【聖女の育成って何ですか?】前編
カキコカキコカキコ・・・・・・。
私は今、使い慣れない羽ペンを使い、とても立派な机の上で文字の書き取り練習をしている。
目の前にいる“聖女の世話係”は、上品な灰色の髪をオールバックにキメ、がっしりとした黒縁メガネで、私の手元と、自分の手の中にある本の文字を見比べている。
このルックスで私より年下だなんで、詐欺である。
実はこの星の1年は520日なので、計算上私は17歳らしいのだが、未だに納得がいかない。
ここは城内の聖女専用に準備された部屋・・・つまり異世界召喚された私の居候先だ。
高級ホテルのスイートルームのような造りの部屋に、素晴らしい眺めのテラス付き、そして女性向けにピンクやら白のレースやらで統一されている。
ちなみに、まったく私の趣味ではないと言わせて欲しい。
(ちゃぶ台と畳をくれ! 床でゴロゴロできないなんて、日本人の私には拷問だ!)
いや、タダ飯を戴いている居候の分際で、文句は言えないし、部屋にケチをつける度胸も勇気もない。
何故って、私は今日も通常運転で“病んで”いるから。
この目の前の真面目メガネ(イスマエル)に逆らい、脳みそが疲労するような真似はしない。
私の決断能力は、今のところ麻痺して機能していないのだ。
既に私は、この城で出される美味しい食事に餌付けされているのだ!
(どうせ逆らったって、言い負かされるのが目に見えているよ・・・おやつまだかな?)
現在、何故か書き取りの見本に使っている目の前の本が――――。
「イスマエルさんや、何故文字の見本が“王政軍事論”なのですか?」
彼はわざわざ私に文字を教える為に、同じ本を読みながら優雅に紅茶を啜っている。
ちゃんと親切に私好みに合わせた、無糖のアールグレイティーホットを、これまた淡いピンクのバラ柄のティーカップに注いでくれていた。
「どうせヒロコが覚えなければならない内容です。一石二鳥でしょう」
「そーかなぁ?」
私の頭には内容が全く入ってこないので、ちょっと退屈かも。
「では・・・気分を少し変えましょうか」
「やったあ!」
そう言って、背の高いイスマエルは、これまた立派なダークブラウンの書棚から、一冊の本を取り出した。
私の座っている机の前の椅子に再び腰を下ろし、本を開き、心地よいテノールイケボでそれを読み上げはじめた。
(いやもっと低い声出るだろオマエ、渋めのバリトンボイスで頼むわ)
本当は判っていた・・・。
男性の通常音域はテノールで、インテリ眼鏡はそれだけ声が若いのだから仕方ない。
囁くような声を意識しつつ腹から声を出して響かせねば・・・ソラルさまのようなイケおじボイスには辿り着かない
(福山様のような声を求む! ステキな擦れ声も嫌いじゃないよ!)
「戦士が使用する武器については、従来型と、個人による使い勝手を良くする為に魔法属性に合わせた魔石を――――」
「気分を変えるって・・・どこだがだよっ!」
ポスン、と、イスマエルは私の頭に左手を乗せた。
「書き取り練習を止めて良い、とは言ってないですよ?」
「はぐっ・・・」
インテリメガネから覗く海色の瞳は・・・沖縄の海から、オホーツク海へと変化した。
(こ、こわ! これスパルタ入ってる!)
まさか25にもなって、文字の書き取り練習をするとは思いもしなかった。
(ぐすん・・・まあ、文字ぐらいはちゃんと書けなきゃな)
カキコカキコカキコカキコカキコ・・・・・・。
ぽそり、と、イスマエルが独り言らしき声をもらした。
「王政軍事と使用武器についての知識をつければ・・・父上と共通話題が出来ますよ・・・」
(さすがです! イスマエル先生ぇぇ!!)
コンコンコン、と、軽いノックが聞こえた。
イスマエルが朗読を止め、本を閉じた。
「お、もう交代の時間か」
「交代?」
扉の向こう側からナトンの声がした。
「入っていーい?」
「いいぞ、私の授業はこの辺で終わらせるから」
(・・・イスマエルさんや? ココ、私の部屋っ!)
