4話 見えてきた村
アベルの傷の手当をしたあと、ライナはコードの腕の傷も処置した。力を使いすぎるとまた倒れてしまうので、必要最低限の力と簡易薬湯で対応した。
本来のユキワスレの効果を最大限に発揮するには焙煎する必要があるのだが、そんな余裕はあるわけもなかったので生の薬草を煮込んだのだ。これでも怪我人や体が弱っている人には十分に効果がある。
『聞いてもいいか迷っていたんだけど、この魔法は一体、、?というか人族なのになぜ?』
コードは自由に動くようになった腕を何度も確かめながら尋ねた。
ライナはコードの問いに首を横に振った。
『言えないんです、すみません。村長に締められます』
ライナは困ったように眉を下げた。
『そうか。誰にだって言えないことはあるよな。ちなみにこの薬湯を飲まないという選択肢は?』
そう言いながらコードはまだ並々と薬湯の入ったカップを指差した。
『あきらめてください。苦いですけど一番効果があります』
『だよね』
コードは苦笑いを浮かべ、諦めて薬湯に再度口をつけた。
苦味と独特な香りは彼の口に合わないようで、顔をしかめた。
そんな顔ですら絵になるなんて羨ましい、などとライナは思っていたりする。
その後、コードはユキワスレの薬湯をちょっとずつ飲みながら何かを考えていたようだった。
ライナは少し冷ました薬湯をナディアに手渡し、アベルに飲ませてもらった。
アベルは意識が朦朧としているらしく、うぅ、と呻きながらもどうにかこうにか薬湯を流し込まれていた。
ナディアとエマも目立った外傷はなかったものの、多少の衰弱が見られたため、薬湯を飲むこととなった。
エマがむせながら頑張って飲んでいた隣で、ナディアは表情を変えることなく薬湯を飲んでいく。
『え?!ナディアさん、平気なんですか?』
ライナは驚きを隠せなかった。よほど苦味に強いのだろうかとも考えた。
『これ、ユキワスレよね?知ってるものよりだいぶ濃いし苦いけれど、、、』
『はい!ご存知で?!』
『小さい頃から、熱を出すとこれを飲まされたのよね、、まさか今になって飲むことになるとは思ってなかったわ。煮込んでた匂いでなんとなく察しはついていたのだけれどね』
懐かしいわぁ、とナディアは微笑んだ。
ライナは今の一言で、このナディアという女性が上流階級の家庭で育ったことを知った。
というのも、このユキワスレは村の大切な資金源であり、輸出先はイズールやリズニアの、主に上流家庭に卸しているような薬問屋なのだ。
ユキワスレは効能の高さもさることながら、ラヴィーネ山脈でしかとれないとされており、希少なので自ずと高値になる。
ライナはユキワスレに関しては一般の村人よりも販売者側に近い立場にいるため、そこまでの知識を持っていたのだった。
"高い身分の人たちが、なぜこんな山中に?"
ライナはそんな疑問を抱きながらも彼らの出発の荷造りを手伝った。
◇
出発の支度が整った頃、ライナが洞窟から外を覗くと夕陽がキラキラと森を照らしていた。地面にはあちらこちらに大きな水たまりができており、夕陽を反射しているからか森全体が橙色に染まっているようだった。
視界が開けたことで、ここが西の森の入口から数十メートル入ったところだということを知った。
張り巡らされていたはずのロープが一箇所切れており、そこからライナは偶然に入り込んでしまったらしかった。
ちなみにナディアたちは昨夜の遅くに、西の森の奥にある崖に近いような道から降りてきたようで、夜営と看病ができるようにとあの洞窟を選んだのだという。
ライナが先導し、コードがアベルを背負う。アベルはまだ眠りについており、ナディアとエマは分担して荷物を背負っている。
ライナは先導しながら、荷造りを手伝っている間にコードから聞いた話を思い出していた。
彼らはイズールの貴族で派閥闘争に巻き込まれ国を出ることになった。国を追い出しただけでは満足できなかった相手たちは、追手を送り込んできたそうだ。大山脈を下っているところで敵に追いつかれ接近戦になり、相手を戦闘不能にしたもののアベルが重傷を負ったということだった。
"彼らが何をしたっていうの。国外追放だけでなく命まで奪おうとするなんて。冬は終わったとはいえ、この時期にラヴィーネ大山脈に入るだけでも危険なのに"
ライナの表情はさらに険しいものとなっていった。
道が少し開け道幅に余裕ができたので、コードがライナの横に並ぶ。アベルを背負っているとは思えない足取りの軽さである。
『ライナ、村の人たちは、、、ってすごい顔してどうしたの?』
『え、顔がどうしたのですか?』
ライナは話しかけてきたコードに返した。
『すごく不機嫌そうな顔してた。何かあった?』
コードが心配そうにライナに尋ねる。
『あなた達を追い出した人たちが酷すぎるなって考えていたんです』
『それか。理不尽だと思うかもしれないけど、イズールは排他的なんだ。自分と違いすぎる人間が怖いんだろう』
"怖い、か。そんな感情があの人たちにもあったのだろうか"
ふとライナの頭の中で朝の夢記憶が駆け巡る。
昔のライナたちの人種が迫害されたのは、つまらない民族闘争の一端からだった。
信教に従って慎ましく生活していただけだったのに。
なぜかすこしばかり優秀な人が多かっただけなのに。
怖かった、のだろうか。
