5話 唯一の村医
ライナが怪我をしている魔族を連れてきたという情報は小さな村で瞬く間に広がった。
怪我をしていたアベルとコードは村の警備隊によって診療所に運ばれた。ナディアとエマはゲストハウスと呼ばれる宿泊施設に通された。
◇◇◇
「ライナが怪我をした魔族を連れてきただって?」
唯一の村医、ゲルデ・ディステルは灰色がかった緑色の目を瞠った。白髪の混じる金髪を頭の高い位置に結び直すと、情報をもたらした村人達に説明を続けさせた。
「北の森と西の森の境らへんにいたんだとさ。金髪の少年は腹に大傷を負っててよ。警備隊の兄ちゃん達がもうすぐ連れてくる」
「黒髪の若い兄ちゃんも腕に包帯巻いてたな」
「すげぇ美人なんだよ、ふたりとも。いや、4人ともか?」
伝令役の彼らは興奮気味に言った。
彼らによると、大怪我をしているのは金髪の少年だけで、それ以外は自力で歩けているらしい。
「最後のはいらん情報だな。春とはいえ、ラヴィーネを越えてくるとは。大傷なら手術の準備が必要だな」
ゲルデはまもなく来るであろう少年の手術に向けて道具を揃え始めた。
それから数分後、警備隊によって金髪の少年が運び込まれてきた。
「っ!?」
ゲルデはその顔を見て言葉を失った。
それは彼の状態に対してではなかった。
髪の色味こそは違うが、まるで、、、
そこまで考え、ゲルデは頭を振った。
今は目の前の彼を確実に助けることから考えよう、そう決意した。
顔色こそ青白くなっているものの、呻くこともなく静かに寝息を立てていた。
外套や服にはおびただしいほどの血がついており、一瞬息を引き取ったのかと思ったほどに穏やかであったのだ。
ゲルデは、あの子やりやがったな、と呟きながら小さく舌打ちをした。
事情を知っているであろう黒髪の青年は、命に関わる程の怪我ではなさそうであったので、軽く挨拶だけ済ませるとひとまず金髪の方の処置に入ることにした。
ゲルデは手術室にアベルを運ばせ、手際よく道具を揃えていく。手術室といっても手術台1台と様々な道具が置いてあるだけの簡素な部屋である。
三人の警備隊に礼を言うと、外で待っていてほしいと伝えた。
◇
ゲルデは手術台に乗せた少年の腹部を診た。
自分が想定していた通りだ、と再び小さく舌打ちをした。
少年の傷は、外側こそ開いているものの、内側の内臓にまで達していたと思われる部分はきれいに治っていたのだ。
こんなデタラメなことができるのは、この村で、いや、世界でもあの子しかいないだろう、とゲルデは内心で頭を抱えた。
"あの銀髪に何と言って聞かせようか"
一番は村長の説教だろうか、そろそろアレも効果がなくなってきたな、だとか色々考えながら、腹部の様子をくまなく観察した。
そして、麻酔として使われるマンドの実などから作った塗り薬を腹部の大傷に塗布し、外科的な処置を施した。
ライナが的確な消毒と、適切すぎる血止めを行っていたため、手術は30分程度で終わった。
他の外傷や骨折などがないかを念入りに調べ、異常がないことが確認できると、アベルを患者部屋のベッドに移すよう、外で待機していた警備隊に頼んだ。
患者部屋は手術室よりだいぶ大きく、6つのベッドが向かい合わせに置いてある。
一番奥の窓側にコードがおり、ライナによって左腕の消毒を施されていた。その向かい側にアベルが運び込まれた。
「ありがとう、助かった。あたしが運ぶと患者に悪いからねぇ」
ゲルデは白髪混じりのブロンドの髪をばっと結び直しながら言った。
「この前無理してギックリ腰やってましたもんねー」
警備隊の一人、左目に眼帯をつけた男がそう言ってニヤリと笑うと、ゲルデもニヤリと笑い返した。
「ケヴィン、てめぇ言うようになったな。愛しのエリーゼ様に20年前のおねしょのこと言うぞ」
ゲルデの緑の瞳がキラリと光った。
「先生!それは内緒ですよ!絶対にだめですって!!」
眼帯の男、ケヴィンは顔を赤くするとそそくさと撤退の準備を始めた。
それを見て彼の同僚二人は「ケヴィンさん相手に、さすがだ」「さすがは鬼女医」だとか口々に言っていた。
「お前達、世の中には連帯責任というものが」
「「「我々は仕事に戻りますね!!!」」」
ゲルデの言葉に、警備隊の面々は光の速さで病室を去っていった。日々のトレーニングは伊達ではなかったか、とゲルデは少々感心したのだった。
そんな様子を見て、ライナはクスクスと笑っていた。
もちろんゲルデが黙っているはずはなかった。
「ライナ、まさかとは思うが、"使った"りしてないよな?」