「聖女見習いには、プライベートがないんですか!」
私の言葉は空しくも、イスマエルにスルーされる。
(我ながら見事な空振りだ・・・)
やはり、立派な“聖女様”に成長するまで、“育成中の聖女見習い”の私には、色々と厳しい模様です。
(特にイスマエル先生が)
それにしても、見事な同僚と私への態度の使い分け・・・イスマエルの血液型は、私の中でAB型に決定した。
ちなみに私はO型だ!
ふんぞり返って「私、聖女だから!」なんて態度を、この見ての通りの姿形(童顔のチビ)の小心者の私ができるわけもない。
だって元は日本産の社畜&ごくごく平凡な“ウツ病患者”ですから。
もうこの作品名「すでに色々患って、手遅れですが!」で、いいでんでないかい?
イスマエルが立ち上がり、開いた扉の向こう側にはキューティクル抜群のくるりん茶髪と、見事な黄緑色の大きな瞳のナトンが立っていた。
(こんな毛長のお猫様を飼ってみたいものだ! あくまで妄想ですけどね)
その隣には何かの衣装を持った侍女さんが控えている。
「???」
ショタ系男子ナトン君の、ネコ耳姿を妄想している間に、メイドのコスプレをさせられていたのは私だった――――。
「何これ?」
私の支度が整うまで別室に控えていたイスマエルが現れ、メイドコスプレをした私を見るなり、顔面氷結をさせた。
(い・・・いつものダメ出しが来るか!?)
つい、お小言を覚悟して、まぶたをギュッと閉じた。
そんな私の様子を窺ったナトンが、しれっと答えた。
「聖女が城内をウロウロ歩いていると、陛下の威厳に関わるからね」
ふうっ、と、ナトンの軽い口調に安心してまぶたを開く。
「ああ、例の“いざと言う時の、城内ルート確認”ですか」
そう言えば、きちんとした作法を習得するまで、私の存在は公表できないと言われていた。
だって、下品な聖女を召喚したなんて噂が広まれば、国王陛下が恥をかいてしまうのだから。
ナトンが楽しそうに付け加える。
「そうそう、敵の侵入を許した時に、聖女が城内迷子じゃ困るからね!」
「敵ってなに?」
先程から顔面氷結をしているイスマエルが、ナトンと目を合わした。
「侍女は下がるがよい」
「かしこまりました」
イスマエルの命令に、侍女さんはすすっと一礼し、退出した。
(ああ! 味方になってくれそうな女子が行ってしまう!)
無常にも融通の効かない男子と、聖女見習いの私は部屋に残された。
ナトンが外向けの表情から、イタズラっ子のいつもの顔に戻ったが、イスマエルの顔面氷結はそのままだった。
とりあえず、3人で客室側にあるソファに座ったが、イスマエルが落ち着かずに直ぐに立ち上がり、3時のお茶の準備をはじめた。
(イスマエルは気が利くし、なんでも器用にこなすなぁ・・・お菓子はどこ?)
温かい紅茶を3人分淹れてくれて、ようやく顔面氷結が解かれ、イスマエルは再びソファに腰を下ろしたが、何故か私と目を合わせてくれない。
そんな彼の姿を、ナトンは生暖かい目で見守っていた。
私は口寂しくて、仕方なく角砂糖をかじりながら苦めのストレートティーに口をつける。
「・・・えっとね、実は隣国付近で不穏な動きがあるって、諜報部隊から連絡があったんだ」
「諜報部隊」
「聖女召喚が上手く行かなくて、強力な力持った聖女を異世界から確実に召喚する為に、“特別な生け贄”を準備しようとしていると」
「生け贄」
(なんだなんだ? さっきから不穏なワードしか出てこないぞ?)
