第4話 志度
小麦畑か、と私は思った。
一般的に思い浮かべる日本の農村風景は一面の稲作であろうが、しかしここに広がるのは小麦畑であった。コメは作っていないのだろうか。
竹内氏は言った。香川人は米よりもうどんを食べるから、畑も水田もつぶして、小麦畑に転作したに違いない。小麦のほうが米より必要な水の量は少ないから、そっちの方が効率がいいんだろう。それを聞いて私はふんふんと頷いた。
時計を見れば10時であった。本当にこのまま大窪寺に向かうかどうか我々は議論した。実際、巡礼路に従えばある程度は香川県内を見られるかもしれない。しかし遍路道は高松市の中心部を通ってはいない。巡礼路から離れた道を通っていれば怪しまれる可能性もある。遍路装束ではなおさら目立つ。暑い中歩き回るのもごめんであるし、まじめに遍路などをしていては当初の目的である潜入取材に使う時間がなくなってしまう。なにしろ大窪寺はここからバスで1時間以上はかかる、ほとんど徳島との県境に近い山の中にあるのである。
しかし考えても始まらなかった。とりあえず遍路姿をしているからには寺に行けば目立たぬだろうと駅前の看板の案内にしたがって歩いていく。
突然目の前に海が広がった。さびれた漁港があった。そのまま右へと折れて歩いていくと、海岸とは反対側の右手に五重塔が見えた。それが志度寺であった。
我々はとりあえず志度寺を参拝した。御朱印をもらうことが目的ではないので、寺務所には寄らない。境内には所狭しと木が植えられていたため、それが怪しまれることはなく、だれからも注意されることはなかった。
そして再び道を戻っていると、山門を出たすぐ右のところに看板を見つけた。讃岐の生んだ大天才、平賀源内の墓と説明があった。県が整備した看板のようだった。
私たちは苦々しい笑いを浮かべた。平賀源内はエレキテルなどの作成で知られる科学者である。似非科学に傾倒し、電気文明を否定する香川県庁に顕彰されるとは草葉の陰でいったいどういう思いでいるのだろうかと、思いを巡られたのである。我々は静かに手を合わせた。
顔を上げると、すぐそばの四つ辻には朽ち果てた道路元標が立っていた。歩きながら相談し、そこからは、まるで逆打ちをしているように高松へと近づくのが良いだろうという結論に達した。
志度駅まで戻っている途中、海に面した立派な建物が見えた。役オタ(役場オタク)である竹内氏は、あれが確かさぬき市役所だと言って歩き始めた。仕方なしに私も続いて歩いていく。
さぬき市役所は確かに立派な建物だった。竹内氏がカメラが欲しかったと呻いている。垂れ幕がかかり「守ろう、さぬきっ子の約束」などと書かれている。
それより気になったのが役所前に停まっている給水車である。私は、かけよって水をもらっている人に尋ねた。
給水車ですよ、見ての通り。そう主婦は答えた。香川は常に渇水なのです。うどんをゆでる水を求めて並んでいるのです。
ではあちらは何ですか、と私は聞いた。役所の駐車場にはもう一台給水車が停まっていたからだ。
ああ、あれはうどんの出汁の給水車です。そう誰かが答えた。ああやってさぬきうどんの出汁を分け合っているのです。蛇口をひねればうどんの出汁が出るのは一部の家庭。ほとんどの人は、自分で準備するか、ああやって配給に与るしかないのです。
我々は涙を流した。ああ、水の足りない県はこれほどであったのか。我々は涙をぬぐいながら役所をあとにした。
今度は高徳線ではなく、琴平電鉄に乗り込んだ。列車がほとんど走らない高徳線や予讃線、土讃線の代わりに、琴平電鉄が県内移動手段として使われているのである。そこには優先的に電力が供給されているようで、時間通りに列車はやってきた。
そして定刻通り、私たちは、八栗駅にたどり着いたのである。