6話 探し人
日の暮れ始めた頃のゲストハウスの共有スペース。
卓上や壁掛けの燭台などによって室内は薄明るくなっていた。
エマはナディアとともにソファに腰掛けていた。旅の服装から一変し、なんの変哲もない村人の衣装に身を包んでいる。これらは、村長の秘書である女性が貸してくれた私服であり、エマは自分が着るには少し若すぎる気がしていた。が、秘書は頬を赤らめながら、服が喜んいますわ!!などと目を輝かせていたのでありがたく着させていただくことにしたのだった。
エマは久しぶりの湯浴みを終え幸福感を味わっていた。約一ヶ月の間、体は濡れた布で拭き、洗髪は一週間に一度程度しかできなかった。魔法でお湯を作れる分、人族に比べれば幾分もマシだが、魔力の枯渇は雪山での死を意味するため無理はできなかった。何よりも辛かったのは、美しいナディアも同じ状況に置かれることであった。自分や息子であるコードだけならまだしも、ナディアやアベルまでもが清潔とは言えない環境に置かれることに精神的なダメージを受けていた。
"後でナディア様の髪のケアをさせてもらいましょう"
そんなことを思いながら、エマは隣りにいる麗しい人を見つめ笑みを浮かべた。
この旅に出る直前、ナディアは腰まであった長い髪をバサリと切り落とした。今は肩にギリギリかかる長さであり、本人は手入れが楽だと気に入っているようであった。
エマはナディアの長い髪を愛でながらケアをすることが趣味であったので、現状に物足りなさを感じていたりはする。
エマとナディア、そして、コードとアベルの関係は普通の友人のそれではない。
村人にそれを気付かれないように、4人(アベルは眠っていたので実質3人)は打ち合わせをしていた。
表向きは普通の友人でいよう、と。
ライナには自分たちの関係性に気づかれてしまっているだろうけれど、そこはコードがカバーする手筈になっている。
"うまくやってちょうだいね"
エマはこの場にいない息子に願いを託したのだった。
村長の秘書だという、ピンクブラウンの長い髪をポニーテールにした20代半ば頃の美しい女性が、慣れた手付きでハーブティーを用意してくれた。
『このハーブはライナが摘んできたものなんですよ。リラックス効果があります』
女性は暗い琥珀色の瞳を細めながらそう言った。彼女が優雅な手つきでお茶を淹れていく。カップに注がれた黄色味がかったハーブティーの香りが鼻腔をくすぐる。
『カモミールね。素敵な香りだわ。いただきます』
『エーデルワイスさん、ありがとうございます』
二人は秘書にお礼を言った。
『ソフィーで結構ですわ、見目麗しいご婦人方』
村長秘書であるソフィー・エーデルワイスは暗めの琥珀色の瞳を再び細めて美しく微笑んだ。
それはまるで女神のような微笑みだった。
"コードが好きそうな女性だわ"
エマはカモミールティーを喫しながらふとそんなことを思ったのだった。
『ライナが摘んで私がお茶を入れる。なんて素敵な共同作業、、』
うっとりとした表情でソフィーが小さくつぶやいた。
美しい顔がデレデレに崩れたのを見てエマはクスっと笑ってしまった。
『おっと、失礼いたしました。仕事中でしたのに』
ソフィーははっと我に返ると恥ずかしそうにしながら謝った。
ナディアとエマは首を横に振った。
『どうかお気にせず。むしろ、すみません。湯浴みから何から提供していただき。休暇日なのにもかかわらず、本当にありがとうございます』
エマはナディアとそろえて頭を下げた。
『めっそうもないですわ。お美しい方々のお世話ができるなんて、何たる幸せ。村長秘書の特権ですわ!あら、そろそろ村長が来るころでしょうか』
そういうとソフィーは優雅に一礼し、共有スペースから退散した。
『ライナさんは、たくさんの人に好かれてるのですね』
ナディアがそうつぶやき、エマはコクリと頷いた。
『そうですね。ライナさんが助けを求めに村に戻ったら、これでもかってほどの人達が来てくれましたし』
必要以上の人が来てくれたおかげで、ナディアとエマの持ち物はすべて村人たちが持ってくれ、身軽に村に入ったのであった。
その時、玄関ドアが開き、足音が近づいてきた。
入ってきたのは60代ほどのやや小柄な男性だった。白髪の混じった黒髪を後ろに束ね、灰緑色の瞳を持ち、キリッとした印象の顔立ち。姿勢の良さや顔つきや雰囲気から、この人が村長なのだろうと察することができた。