「でもさ、ヒロコはここで生きて行く為に色んな事を実地で学ぶしかないから、とりあえず、他国のスパイの目に止まらない方法で色々学んで欲しいんだ」
私はうんうんと、ナトンの話しを聞いていた。
「なるほど、だからまずはメイドの格好をして城内を散策する事からと・・・」
(ん? なんか・・・解決してないワードが・・・)
首を傾げる私に「あ、コイツわかってないな」と言う顔を二人ともしている。
「あのね、ヒロコ・・・“特別な生け贄”っていうのはね」
「うん?」
「あなたの事ですよ、ヒロコ」
腕を組んで頷き続けていた、私の首の動きは止まった。
「な、なんですとぉっっ!!」
2人の話しを要約するとこうだ。
皇帝陛下の通達により、我が国は一番最初に聖女召喚を成功させ、同日に2人目も見事に成功を納めた。
我が国で隠密行動をしていた各国の諜報部員の情報によると・・・最初に召喚された幼い少女は、到着直後、魔力が枯渇した召喚士達を回復させ、宰相の長きに渡る病魔をも完治させたと各国に伝えられていた。
しかも、選ばれた世話係以外に、優秀な騎士を自ら指名し“名呼び”をさせ、祝福を与えたという。
「幼い少女?」
「あなたの事です」
「宰相の長きに渡る病魔?」
「多分、マテオ様の腰痛と膝の痛みだと思うけど?」
「祝福?」
「それは私が逆に聞きたい、ヒロコは父上に何をしたんだ?」
「いや、知らんがな!」
「そうか・・・」
「え! ソラルさまがどうかしたの?」
「い、いや、知らないならいい・・・」
「え・・・ちょ! そんな言い方されちゃあ、余計に気になるでしょうが!」
「・・・・・・・・・」
イスマエルが眉尻を下げて、泣きそうな表情をした。
ソファの隣に座っていたナトンが、イスマエルの背中を慰めるように摩り始めた。
(私、なんか不味い事したんでしょうか?)
「ヒロコ、イスマエルが落ち込んでいるのは個人的感情からだから、気にしなくていいんだよ!」
「ええええっ! なにそれ!?」
「・・・たんだ」
「はい?」
イスマエルが掠れた声でなんか言ったが、私は聞き取れず、ナトンに視線を移した。
「あの・・・出来たんだよ・・・その・・・とっても良い事なんだ」
「わかんないよ、はっきり言ってよ!」
俯きかけた顔をイスマエルは思い切り上げて、私に向かって言った。
「私に弟か妹が出来たんだっ!」
イスマエルがメガネの奥に涙を浮かべて叫んだ。
「めでてぇじゃねえかぁあああっ!!」
ツッコミ以外に私にどうしろと!?
※ ※ ※ ※ ※
「ヒロコ、それ食べ終わったら、城内散歩に行くよ〜」
私はようやく出てきた、おやつの焼きたてスコーンに夢中になっていた。
「え〜? スコーンのおかわりは・・・」
濃いめのダージリンティーにめっちゃ合う、焼きたてスコーンにクロテッドクリームとブルーベリージャムをのせてかぶりつき、ハムスターのごとく頬を膨らませていた。
「止めた方がいいよ・・・ヒロコの体の為にもね。40分ぐらいの散歩の後に、ちゃんと休憩時間も取るし、その後はマクシムと夕食を取りながらマナーのレッスンだからね?」
(なるほど、優しくカロリーオーバーを教えて下さっている・・・)
そう、私はこちらに来てから食っちゃ寝を繰り返しているのだ。
我ながら、体型がヤバくなっているのは薄々感じていた。
何せ、社畜系のフルタイム勤務を辞め、美味しいゴハンを食っちゃ寝して、チビチビ勉強して、甘やかされ放題の日々だ。
(だって、イスマエルがなんでも世話を焼いてくれるんだもん!)
育成どころか、散歩も行かない室内犬に成り下がっている私であった。
ヤバイ、これは我ながらヤバイのでは?
「ナトン、ヒロコはここに着いたばかりの時よりだいぶ食欲が出てきたんだ。食べられるなら・・・」
ナトンが見たこともないキツイ視線をイスマエルに向けた。
(おおっ! ネコ目のナトン君は以外と目ヂカラあるな?)
「イスマエル! うちの聖女が“おチビ聖女”から“ポッチャリ聖女”とスパイ達に言われてもいいの!?」
(“おチビ聖女”ってなんだよ・・・)
どうやらこの城内では、諜報部員がウワサ合戦を繰り広げているらしい。
1周まわって、私の事を各国にどう報告されているか丸わかりなのだ。
「え〜と、すみませんでした。おやつはこれで充分です。お散歩に連れてって下さい!」
犬であれば、自らリードを咥えてナトンに擦り寄るところだ。
その様子を見て、イスマエルがオロオロしはじめた。
「なあ、ナトン、せめてヒロコに私の“才”を一時的に授けても良いだろうか?」
そういえば、世話係はそれぞれ秀でた“才”があると聞いた事がある。
(イスマエルの“才”って何だろう)
その言葉を聞いたナトンが腰に両手を当てて、胸を張り声を出した。
「ダメです! あのねえイスマエル、ヒロコは聖女の教育を受講中でしょう?」
「ああ、そうだが・・・」
「ヒロコはこれから公の場で“聖女”として堂々としてもらわなきゃいけないの、どんな場合だってね! わかる?」
「そ、そうだな」
「例え可愛いメイド姿でも 、気品を醸し出しながら歩けるようになって、人の視線にもビクともしないようにならなきゃいけないの。イスマエルの“地味の才”を今のヒロコに貸し出すなんて大きなお世話だよ!」
「・・・“地味の才”ってなに?」
「そうだな、スマン」
イスマエルはしゅんとして、視線を床に落とし、どうしても私の方を見ようとしない。
「いや、だから“地味の才”って?」
そんな彼の肩に触れようとしたが、ナトンに急かされて、廊下に続く扉へと押し出された。
「さ、ヒロコ、侍女のフリをしてお行儀良く僕に着いてきてね」
(おい、“地味の才”ってなんだーっ!)