ゲルデは満面の笑みを浮かべて言った。その瞬間、ライナの顔からは色味が引いた。文字通り真っ白になった。
「いや、はい、でも、ほら、これはどうしようもなかったというか。。」
ライナはゲルデと目を合わせず、しどろもどろに答える。
ゲルデはそんなライナの頬をむにゅっと掴むと無理やりに目を合わせさせた。
「ったく、無理しやがって。ヘルムートに報告だね。中だけ塞いだっていってもこの大傷だったら、どうせいつもみたいになったんだろ?」
ゲルデはため息をつきながら、ライナの頬をむにゅりと伸ばし続けた。
「おばぁ、じゃなくて、先生!痛いですって!!村長に報告だけは勘弁して。お説教長いの!!」
お願い、とライナは両手を合わせてゲルデに頼み込んだ。もちろん、頬を伸ばされているのでゲルデには半分も聞き取れなった。
『どうかライナさんを怒らないでください。彼女は私達のために力を使ってくれたんです』
隣で二人のやり取りを見ていたコードが口を挟んだ。人族語、多分リズニア語なのでほとんど何を言っているかはわからなかったがライナが困っているのはわかったようだった。
『坊主も見てたろ、この子がぶっ倒れたのを。こっちにも少々事情があってさ、"アレ"を多用するとマズイんだ。医者としては黙認できねぇ』
ゲルデはとっさに魔族語に切り替えて返した。
『しかし、彼女のおかげでアベルは助かりました。本当に感謝しているのです』
「ゲルデ先生も、人が死んじゃうのを見過ごせないでしょ?」
「そりゃ医者だからね。が、お前は違う。人間にはそれぞれキャパシティってもんがあるんだよ。お前はいつもそれを無視するから"ヘルムート行き"なんだ」
「でも先生を呼ぶ余地もなかったもん。キレイなターコイズブルーが輝きを失ってたの」
ライナがそういうとゲルデは眉毛をピクつかせた。
「何詩人みたいなこと言ってんだ!さ、こっちはもう十分だ。薬草も受け取ったことだし、村長のとこに行ってきな。母親たちと一緒にゲストハウスにいるんだろ?」
「げ」
ライナは顔を引きつらせたが、ゲルデはそんなのお構いなしである。
「こいつの母親に息子の無事を伝えなくちゃだろ?」
ゲルデはアベルの方を指して言った。
「、、わかった。いってきます。先生、ありがとう」
ライナはゲルデに頭を下げた。
「あたしは外側を縫っただけだ。ほんとに、無茶するんじゃないよ」
そういうとゲルデはライナの頭をクシャクシャになでた。
はーい、と言いながらライナは小さく困ったような笑みを浮かべた。
この子にはいつも敵わんな。
ゲルデはそう心の中で呟いたのだった。
『コードさんも、しっかり休んでくださいね!』
『あぁ、お言葉に甘えて。ナディアさんたちによろしく』
コードは琥珀色の瞳を細くしてライナに微笑みかけた。
ライナは少し照れながら小さく手を振ると、病室から出ていった。
ゲルデは、二人が思っていたよりも親密そうに見えて驚いた。というのも、ライナは基本的に人見知りであり、新しい村人と馴染むのにそこそこの時間を要するのだ。
◇
『どういうことだい?』
ライナがいなくなったのを確認して、ゲルデはコードに話しかけた。
『何がですか?』
コードはとぼけるように言った。するとゲルデはわざとらしく舌打ちした。
『このアベルって坊やの正体さ。あたしたち村の者はあんまり種族についてとやかく言わないさ。そういう村だからね。でも、外部から来たってとこに興味はある』
『さっきの話でよくわかりましたね。まぁ、いずれアベルが目覚めればわかることですが。でも、当の本人ではない私から言うのは、、』
『ちなみにあたしに話せばもれなくヘルムート村長に筒抜けだからな。夫婦だから』
『では、断然黙秘で』
コードは即決した。わざとらしい笑みを浮かべて。
それに対して、ゲルデもニヤリと笑みを浮かべた。
『ふーん。あ、坊主、左腕怪我してたよな?もれなく麻酔の塗り薬なしで縫ってやるよ。細かーく、丁寧に、ゆっくりと。痛いだろうなー、辛いだろうなー』
ゲルデのニヤニヤにコードはたじろいだ。
『いや、ちょっとそれは。さっきアベルには塗ったんですよね?!』
『どうするんだ?あぁ?』
『塗ってからで、お願いします、、』
コードが折れたのを見て、ゲルデは満足そうに微笑んだ。
『素直でよろしい。まぁ、どうせゲストハウスでアベルの母親から事情を聞いてるだろうよ』
コードは観念してアベルについてゲルデに話した。
ゲルデはそれを聞き、眉をひそめながらある人物のことを思い浮かべていた。
そりゃ似てるよな、など心で呟きながら。