけてここまでやってきたのよ。それがすべて無駄になる。」
「大丈夫よ。イツ。」
探していた人間はすぐに見つかった。日雀自然公園に闇夜のようなローブを着た女の子たち。彼と同じくらいの年齢でちょっと驚いた。
彼女たちは昼間子供達が嬌声を上げて走り回る芝生の端にしゃがんで焚火をしていた。
夜の闇をなめる炎を眺めている女の子たちの眼差しは対照的だった。イツと呼ばれた金髪で華やかな容姿を持つ女の子はさびしそうな顔している。ホームシックにかかっているのかしら。一方のゼンと呼ばれた黒髪の妖艶な雰囲気を持つ女の子は笑っている。小動物をいじめているような暗い意地悪な笑みだ。
そして私はゼンという少女を見た違和感を持った。
ゼンは立ち上がり、イツを見下ろしながら言う。
「これからあの四人に揺さぶりをかけるわ。」
「ねえ、本当にあの四人が持っていると思う?」
イツの言葉にゼンは優しげな笑みを浮かべるのみだった。その態度に苛立ったようでイツは睨みながら咎めた。
「フルール・ド・リスがあんな子供とは思えないわ。」
「あなたも子供よ。」
「それにしても下品で愚かで、何にも考えていなさそうな子じゃない。」
子供と言ったかしら。だとしたら彼に会ったのだろう。
ゼンは夜空を見上げた。きれいな満月が黒い雲で陰った。その瞬間、ゼンもまた消えていった。やがて雲から月が出てきても、ゼンは出て来なかった。
「ゼン?どこに行ったの?」
イツは怒った口調でゼンを呼ぶ。
「ねえ、どこに行ったの?ゼン!出て来てよ!」
今度は大声で叫ぶ。ここの公園には人除けの魔法がかけられ、イツ自身にも普通の人間には見えないように魔法をかけている。彼女が大声で叫んだとしても普通の人間には見えないだろうし、この公園には入ろうとは思わないだろう。私以外は。
「ねえ!どこ行ったのよ!」
怒りと一緒に焦り、そして若干の不安が混じっていた。
「姿を見せなさい!私とあなたは契約で……。」
「契約はしていないでしょう?」
イツの背後にゼンが現れた。耳に吐息がかかるくらいの近さでささやき、イツは慄き、飛びあがって振り向く。だがゼンはいつの間にか消えていた。
小さな声で「ゼン?」とイツは呼びかける。その声や表情は迷子のようだった。
「ここよ。」
すっとゼンはイツの前に現れた。突然消え、何度も呼びかけたのに現れなかったゼンを怒るかと思いきや、イツは安堵した表情を浮かべた。
「イツ、焦らないで。ごめんね、いじわるして。」
「……。」
「でもわかって。あなたとの関係は契約ではない。私はあなたに対価を求めてきていないし、いらない。あなたが私を必要としている以上に、私もあなたが必要なの。」
ゼンは凛として真摯な眼差しでイツを見つめている。私はゼンの言葉を聞いて、ゼンの正体がはっきりとわかった。悪魔だね、この子。
「もう行くわ。」
「待って、私も行く。」
「ううん。大丈夫よ。イツ。」
そう言うとゼンは黒い霧になっていき、やがて目を覆いたくなる化け物になっていく。彼女の本来の姿と言ってもいいだろう。
真っ黒いボロボロの毛並み、鋭い牙と爪、そして無数にある黒い瞳。おぞましいくらいの数がある瞳がイツを見つめる。一つ一つの瞳は優しさがあったがイツは目を逸らす。直視しない少女に化け物になったゼンをすっと目線を変えた。
「ここはあなたが住んでいるような場所とは全然違う。だから今はゆっくり休んで。地球の裏側まで、瞬間移動したんだから。」
「わかったわ。」
「それにこの街は少しおかしい。いろんな魔法が渦巻いている。一応、私達は魔法で普通の人達には見えないようにしている。でもここを絶対に離れないでね。ああ、そうだ。あれも燃やしておいて。」
「え……。」
「もう必要ないでしょう。」
ゼンはすっと消えてしまった。
残されたイツはしばらく消えたゼンが立っていた所を見つめていた。だがその行為が無意味だと気が付いたのか、焚火の方に向かいしゃがんだ。
「ここは夜なのに街が灯っている。こんな場所に魔導書なんてあるかしら?」
あったよと言いたかったが、やめておいた。
イツはローブから何かを取り出した。真っ白い羽ペンだった。使いこまれており、そのペン自体にも魔力が幽かに感じられた。
それをイツはじっと見つめる。名残惜しさや罪悪感が彼女の顔に現れて、焚火の灯りに照らされる。
「これでいいんだ。」
焚火に羽ペンを入れようとしたが、ほんの少し炎が燃え移っただけでイツは怯えた表情になりペンをすぐに戻す。燃え移った羽を必死に消すが羽すべて燃えてペンのみしか残らなかった。
イツの目には後悔の色がにじんでいた。でも何に対して後悔しているのか、わからない。
ゼンという悪魔の言う事を守れなかったからか。
長年使っていたペンを燃やそうとしたからか。
それとも別の理由からか。
なんにしても……。
「彼女らはシューニャの魔導書を狙っているのね。」
未熟な面はあるが、ここまで来た行動力と能力は侮ってはいけない。
そしてあの人に全く似なかった彼と会った。彼女らがシューニャの魔導書を得るのは限りなくゼロに近いけれど、絶対に得られないとは言い切れない。
「潰しておかないといけないな。」
さて、どうやって彼女らを潰そうかしら?