『お二人とも、体調のほうはいかがですか?アジール村の村長を務めておりますヘルムート・ディステルです』
ヘルムート村長の挨拶にエマ達もお辞儀で返し、自己紹介をした。
村長はエマたちの向かい側のソファーに腰掛けた。
『お気遣いいただき、本当にありがとうございます。湯浴みや着替えまで手配してくださって本当に助かりました』
ナディアは金色の瞳を少し潤ませながら礼を言った。
『困ったときはお互い様です。この村もそうして生まれたのですから。お二人、というか四人のことをうかがってもよろしいですかな?』
『はい。それは私の方から』
エマがここに至るまでの経緯を説明した。もちろん、伏せるべきところは伏せた上で。
村長は顔をしかめた。
『それは本当に大変でしたね。この時期のラヴィーネを越えるのは難しかったでしょう。しかも途中で戦闘も。。ご子息たちが心配でしょうが、家内は腕利きの医者ですので任せてください』
彼の言葉に、エマとナディアはほっと胸をなでおろしたのだった。
『本当に何から何までありがとうございます。まさか、本当にラヴィーネ大山脈の中に村があるなんて。しかも魔族や人族関係なく過ごしているようにお見受けします。これが本来の世界の在り方なのではないでしょうか』
エマは見逃さなかった。
そのナディアの言葉に、村長がピクリと眉を上げたことを。しかし、村長の表情は一瞬のうちに戻ってしまったのでナディアの方は気が付かなかったようであった。
『私達がこの地を見つけたのは本当に偶然だったのです。ちょうど35年ほど前、先代のリズニア王の命で私や家内が中心となって開拓を始めました。その数ヶ月後に偶然魔族側の人々もやってきたのです。最初のうちはケンカがあったり色々ありましたが、どうにかやってこれました』
村長は遠い昔に思いを馳せていたようであった。
『そう言えば、ナディアさんの言い方ですと、この村の存在をご存知だったので?』
村長の問いにナディアが頷いた。
『はい。昔、ある人から聞いたことがあったのです。種族関係なくみんなで協力している理想の地がラヴィーネ大山脈の中にあると。もしかしたら村の関係者だったのかも知れません』
『もしよろしければ、その方のお名前を伺ってもよろしいですか?』
村長の問いに、ナディアはポツリとその人物の名前を答えた。
エマは、そこで初めてその名を知った。
今までイズールでは誰に対しても頑なに言おうとしなかったその名を。
やっと聞けた、という思いと、村長には簡単に教えてしまうのかという複雑な気持ちがエマの心に広がっていった。
ヘルムート村長は一瞬目を大きく見開いた。
それが意味する答えを知りたいという願いをぐっと抑えたように、ナディアは話を続けた。
『私と彼はイズール国側のラヴィーネ大山脈のふもとで出会いました。短い期間でしたが、彼と過ごせた日々は私の宝物です』
ナディアは少し寂しそうな笑顔を浮かべた。その結末を知っているが故に、エマは心が締め付けられそうであった。
『そうでしたか。ちなみに彼は、その後?』
村長は何かを確認するようにナディアに尋ねた。
『わからないのです。この腕輪だけ残して私の前から姿を消してしまいました。もう17年前のことになります』
そういうとナディアは、袖を少しばかりまくりあげ、自らの左手首につけた銀のブレスレットを見せた。
彼女がそれを進んで他人に見せることはなかったため、エマはその行動に少しばかり驚いてしまった。それほどまでに今回の機会に賭けていることがわかり、なんとしても彼が見つかってほしいと願った。
全ては敬愛するナディアのために。
村長はブレスレットを見つめ、思いつめたように小さくため息をつき、まさかとは思いますが、と尋ねた。
『アベルさんは、、』
『はい。。そのときの子どもです』
ナディアの答えに、村長は姿勢を正した。
エマとナディアは小さく息を呑んだ。
村長の反応はあまり良いものではなかった。
彼を知っているだろうけれど、即答できないということは、もう、、そんな予想が二人の頭によぎっていた。
『残念ながら、アジール村にその人はいませんが、人違いでなければ居場所は知っています』
その言葉にエマとナディアは目を丸くした。
『生きて、いるのですか?!』
