ピンピンコロリ
最近、ある芸能人が亡くなった時、「本当にピンピンコロリで良かったですね」とコメンテーターが言っていた。
ピンピンコロリ……介護という仕事をして10年。聞きなれないが何となく意味合いはわかる。
闘病などなく苦しまず逝くことだろう。
語感もいいし、日本人がいかにも好きそうな言葉だ。
実際、調べてみると日本人でこう言った『ピンピンコロリ』を理想とする人は多いらしい。
だがふと思った。あれ、これって『突然死』じゃね?
人がどのような最期を迎えるか。
それは人それぞれだしその人の人生はその人のものだ。
だからまあ、突然死だったとしてもその人が『ピンピンコロリ』を望むならまあ、いいと思う。そこを否定する気は毛頭ない。
死ぬ瞬間というものは自分では決められない。
だがどういう最期を迎えたいかくらいは決めることが出来る。
そしていい人生だったかどうかを決めるのは、きっと亡くなる最期の瞬間なのだろう。
だがテレビなどで「ピンピンコロリこそ素晴らしい死に方である」なんて勝手に決めつけ理想だと言うのは何かおかしい。
もしかしたらもっとしたいことがあったかもしれない。
見たい映画とかもあったかもしれない。
ちなみに私は某海賊漫画と小さくなった探偵の漫画は是非とも完結するのを拝みたいと思っている。
もうひとつ、思うことがある。
死生観がどうあれ、その人は亡くなったのだ。それをもって他者が「良かった」というのはいかがなものだろう。
こんな出来事があった。
あるお年寄りが亡くなった。元気な人だったが急に体調を崩し、そこから1週間もせず亡くなっていった。
家族も驚きを隠せず唖然としていたが更に唖然とする出来事が起きた。お別れを言いに言った若い介護職員が「ピンピンコロリで良かったですね」などと笑顔で言い放ったのだ。
家族はもちろん、隣で聞いていた筆者も目を見開いた。
慌てて訂正させようとするが本人は空気が変わったことすら気づかずニコニコしていてるものだから性質が悪い。
この職員も自分の死生観が理想的だと勝手に押し付けていたのだ。
結局、この件について苦情が出され私を含め経営陣からお叱りを受けることとなった。
終わり悪ければすべて悪い。恐らく今後この家族がうちの施設を利用することは無いだろう。
死生観は押し付けるべきではないと思う。