第6話 さぬきうどん
さて、八栗寺まで歩いた私たちであったが、そこで思わぬことが起こった。
古のガイドブックによると麓から山の上にある寺までケーブルカーがあるということである。しかし実際行ってみると、ケーブルカーの駅はあるものの、それはすでに廃墟と化していた。電力事情から維持できなくなったと見える。
もちろん昔ながらの巡礼道にそって山を登っていけばいいだけの話であるが、しかしなかなか骨が折れそうである。もう昼も近いため、我々はすぐ近くに目についたうどん屋に入ることにした。丁度店の前にマイクロバスが停まっていた。
のれんをくぐると、まず天ぷらやおにぎりの置かれた棚がある。天ぷらを皿に取り、会計でかけうどんを注文すると即座に器に盛られた麺が出てくる。これを自分で湯煎してだしをかける。ここはセルフうどん屋であった。
我々二人がうどんを食べようと席に座ると、すでに別のお遍路さんが隣の席についている。10名程度の団体であり、先ほどのマイクロバスに乗ってきたのだろうと思った。
うどんをすすりながら耳をそばだててみると、彼らの話声が聞こえてくる。曰く、自分でうどんをゆがくなど面倒くさい、さぬきうどんもそれほどではないな、などと言っている。彼らは巡礼者として来ているが、しかし観光客としてふるまっているようであった。店員をはじめとした香川県人にはピリピリした空気が張り詰めたが、しかし手や口を出す者はいなかった。こんな観光客でも重要な外貨獲得源となるのだ。
だが彼らは一点だけ大きなミスを犯した。言ってはならないこと言ったのだ。
観光客気分のお遍路の一人がこう言ったのである「地元のチェーン店で食べたほうが美味しかったわ、ここらへんに〇〇製麺はないのかしら」
その直後であった。うどん屋の玄関の引き戸がばーんと開かれ、全身白タイツに白い能面をつけた人物が姿を現した。
「あ、あれは!」そう竹内氏はおもわず箸を落として叫んだ「うどん仮面だ!」
うどん仮面、なんだそれはと私が尋ねるが彼は口をあんぐり開けたまま答えない。まさか都市伝説が実在したのかと驚きを隠せない風である。
唖然としている他の客をよそ眼に、先ほどの言葉を発したお遍路さんにうどん仮面は近づいた。そして言った。チャンスをやろう、いま訂正して謝れば県外追放で許される。
しかし先ほどのお遍路は食って掛かる。なんだお前は、そんな妙な格好をした人間に指図されるいわれはないぞと吠えたのである。
うどん仮面はため息をつきながら言った。お前は最後の警告を無駄にした。捕縛するしかない。そしてそのお遍路さんを捕らえようと手を伸ばす。
なんであんたに捕まる必要があるの、と彼女は言うとその手を払いのけようとした。うどん仮面は、抵抗するなら仕方ない、と言いながら腰のポーチからうどんを取り出した。そしてそれを投げ縄のように使って彼女を捕縛したのである。彼女の逮捕に抵抗しようとした連れの他のお遍路さんも縛られてしまった。すべては一瞬の内であった。
「あ、あれはまさか、うどん拳!」竹内氏は言った「実在したとは……」
なんだ、知っているのか、うどん拳とは一体何なんだと私が問うと、彼は解説してくれた。うどん拳はかつてうどん県と呼ばれた香川県で生み出された武術である。こしの強いさぬきうどんをロープのように用いて敵を捕縛する技である。そのロープは使用後は食べることもできるたいへんエコな武術なのだ。それもこれも、こしの強さを誇るさぬきうどんだからなせる業であるという。
そしてその妙技をいま我々は目の前に見ていたのである。
捕らえられたお遍路さんはうどんで手を縛られ数珠繋ぎになれ、うどん仮面に連行されていく。うどん仮面によると、神聖なさぬきうどんを侮辱し、あまつさえ香川県の地名を僭称するうどん屋の名前を出したことが重罪なのだと言い、さぬきうどん不敬罪に該当するらしい。そしてこれら重罪人は、竹内氏によれば、これからさぬきっ子を守り隊に引き渡され、塩江の矯正収容所に送られるのだという。そこで何が行われているのかは誰も知らない。戻ってきた人々は脳までうどんに置換されうどんを啜るだけの廃人と化しているという話である。
県外人にも容赦のない苛烈な処置を与えるのを見て戦慄した。我々がカメラを持ち込んでいるのが万が一バレでもしたらただ事ではない。なんとしてでも隠し通さなくてはならない。
しかしそこで燃え上がるのがジャーナリスト魂である。この香川県内の圧政の事実を外に伝えないわけにはいかない。こっそりとポケットに忍ばせておいたインスタントカメラを白衣の裾からこっそり出す。店内の人々は連行されていく県外人か、もしくは自身のうどんかのどちらかを見ており、こちらに注意を払っている様子はない。これはしめたと思い、私はレンズを連行されるお遍路さんに向けてシャッターを切った。
……一つだけ忘れていたことがあった。私はインスタントカメラのフラッシュのスイッチを切っていたかどうか、忘れていたのだ。
直後、店内に閃光が走った。しまったと思ったときはもう遅かった。うどん仮面を含めた全員の視線が、私に注がれていたのであった。