高い天井、白い壁、美しい絨毯が敷かれている聖女専用の城の北東部分を抜けると、絨毯が途切れ、修復時に取り替えやすい正四角形のタイルが敷き詰められた、城内の一般的な廊下に切り替わった。
足音も立てず、優雅な猫のように歩くナトンの後ろを、私は足の短い仔犬のようにトテトテと一生懸命ついて行った。
中世ファンタジーな服装の人々が、ナトンに静かに会釈をしてすれ違って行く。
私は社会人として、必要最低限だと思っている挨拶で、頭をペコペコ下げながら歩いていたが・・・その姿を皆、微笑ましい何かを見るように、見送ってくれるのだ。
それに気がついたナトンが急に歩調を合わせて、並んで歩いてくれた。
「ヒロコ、ごめんね、僕の気が利かなくて・・・。まだ城内を歩き慣れてない君にはちょっと歩くスピードが早かったよね」
「あ、ううん。こういう服装で堂々と歩いたことがなくって、ちゃんと綺麗に歩けるようになるね」
そうなのだ、これはメイドコスプレ・・・私はメイド喫茶では働いた事がないので、自分のこの格好に免疫ができるまではもう少し時間がかかりそうだ。
ちなみに、私の金色の前髪と右側の灰色と茶色のメッシュが上手く隠れるように、メイドキャップをかぶっている。
「ふうん? そんなもんなのか・・・すごく可愛いから、自信持って堂々と歩いてね!」
「か、可愛いなんて・・・その、ありがとう・・・」
よもや25歳にもなって、メイドコスプレをした姿を、16歳の美少年にそう言われるとは思わなかった。
傍から見れば、新人のメイド・・・いや、雇い主が聖女の世話係以上の貴族レベルならば、“侍女見習い”だろうか?
(というか、城内に部屋を与えられているのだから聖女ってすごいな!)
滅多に跪く必要のない、宰相のマテオGが正式な場では私に跪くのだから、聖女の位とは国王の次に高いというものだ。
聖女とは国の宝なのだそうだ。
(ついでに私のプレッシャーも半端なくて、挫けそうだヨ!)
長いなが~い、廊下が延々と続くのではないだろうか? という感じで、ため息が出そうな白亜の城をナトンの説明を聞きながらひたすら歩いて行く。
たまに見かけるガラス窓に映る自分のメイドの服装を見て、気恥ずかしく感じながらも、段々と慣れていった。
城の本館は通り抜けるだけ、今日は王族の住むエリアには近づかないコースをナトンは選び、さらっと道の進み方のコツだけ教えてくれた。
(oh~、迷路!?)
何せ、よみうりランドや、富士急ハイランドの有名なホラー系迷路には絶対行入れない私・・・。
超・方向音痴の私に、そのアトラクションの10倍以上の敷地面積を迷いなく進めだなんて・・・今もなおウツ状態が回復していない私には厳しい課題なのだ!
とりあえず、東京ドームシティーのイケメンドラキュラの出るお化け屋敷は大丈夫だったんだけどね?
(うう・・・体が怠いというか、重い感じだよ・・・やっぱ太ったか?)