ナディアは驚きのあまり大声を上げる。
『私の人違いでなければ、ですが。あまり期待しすぎず、しばらくの間村で待っていていただけますか?』
『はい。あぁ、あの方は生きててくださってたんですね。アベルにも早く伝えなくては!』
『ナディアさん、落ち着いてください。まずは本人かどうかがわかってからにしましょう』
エマが興奮するナディアを止めに入る。アベルの性格からすればそれが一番だと考えた。
『そ、そうですね。私としたことが、失礼いたしました。』
ナディアは顔を赤らめ下を向いたものの、口元の笑みを隠しきれずにいた。
『アベルさんはかなりの重傷と伺ってますので、十分に治るまで村で療養してください。その後のことはまた今度話し合いましょう』
ヘルムートの言葉にナディアは頷いた。
『ありがとうございます。村長様にも、ライナさんにも、本当に感謝してもしきれませんわ。彼女に至っては自分の身を犠牲にしてまで、、』
『あ、、』
ナディアとエマは顔を見合わせた。
二人はライナに村長には言わないでと言われていたことをすっかり忘れていたのであった。
ヘルムートはため息をついた。
『やはりそうでしたか、しかもその様子だとあなた方に口止めまでしてたとは』
ヘルムートが頭を抱えたのを見て、二人は慌ててライナを弁護した。
『どうか彼女を怒らないでください。私がどうしてもと頼んだのです。ですからどうか、、』
『わかっています。何事も人命には変えられません。まぁ、説教はします』
ヘルムートは平然と答えた。外に聞こえるようにわざと。
「ひいっ!」
共有スペースの向こうから当事者である少女の声が聞こえた。
診療所からゲストハウスに到着していたのであった。村長に気付かれないように入ってきたつもりだったが、彼には通用しない。
「ライナ、1時間だな」
「そんなー、うう。せっかくの休日が。。」
二人は会話を続ける。
「それはそれ、これはこれだ」
『村長の人でなし』
『ウェルダ語で言っても無駄だ』
「ちっ」
「プラス1時間」
エマとナディアは二人の会話についていけなかった。おそらくリズニア語で会話しているためであった。
「だ、だめ!明日の予習がまだ!!睡眠時間は削れない!」
「かわいそうに。さ、冗談はここまでにして、部屋に入っておいで。アベルさんたちの様子を伝えに来てくれたんだろ?」
失礼します、とライナが入ってきた。村長を見るなりどんどん小さくなっていく。
「はい、報告!」
「はい!!」
エマとナディアはライナからアベルの手術が成功したこと、二人ともしばらくは診療所に入院することなどを聞いた。
『よかったわ。ナディアさん、本当によかったわね!』
エマが笑顔でナディアに声をかける。
『ええ。ライナさん、本当にありがとう。』
『いえ、困ってる人がいれば助けるのが村の基本原則ですから』
そういえば、とライナはつづいて村長に話しかける。
『お二人のこれから泊まる場所は決まってます?』
『いや、これから打診するところだった。このままゲストハウスにと考えていたが』
『それなら家でどうでしょう。さっきここに来る途中で母に会いまして、泊まるところに困ってたら家で部屋を貸せるからと』
『たしかに、ゲストハウスよりイーリス家のほうが何かと便利だな』
診療所の位置はイーリス家からの方が近い。しかも、イーリス家は父親の仕事柄空き部屋も多く、他人を泊めることに慣れている。
『じゃあ決まりで!』
ライナは嬉しそうに微笑んだ。エマもナディアもそれにつられて微笑んでしまう。
『お二人とも、我が家にいらしてください。母もぜひと言っています』
『良いのですか?何から何まで、本当にありがとうございます』
こうしてナディアとエマはイーリス家でしばらくお世話になることとなった。
◇◆◇
村長の説教は二人を待たせるわけにはいかないということで二十分という最短記録を更新し、ライナはたちはゲストハウスから開放された。
大きな荷物は明日運ぶことにした。
ヘルムートは誰もいなくなったゲストハウスで深いため息をついた。
「急いで遣いを出さねば。ウルマーは今日帰ってくる予定だったよな。もう一度リズニアへ行ってもらうか」
村長はブツブツと独り言をつぶやき、もう一度大きなため息をついた。
「お前の息子はとんだバカ息子だよ」
ヘルムートは天を仰ぎそうつぶやいた。