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アイデンティティ

作者: 川端マルタ

 思春期の少女という身分は色々とメンドくさい。友人と家族との間で板挟みだ。親は門限とか一々うるさいけれど、親の言うことを全て真面目に聞いてたらみんなからツマラン奴扱いを受けてしまう。そして一つ前提として、親には多少ワガママを言っても家族という繋がりがある。友人付き合いはそうではない。一度受けた判定を覆すのは多分ムリだ。だからつい友人の方を大事にしてしまうのだけれど、そうすると親は私をこっぴどく叱る。怒鳴り散らかす。怒鳴られることは精神衛生上良くないに決まっているというのに。そんな大ボリュームじゃなくても聞こえてるよと文句を言いたくなるけれど、流石にそれが火に油を注ぐ行為であることは分かる。だから私は嵐が過ぎ去るのをただ我慢するしかない。そんな生活を送ってるとつい、


「私は彼らの本当の子供じゃないんだ!」


という悲劇のヒロインめいた思考が頭に浮かんでくることは確かにあった。でもアイデンティティの喪失と言うよりはまあ単なる現実逃避だ。それもごくありふれた。しかも私は本気でそのことについて悩んだりしてるワケじゃない。大抵はオサダと話している内にすっかり忘れ去ってしまってる。


「今日も親父さん飛ばしてたなあ」


「やだ! 聞こえてたの?」


「凄かったよ。iPodで音楽聴いてても聞こえたもん」


「恥ずかしいー」


 オサダとは隣の長田さん家の一人息子で、私たちは何でも気兼ねなく言い合える仲だった。もうトモダチ以上恋人未満と言ってもいいかもしれない。ちょっぴりお恥ずかしいけれど。おあつらえ向きに私の部屋とオサダの部屋はベランダを伝って行き来が出来るようになっていて、ひと月前に実はキスまでは許していて、後はただ彼が男気を見せて私に告白するのを待つだけという感じなのに彼の方はそのままなあなあで済ませようとしてる節があって、でも私は絶対にその先まではヤらせて上げない。まあ彼は余裕ぶっていてもお猿さんであることはバレバレなのでいまの危うい関係は持って二ヶ月かそこらだろうなと私はほくそ笑む。そこから先、恋人になったらどうなってしまうのだろうと妄想する。きっとどう転んでも面白い。でもいまのギラついてるオサダはオサダで中々味があるので私は自分からはアクションを起こさない。

 

 という風に私はどこにでもいる平凡な十六歳の少女だったので、ある朝珍しく自然に目が覚めたと思ったら頭上30センチくらいのところで宙に浮いていた幽霊と目があって、しかも彼女がしきりに「私、タナカナオコ」と言ってきたときには参ってしまった。参った理由は二つあって、一つは低血圧だから声をあげて驚いたりは出来なかったけど幽霊を見るのはモチロン初めてだったから。もう一つは彼女が私と同姓同名だったこと。同姓同名なんて今まで出くわしたこと無かったのに、その初めてが幽霊だなんてツいてるんだかツいてないんだか分からない。いや、憑いてるのかな。不思議と怖さは感じなかったので試しに「私の名前も田中菜穂子!」と張り合ってみるけど消えてはくれない。シゲシゲと眺めてみるとなるほど私とは似ても似つかない。悔しいけれどキレイな感じだ。それでも、狂ったオウムのように名前を繰り返すせいで彼女は田中菜穂子、つまり私の一部なんじゃないだろうかと段々思えてくる。そう思わせる鬼気迫る何かがあった。だとすると、医学的見地から考えていまの私は一種の乖離性障害なのだろうか。あの自分が自分である感覚が稀薄になるという。そういうのは日々の暮らしに並々ならぬ鬱憤が溜まっている人がなるものだと思ってた。鬱憤?


 うーん。別に自分の人生に不満はない。そりゃあ十六年も生きてれば美人に生まれたかったなあと思う瞬間は場面場面で何度かある。でも身近な例で言うとウチの母親なんかは若かりし頃可愛さ余って結構痴情の縺れで憎まれたりしちゃって大変だったらしい。当時はモテてモテて股の乾く暇もなかったそうだ。酔うと毎回私に絡んでくる。今は時の流れに抗えずデブっちゃって、そのクリクリとした大きな瞳が災いしてミシュランマンみたいだけど。まあそんな話を聞くと総合的には母親に全然似ないで良かったのかなと思わなくもないのだ。負け惜しみではなく。もうここまでの感じで伝わっちゃってる気がするけど私は人間関係とか基本的にめんどくさいと思ってる。普通が一番。でもそれとは別に、人間誰しも多かれ少なかれ非日常に対する憧れは持ってるんじゃないだろうか。だから映画や小説は売れるのである。目が冴えてくるととりあえず私はつまらないことを考えるのを辞めて幽霊の存在にひとしきり興奮し、興奮冷めやらぬままシャワーを浴び、朝ごはんを食べ、諸々の支度を済ませて学校へ向かう。電車の中でオサダに「何かいいことあった?」と訊かれて「別に」と答えとく。私以外にはこの私の頭上30センチくらいのところでプカプカと浮いているタナカナオコは見えていないようだった。彼女は静かにしている。でもそれは車内マナーを遵守してるというワケでは無くて、私が目を合わせない限りはタナカナオコはタナカナオコであることを主張してこなかった。