私は堪らず、不安気にナトンの袖を掴んだ。
「あ~・・・ハイハイ、騎士の訓練場に行ってあげるから元気出して?」
「き、騎士の訓練場・・・?」
訓練場というよりも、闘技場という表現が近い雰囲気の場所に案内された。
サッカー場と、観客席らしき造りの建物に案内されたのである。
私は、座席らしき壇上から、下の試合場のような場所を、ナトンに促されたままに覗き込んだ。
デザインは色々だが、白いシャツに茶色のズボンで統一された服装の人達が、様々な武器を持ち、二人一組で対峙しながら自分の戦闘フォームを確認し合っているのである。
「おお! 剣だけじゃないんだ・・・本格的戦闘訓練だね!」
「ヒロコ・・・このスタイルがわかるの?」
「え? 統一された武器だと、敵によってはこちらが不利になるでしょう? 自分の部隊仲間の武器を把握して、相性の良い味方とチームを組む方が戦い易いんじゃないの?」
つい私は、某狩り系ゲーム知識を語ってしまったのだ。
「え・・・ヒロコって・・・向こうの世界で何の職業だったの!?」
「え? 企画販売かな、こっちの世界だと商人とかじゃないかな?」
(書籍を企画したり、キャラクターグッズ作ったり、ノベルティ手配したり、年始挨拶用のタオルとか? まあ、法に触れないものは何でも売買する仕事だったし)
「商人にそんな知識は・・・普通ないと思うけど!?」
「そお?」
(うん、こっちの常識はまだよくわからんな?)
口をただパクパクさせるナトンを無視して、そこにいるであろう人物を、私は目を皿のようにして捜した。
翻る薄い灰色のマント、すらりとした美しい姿勢・・・煤けた金髪に焼けた肌、色っぽい夕刻の青い瞳!
(じゅるっ・・・は! いかん! ヨダレが)
「おっふ! 心の騎士ソラルさまぁっ!」
すでに私のおめめはハート型になっているに違いない!
「ヒロ・・・ミリアン、心の声は現実に出さないでね?」
ここでのお約束、召喚された聖女“ヒロコ”はこちらでは珍しい発音の名前なので、侍女見習いの姿の時は“ミリアン”と呼ばれる事となった。
何故その名前にしたかというと、実は私がノベル化に加担していた“ムツノクニ下克上”というスマホゲームでは、ほぼ自動セーブ機能が付いていて、本物の初回スタートの一見さんにしか現れないチュートリアルお助け侍女キャラの名前が“ミリアン”なのである。
ちなみに、そのキャラクターモデルが・・・私、本人なのであった。
通称“幻のミリアン”は、ストーリーには直接関わらないキャラクター設定だ。
何故か私の社内でのあだ名が“ミリアン”になってしまった。
誰に呼ばれても何の抵抗もなく返事ができるという利便性で、ミリアンと呼んでもらう事になったのだ。
まあ、ゲームの企画発表前に神絵師とシナリオライターと一緒にファミレス飲みをしながら、おふざけで決定されたのだ。
腐女子三人での会話が、まさか本当に配信ゲーム化するとは夢にも思わなったのだが。
友人のシナリオライターからの「よし! オマエ企画やれ!」の一言ですべてが始まった。
(しかし、嗚呼・・・格好いい! 騎士団長ソラルさまぁ!)
「ミリアン、もう次に行っていい?」
「はい・・・ありがとうございます。“ソラルさま充電”オッケーです!」
(大丈夫、これで三日は妄想で生きていける)
生温かい眼で私を見つめるナトンはスルーしておく。
いちいち細かい事を気にしていたら、病んでいる私は生きてはいけないのだ。
ウツの為の薬がない私には、唯一の心の潤い・・・ソラルさま充電は必要不可欠である。
とりあえず、静々と侍女見習いらしくナトンの後ろをついて行こうとした私を、涼し気な風が包んだ――――。
「うそ! ソラルさまじゃん!」
思わず、目の前に現れた人物に声を抑えきれなかった。
(え・・・ちょっ! 今、軽く20メートル先に居たよね?)
私は、両手で口元を押さえた。
何故って、“犬のようにご主人様をくんかくんか”したい衝動を抑える為だ。
ソラルさまはそんな私を・・・どこをどう勘違いしたのか、優しい瞳で見詰めながら近づいてきた。
「私の小さな聖女・・・今日は頑張ってここまで歩いて来たんだね。体の調子はどうだい?」
私の前に跪こうとした、長身のソラルさまの懐にナトンはいつの間にか入り込み、全身で彼の動きを力技で押さえていた。
(お・・・ナトン君、すごい力だ! どうやってあんな体格差のある相手の動きを止められるんだい?)
