第2章 ビザ取得
徳島空港――通称、徳島阿波踊り空港――にたどり着いたとき、まず驚いたのが、アニメキャラが来県を出迎えていたことである。
ボーディングブリッジにはじまり、手荷物の受け取り、そして到着ロビーまでアニメやゲームのキャラクターで埋め尽くされていた。お遍路の広告も美少女キャラクターが白衣を着て菅傘をかぶっているという有様である。私は驚嘆しきっていたが、竹内氏はうんうんと頷いていた。理由を問えば当たり前だ、徳島はアニメ・ゲーム先進県だというのである。
そういえばそうであった。私の住む埼玉県の知事は毎年正月にテレビで歌謡曲を歌うのであるが、徳島県知事は毎年春と秋にプロゲーマーと格ゲーを対戦するという公務がある。これは春と秋にオタク向けイベントが徳島市で開催されているためであり、これが阿波踊りと並んで徳島県の重要な観光収入となっている。eスポーツも盛んであり、徳島県では義務教育のカリキュラムに組み込まれている。eスポーツの国体が徳島県で開催されたことは記憶に新しい。インターネットの面でも先進的であり光ファイバー回線は県内津々浦々を結ぶ。県下の企業もネット産業に参画しており、とくに〇塚グループが開発したVR大〇国際美術館はVR空間で世界の名作絵画を現物通りの迫力で見ることができると評判である。
それが徳島県である。まったく、隣の県はどこで差が出たのか。これを解き明かさなくてはならない。
徳島空港からタクシーで20分ほどで霊山寺にたどり着く。霊山寺の山門では白い遍路装束に身を包んだマネキンが出迎えてくれた。
山門のすぐ外には遍路装束を扱っている店がある。うどん屋も併設されていたので少し早めの昼食をとった。なにも今から食べるものと言えばうどんしかないようなところに行くのにこんなところで食べなくてもよいだろうとも思ったが、周りに他に食堂らしきものが見当たらなかったので仕方なかった。もちろん香川県に持っていけない携帯電話などは家においてきたので、調べることができなかったというのも理由の一つである。
私と竹内氏はうどんといなりずしを頼んだ。たわむれに竹内氏が店主にこれはさぬきうどんですかと尋ねたので面食らった。しかし店主はとくだん顔色を変えない。おそらく慣れっこなのだろうが、いいえ、と短く返しただけであった。
そのあと遍路用品店の中を見て回った。なるほど、装束から納経帳、数珠までなんでもそろっている。私と竹内氏はマネキンを参考にして背中に南無大師遍照金剛と書かれた白衣、菅傘、金剛杖、輪袈裟を購入した。また遍路用の白い頭陀袋と、ろうそく、線香、ライター、そして納め札も合わせて購入した。
会計の時、巡礼ビザはどうすればいいのですかと尋ねた。ああ、それなら霊山寺の社務所に聞いてください、というそっけない返事が返ってきた。
我々は店を出ると、霊山寺の山門をくぐった。境内には池があり、コイが泳いでいる。本堂と大師堂を参拝後、寺務所を探すと、どうやら総受付は山門の外の駐車場に面しているようだ。再び山門をくぐり寺務所に赴き、香川県の巡礼ビザが欲しいことを告げた。個人でかね、と担当者に聞かれ、そうだ、と答えた。酔狂だね、行くにしても普通は団体が安全だよ。それに67番から88番までは礼拝所でもいいのに、実際足を運ぶなんて。担当者はそう言って納経帳の最終ページにビザを糊付けした。
なお礼拝所と言うのは66番札所雲辺寺境内に設けられた香川県の67番~88番札所の写し霊場である。かつて62番札所宝寿寺が霊場会から脱退した際に61番札所香園寺の駐車場の端に62番札所礼拝所と書かれたプレハブが建ったことがある。それにあやかり事実上参拝困難な香川県の札所の代わりとして雲辺寺に礼拝所が建つこととなった。これを参拝すれば実際に参拝したのと同じとみなされ、納経帳に御朱印ももらえる。
そうであるから、わざわざ香川県に入って67番~88番札所を巡るのはよっぽど信仰心に篤いか酔狂の過ぎる人だというわけである。
我々は担当者の言葉に苦笑いしながらも、しかし、ビザを手に入れることができた喜びに内心躍り上がらんばかりであった。このまま県境まで向かいたいとも思ったが、しかし、そうは問屋が卸さなかった。タクシーに県境まで行きたいことを告げるとことごとく断られるし、遍路道を歩いていくのも時間がかかりすぎる。どうすればいいかと思案していると、竹内氏が住職からある情報を聞き出してきた。週に1本だけ、高徳線に汽車が走るのだという。そしてそれは明日の朝であり、ここの最寄り駅である板東駅にも停車する。
それならばそれを使うのがもっともよいだろうと思った我々は、ひとまず寺の近くに宿をとった。霊山寺の近くには巡礼者向けの民宿がいくつかあったのだ。
そしてそのあとぶらぶらとその辺を散歩して午後の時間をつぶした。霊山寺から北へと歩き高松自動車道の高架をくぐると大きな鳥居が姿を現す。阿波国一宮、大麻比古神社である。長い参道を抜け橋を渡ると、やっと巨大なご神木と社殿が見えてくる。我々はここで自分たちの潜入取材が成功することを祈願した。
境内の奥にはかつてドイツ人俘虜が作ったという石でできたアーチ橋があり、これを見た後、神社の駐車場を横切って県道に出て、それを南下する。途中第一次世界大戦期のドイツ軍俘虜収容所跡を観光した後、宿に戻った。風呂に入り、食事をとると、明日は朝早いからと言って竹内氏はすぐ布団に入ってしまった。私はと言えばいよいよかという昂ぶりを抑えられず、なかなか寝付けなかったことを覚えている。
そして翌朝7時過ぎ、宿を出た我々は板東駅のホームにいた。池谷方面から高松行と表示している国鉄色のキハ40系が1両編成のワンマン運転でやってくる。列車の中にはすでにいくらか人がいたが、空席もあった。
停車は短かった。新たに我々二人を加えたこの気動車は、盛夏の日差しの中を西へ向かって走り始めたのであった。