 退屈な授業を四時間連続で受け切ると私はオサダのクラスへとオサダを迎えに行った。彼は友人たちとジャレ合ってる最中で、私が呼ぶと彼らはヒューヒューとオサダを囃し立てオサダはオサダでやめろよーと言いながらも鼻の穴を膨らませて、私はよくも毎日飽きないなあと実際呆れながらそのやり取りを眺めてる。しかしながら彼らの方でも内心あいつクラスに友達いないのかなあなどと私の方に呆れてる可能性はある。釈明しとくと友達はたくさんいるし、よくつるむグループもある。単純に昼ごはんはうるさくて埃っぽい教室じゃなく屋上で静かに食べたい派なのだ。でも一人で食べるのはなんかミジメな感じがしてヤダし、こんなときオサダの存在は便利だった。彼氏と食べるとでも言っとけばあいつらは意味深な笑みを浮かべて私を送り出すのだから。私もオサダも平凡な容姿なのが幸いしてそういうことをしてもやっかみの対象になることはなかった。


「ところでさ、幽霊っていると思う?」


「藪から棒にどうしたん」


「いや、今日そういう夢を見たんだよね」


「へー」


「もうちょい興味持ってくれても良くない?」


「俺人の夢の話苦手なんよね」


「分かるけど」


「はいこの話終わり」


「卵焼きあげるから続けよ、お願い」


「お、シラス入ってんじゃん」


 そう言ってオサダは手づかみで母特製のだし巻き卵を奪ってゆき一口で頬張った。別にそこまで美味しいわけでもないのに、ゆっくり三十秒程時間をかけて咀嚼し終えるとそれを麦茶で流し込み、味の宝石箱や〜とお決まりの文句を言ったあとで漸く、我に返って自分がなぜこんな美味しい想いをしてるのか思い出す。


「それで幽霊がいるかいないかだっけ?」


「そう」


「俺はいると思う」


「なんで?」と意を唱えてみせる。モチロン私もいる派なんだけど、ディベートを成り立たせるために頭上のタナカナオコについては一旦忘れることにする。


「だってその方がロマンあるじゃん」


「でももし有史以来全ての人間が幽霊になってたら大変なことにならない?」


「それは飛躍しすぎ」


「そうかな」


「俺の考えでは幽霊の存在条件って自分のことを強く想ってくれてる人の有無なんだよね」


「ふーん」


「つまりさ、数百万年前の名もなきアウストラロピテクスAの幽霊なんて誰も見たことがないだろ。お盆の時期だけ先祖の霊が帰ってくるのも多分、逆説的にそのときだけ俺らの想いが強くなるからだと思うんよ。どう?」


「悪くはないよ。でもだとしたらあんまりロマンもないかも」


「どうして?」


「だって想いが見せてるってことは結局、私たちの妄想ってことでしょ」


「妄想が一人歩きするパターンだってあるよ」


「例えば?」


「心霊スポットなんかは全部そうなんじゃない? ああいうところに出る霊だって、元々は多分ある個人の想いが生み出したもので、いざ眼前に現れてくれたら嬉しくなってつい誰かにそのことを言っちゃったんだろうな。悪気とかは一切無くて。でもそれが語り継がれてゆくことによってその人の手の届かないところまで話が広がっちゃったりしてさ。そういうのってなんか悲しいよな」


 そんなことを言い出すものだからタナカナオコの存在を私は彼に切り出せなかった。まあそれは結果オーライだったとつくづく思うけどそれは後の話。今は置いといて、オサダ理論について少し考えてみる。タナカナオコは私以外に見えてないのだから私の想いが生み出したってことになる。だとしたら私キモくないか? 自分で自分のことを想ってるだなんて。いや、そもそも田中菜穂子は死んでいないのだし、オサダ理論は当て嵌まらない気がする。頭が痛くなったので考えるのはやめる。ちょうど予鈴もなったし。