「ちょっとソラル様! お願い、察して! 彼女の服装で察して!!」
「え?」
ちょっと天然が入ってるソラルさま・・・ここは、ナトンのフォローをしなければ! と、私がソラルさまに、侍女らしくかしずいた。
「はじめまして、北の騎士団長、名誉騎士のソラル様・・・私は、侍女見習いの“ミリアン”と申します・・・背格好がヒロコ様に似ている事から、今日から雇っていただける事となりました。以後、よろしくお願いいたします」
(我ながら見事な説明台詞だぜ! エッヘン!)
さすがにいつもリアクションが空振り気味のソラルさまでも、察してくれたらしい。
ソラルさまの体重を支えていたナトンが、ようやく解放された・・・本人もほっとして、私の横にすすっと移動した。
「そ・・・そうか、ミリアンと言うのか・・・本当に似ているな、ヒロコに」
(うん、ちょっとダイコン?)
「ソラル様、この度はおめでとうございます」
とりあえず、おめでたの件を祝っておこうと思い、笑顔で首を傾げておいた。
ソラルさまは一瞬、驚いた顔をしたが、直ぐに誰がチクったか見当がついたらしく、素敵な笑顔を返してくれた。
「つかぬ事を伺うが、ミリアン」
「はい、なんでございましょう?」
ソラルさまは素敵なおじ様笑顔で、こう続けた。
「既婚者が浮気をするタイミングを知っているかな?」
ピシッ――――ここに来てはじめて、私は“笑顔の顔面氷結”を会得した。
(ま・・・負けない!)
「ええ、存じておりますわ。それが何か?」
私が言い終わろうとした瞬間、横にいるナトンの呼吸が変化したので、思わずしゃがんだ。
案の定、私がしゃがんだ直後にナトンのキレイな蹴りが空を切った。
どうやら鎖骨を掠ったらしく、すごい勢いでソラルさまは飛び下がった。
その距離、約5メートル。
さすがはソラルさま・・・“騎士団長殺し”と名付けたくなる様な、彼の豪脚蹴りを躱した。
「チッ! さすがはセクハラ騎士団長」
(“セクハラ騎士団長”・・・って、なに? ちょっと面白いんだけど?)
私はメイド服のまま地面に片膝を着いた状態で、一呼吸してから、スっと立ち上がり、侍女フォームで姿勢を正した。
そして、私はよぉ~く知っているのだ。
既婚者が浮気をするタイミング第1位とは・・・妻の妊娠期間だ。
こんな事で“イケおじ専門”の私が怯む訳がなかろう!
そんな憂いを帯びたイケおじの弱ったところにつけ込むなんて・・・私は喜んでやるよ?
(あ、いかん、私は聖女、私は聖女・・・思考は悪女!)
「おお、流石は聖女の“世話係”に選ばれし者だな! 油断した」
ソラルさまはカッコよく数メートル先で、スマートな騎士様立ちをしているが、左手で右の鎖骨を押さえていた。
(赤い何かが滲んでいるよ? ナトンくんや、もしや本気で殺しにかかったのかい?)
「では、またな! 私のミリアン」
私はスカートの両端をつまみ、静かに屈んで淑女らしい挨拶でソラルさまを見送った。
爽やかに白い歯を光らせて、風のようにどこかに飛び去ってしまった。
きっとこの後、お着替えタイム&傷薬をぬりぬりするんだろう。
「ご挨拶、よくできました。侍女見習いのミリアン」
ナトンもまた、“笑顔の顔面氷結”で唇だけを動かしていた。
「恐れ入ります。ナトン様・・・」
(ちなみに、キミのあの挨拶の仕方はどうなんだい?)
騎士達の訓練場を抜けると、バラ園のアーチ状の入り口が見えた。
つまり、バラ園を突っ切ると・・・私の居候部屋へのショートカットがかなりできるという事らしい。
なるほど、だからこないだソラル様がバラのアーチの向こう側から現れたのだ。
でも、この庭って・・・たぶんヘクタールいっていると思うのですが?