怖かったから、殺したのだろうか。
ライナの自問に、もちろん答えなど返っては来なかった。
『それに、アベル様は強い!魔法はちょっとアレだけど、剣術はかなりのものだ。男の嫉妬は醜いったらありゃしない。表には出せないけど実はアベル様のファン、みたいな人もいるんじゃないかな、アベル様だしな!』
コードはキラキラとした表情で語り続けた。
その表情は、エマがナディアについて語った時のものと酷似していた。
"親子だなぁ"とライナが感心したのは言うまでもない。
『ふふ。コードさんはアベルさんが大好きなんですね』
『そうさ。アベル様のおそばで支え続けて早8年。このポジションは誰にも渡さない!』
『素敵ですね!応援します、私!』
ライナが少し頬を赤らめて言った。
『ん?あ、いや、ちょっと待って。恋愛とかじゃ、、』
コードは自分の発言が大きな誤解を招いていることに気づいた。
その様子を見ていたエマは笑いに耐えきれなくなり、吹き出してしまった。
『ふふふ、、頑張りなさいコード。母さん応援してるわ』
『母さん?!誤解だ!ちょっと、ナディア様まで笑わないでください!』
『私は義理の娘がほしかったのに残念だわ。まぁ、大差ないかしら』
『ナディア様までやめてください!』
コードの慌てぶりにライナも笑ってしまった。
『もう!みんなして大きな声を出すとアベル様が起きちゃいますから!お静かに!』
『ならあなたが静かにしないとね。というか、あなた最初の頃はアベル様とバチバチしてたじゃない』
エマは昔のことを思い出して息子に問う。
『それは昔の話。大切なのは今とこれからですよ』
コードはキリッと答えたのだった。
その表情の差に、ライナは腹筋がよじれそうになるほど笑った。
笑顔で話している間に村に近づいてきた。北の森を抜けるとすぐそばに牧場があり、動物たちの声がよく聞こえるようになってきた。
『あ、皆さん。そろそろ村に着きます。ちょっとここで待っていてください。男手を借りてきます!』
そういうとライナは村に向かって走り出した。
◇◇
その遠ざかっていく後ろ姿を眺めながら、ナディアを始め、三人は小さくため息をついた。
『今の会話で、特にバレることはなかったですよね?』
コードの問いにナディアは小さく頷いた。エマはふふっと小さく笑った。
『あなたがアベル様が好きなのはバレたわ』
『そうじゃなくて!』
エマの言葉にコードは秒でツッコミを入れた。
そんなやりとりをしている二人を、ナディアは微笑ましく見つめていた。
"彼らが居てくれて、本当に良かった"
いざとなればアベルと二人で出ていくつもりだった。
それが、この二人は当たり前かのようについてきてくれたのだ。
"『ナディア様、私達は義務で従っているのではありません。自分の意志でお供したいのですよ』"
そのエマの言葉が嬉しくもあり、巻き込んでしまった申し訳無さもあった。それはアベルも同じだったようで、コードが敵から不意打ちを食らいそうになったとき、かばうような形で大きな傷を負ったのだ。
『わかっているわ。必要になったら話しましょう。まだそこまで話していいかわからないわ。ナディア様、もしかしたらここに?』
エマの問いにナディアはふっと我に返り、小さく頷いた。
『ええ。ここにいるかもしれないわ』
ナディアは一筋の希望を抱いていた。長年ずっと持ち続けたその希望を。
ラヴィーネ大山脈に飛び込む覚悟ができたときから、淡い想いはあった。それを見つけることができれば自分たちが生き延びられる可能性が高くなるかもしれない、と。ちなみに、ナディアは村の存在を疑っていなかった。"あの人"が嘘をつくなどありえないと信じて疑わなかったのだ。
だからこそ、あの少女ライナの申し出を受け入れたという背景があった。ライナから聞いた村の特徴は、昔聞いたそれと完全に一致していたのだから。
そして、あの人にまた会えるかもしれないという、淡い淡い希望が、ここに来て色濃くなってきた。本当はライナにかの人を知らないかと尋ねたかった。
しかし、知らないと言われてしまった時の悲しみを考えると言い出すことはできなかった。
ナディアは、コードに背負われている息子の髪をなでた。相変わらず静かに寝ている。
少し気難しそうに眉間にシワを寄せていた彼は、ナディアに撫でられることで穏やかな寝顔に戻った。
そんな顔を見て、ナディアは優しく微笑んだ。
アベルを失わずに済んだことをニュンフェたちに、そしてライナに感謝しながら。
『それにしても、ライナさんは何者なんでしょうか?アベル様より若そうなのに魔族語が話せて、薬草の知識もあるし治癒魔法が使える。治癒魔法なんておとぎ話だと思っていました』
コードの言葉にナディアは頷いた。
ナディアは魔法に精通している。魔導書を読み漁るのが幼い頃からの趣味であったが、そんな彼女でも治癒魔法は手が出せなかったのだ。
いくらイメージをしても、魔力を込めても、回復の魔法は発現しなかった。
そう、全属性魔法使いの彼女ですらなし得なかったのだ。
『魔族語は村で習ったって言ってましたね。まさか治癒魔法まで?だとしたらとんでもない村ですわね』
エマの言葉に二人は息を呑んだ。
自分たちの常識では起こり得ないことが起こっている。三人は得体のしれない感情を抱いてライナの帰りを待った。