 放課後は昨日こっ酷く怒られたばっかだし部活もなかったので珍しくまっすぐ帰宅した。オサダとも一緒じゃなく。彼は弓道部に所属してて、下手に自前の道場なんてあるものだから平日は毎日部活があるらしい。別に強豪でもないのになどと思うのは野暮だろうか。でもオサダは入って以来七ヶ月、そろそろ道場の床全面床暖房に張り替わんないかなあなどと愚痴を言いながらも今のところサボったりせず真面目に顔を出してる。頑張る彼はちょっとカッコいい。ちょっとだけね。


 この時間に電車の窓から見る夕焼けは綺麗なんだなあと柄にもないことを思ったりする。この頃は日が落ちるのが早い。まだ十六時なのにもうあたりは真っ赤っかだ。それでタナカナオコの目にはどう映ってるのかなとふと、座ってる方とは反対のガラス窓にうっすらと映った彼女の方に目をやると一瞬、黄昏と美女のコントラストがあまりに幻想的で息を奪われたのだがすぐに「私、タナカナオコ」という声がそれを台無しにしてしまう。トンネルに入ったのだ。暗闇は電車の窓を完全な鏡へと変えてしまった。俯いてうとうと眠りかけてたらあっという間に最寄駅に着いた。


 すっかり暗くなった駅から続く道を街灯に照らされながら十分、私は家まで辿り着く。築八年少しくたびれてきた我が家。ピンポーンと呼び鈴を鳴らすと母の声がした。まだ父は帰ってきてないみたいでホッと胸を撫で下ろす。少し待ってガチャリと鍵を開ける音がしたので私はドアを引く。


「おかえり。今日は早いじゃん」


「まあね」


 母はそのまま玄関で待ってくれていた。クリクリの大きな瞳を持って我が娘を見つめている。母も今夜は波乱の心配が無さそうでホッとしてるみたいだ。それで私の血の気がみるみる引いてゆくのにも気がついてない。


 ああ、なんでもっと早く気がつかなかったんだろうと私は思った。確かに、目を合わすとうるさくて敵わないからあんまり彼女の顔をはっきりとは見てなかった。それに今の母に美女だったときの面影は殆ど無かった。でも本当のところはきっと、無意識的に考えないようにしていたんだと気がついた。


 玄関に佇む母親とその脇に置かれた衣装鏡に映るタナカナオコは、まるで血の繋がった母娘かのようにそっくりであったのだ。


「私、タナカナオコ。私、タナカナオコ。私、タナカナオコ。私、タナカナオコ。私、タナカナオコ。私、タナカナオコ。私……」


 翌日早朝、まだ暗いうちにこっそりと家を抜け出すとそのまま始発電車に乗り込んだ。目指すは私の生まれ故郷。学校とは反対側の終点まで行って、そこで乗り換えた三両編成のローカル線に更に三十分乗り続けた先にある田舎町だ。久しぶりに訪れたが感慨にふけってる暇などない。無人改札を颯爽と抜けて、ズンズンと誰もいない路地を歩いた。そうして私は記憶よりも更にあちこちヒビの入っている小さな病院の前に至った。


 開けっ放しの門を入ってすぐのところにある桜の大樹のふもとに一輪、タンポポがその白い綿毛を儚げに揺らせていた。私はバッグからスコップを取り出しその辺りを掘り進めることにする。そんな時間にザクザクと一心不乱に必死の形相で地面を掘ってる私は傍から見たらキチガイそのものだろう。爪に砂が入るのも気にしないで、いつの間にか背中には汗を掻いていて、東の空がすっかり一面オレンジに染まり切った頃、スコップの先がコツンと硬い何かに当たった。丁寧に砂を払ってみるとそれはある嬰児の頭蓋骨だった。いや、田中菜穂子のと言うべきか。


 なら私は一体誰だって言うの?


 刹那、一陣の木枯らしが吹き荒れた。風は綿毛をさらって南の空へと去ってゆく。振り返るともうタナカナオコは居なくなっていた。





「……という夢を見たんだけど、どう?」


「ほう、中々悪くないね」


 何の変哲も無い昼休み。私たちはいつものように屋上でお弁当を食べながらそんな話をしてる。流石にそろそろちょっと寒いけれど、でも教室のモワッとした熱気に比べれば幾分マシだ。


「俺鳥肌立っちゃったよ」


「えーそこまで?」


「いや、何か菜穂子の話にしては妙にリアリティがあるというか……」と、そこで少し彼は考え込んで、そして尋ねる。


「いまのさ、本当に夢の話?」


 私はそれに対し明確な解は与えず曖昧な微笑を返しておいた。


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