更に庭園の奥に進むと・・・いや、これは既に林と草原のようなのだが、白い細長い塔と、マテオ宰相様が管理している温室があった。
白い細長い塔の周りには、お昼寝に最高のロケーションの芝生がすばらしい手入れをされていた。
「ナトン様、今度ここでピクニックなどいかがでしょうか?」
「え!?」
何故かナトンがビクリと反応した。
「あ・・・ダメですか?」
「そっか・・・大丈夫だと思うよ? ただ、ここは昔から奥まっていて、マテオ様と庭師以外近づかないからね、そんな事言われるとは思わなかったんだ」
「人が近づかない・・・?」
白い塔を遠巻きに見ていると、その最上階の窓から赤銅色の波打つ髪を持つ美少女が見えた。
(おや? いるじゃん)
私とその少女はバッチリ目が合ったが、少女は慌てて唇に指を立てて「言わないで!」とジャスチャーをした。
(お、どっからか抜け出して忍び込んだから、バレちゃまずいのかな?)
「ミリアン、あの白い塔は“月石の塔”と言ってね。あの中ではほとんど魔力や才が使えないんだ。王宮の一部も安全性を高める為に、同じ石が使われている部屋もあるんだよ」
「ほほう・・・“魔封じの塔”ですな! それはとってもファンタジーちっく」
「・・・なんでミリアンはそんな知識があるのかな?」
「え? いえ、私の故郷ではそういう物語が沢山あって、実際に魔法は存在しないのですけど、私は好きでそういう本をよく読んでいました」
慌てて私は言葉使いを直した。
誰もいないとは言え、壁に耳あり障子に目ありである。
「ふうん? おとぎ話で戦闘訓練の話とか出てくるの?」
「・・・で、出てきますよぉ・・・」
はっきり言って、説明が面倒くさかったので、そういう事にしておいた。
温室の先は城内の“採取の森”という、狩り禁止の食用の果実など採れる森が広がっているそうだ。
本日の城内探検はここまで、という事でバラ園を抜けて居候先に戻る事となった。
(あ~、疲れた・・・)
そろそろ春のバラが終わり、夏のバラが咲きはじめた庭園に向かって、とても幻想的なバラのアーチが続いていた。
夏のバラはしっとりとした美しい種類が多い、上品なピンク色の海の妖女“セイレーン”、シャクヤクのような優美な花びらの“イヴピアッチェ”、くっきりとした赤色で愛の告白に使われるという“アマダ”、魔力を使う“育生の才”とは、とんでもない技術者なのだろう。
「ナトン様、そういえばイスマエル様の“地味の才”ってどのような能力なのですか?」
「簡単に言うとそのままだよ、地味に見せる能力だね」
「地味? イスマエル様って地味ですかねぇ・・・」
顔の造りや、ぱっと見は確かにマクシスやナトンと比べて地味かも知れないが、あの身長、あの気品、あの頭脳・・・地味ってなんだよ。
(全国の“地味な人”に謝れ!)
「まあ、聖女ヒロコ様には効きにくいのかもしれない」
「う~ん、難しい事は分かりませんねえ」
「あの身長、あの気品、あの頭脳・・・女性に追っかけ回されても不思議じゃないよね」
「ですよね! 御父上のソラル様を見ても・・・女泣かせ要素がありそうです」
ナトンはくすり、と鼻で笑った。
「イスマエル本人はそれが煩わしくてね、独学で“地味の才”を身に着けたんだ」
「・・・・・・モテるのも苦労が絶えませんものね。本人でないと判らない様々な葛藤があった事でしょう」
(おねーさんは安心したよ、ただの朴念仁じゃなかったんだね)
「“聖女ヒロコ様”は、不思議な人だね」
「不思議?」
「こうして話しているとね・・・会話の着地地点が誰かを労わる言葉で終わっていて、心地好いんだ」
「心地好い・・・のですか・・・お褒めに与り光栄です」
こればっかりは元々の性格なのだ。
だからこそ、私はウツ病になってしまった――――。
暑い中お疲れ様です。もりしたです。
先ほど少々PCトラブルがあり・・・一部文章が飛んじゃいました・・・。
久しぶりの方も、初めての方もご体調いかがですか~?
もりしたの近所のマイバスはこの暑さで、ショーケースがぶっ飛んで仕入れたお肉が全て廃棄となったそうで~す。
私の部屋のエアコンも、とっても効きが悪くなりました・・・ので、8/12交換する決心をしました。
私のPCはエアコンの真下にあるので、創作作業が滞る見通しです( ;∀;)
ああ・・・お金が飛んで行く!
次回後編の更新予定は8月14日(水)です。フライングしたらごめんなさい!
ではでは、おやすみなさいませ! 楽しい夢が見られますように。