0話 1章プロローグ
生温かい何かが私の太ももを伝って床に流れていく。
どうやら寝てしまったらしい。
頬にあたる床の冷たさと突き刺さるような寒さで目が覚めた。
灰色の冷たい床に広がる赤黒い液体。
それは紛れもなく私自身から出たもの。
左腕の縫い目から絶えず流れるそれは、うずくまることで見えていた太ももを汚し、床に広がっていく。まぁ、太ももとは呼べないほど弱り細くなってしまってはいるのだけれど。
骨と皮だけになったと思っていたのに、こんなに血は通っていたんだ、と頭の冷静な部分で分析している自分がいた。
私の体はもう痛覚を失っているらしい。
あれほどひどかったのに、もう痛いとすら感じない。
代わりに感じるのはひどい寒気と、不衛生な床から漂う汚物の臭い。そして聞こえる彼らの冷静な声。
実験は失敗した。
あっちもうまく行かなかった。
その彼らの言葉に、ポキリと何かが折れた音が聞こえた気がした。
そうか、ダメだったんだ。
向こうは、もう、、、。
私は、もう、、、。
体から抜けていく体温は冷え切った床に吸い込まれていく。
諦めてしまったからなのか、ついに周りの音が聞こえなくなってきた。
まあいい。医者なのか悪魔なのかわからないあいつらの声が聞こえなくなるのなら。
次に視界が狭く暗くなっていく。
意識がまた遠のいていく。
この意識を手放せばもう戻れない。それは間違いないだろうと悟った。
眠くなってきた。これでもう苦しみから解放されるなら嬉しさすら覚える。
夢でまた会えるだろうか。
仲良く手を繋いで木漏れ日の中を散歩することはできるだろうか。
温かい両親、大好きなお姉ちゃん。
目を閉じれば蘇る、楽しく美しい思い出たち。
そして、それを根こそぎ奪った奴らへの怒りと憎しみ。
私、なにか悪いことしたのかな。
私たち、どうしてこんなことになっちゃったのかな。
普通に生きていたはずだった。これからも普通に生きていけたはずだった。
普通に学校に行って、普通に仕事をして、普通に恋をして、普通に結婚して、子どもにも恵まれたらうれしかった。
高望みなんてしない。
ただただ、普通の幸せがほしかったのに。
同じ人間なのに、こんなのはあんまりだ。
もしも、もしももう一度生まれ変わることができるなら…
私たちのような思いをする人がいないように力になりたい。
人に優しい人でありたい。
傷ついている人に手を差しのべる勇気がほしい。
同じく生きているのだから。命の価値に重いも軽いもないのだから。
こうして私は意識を手放した。