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はらぺこムジナ、食堂に集う  作者: オノイチカ
1食目.お子様ランチ
9/9

8.


「嵐みたいな人だね」


 食事を終えて会計をすませ、「お子様ランチは噂に違わずおいしかった」とリュリュと歓談したのちに、レディは小声でそんな風に彼女をたとえたのです。


 レディの視線の先では、ダリアが麦酒を飲みながら大きな声で笑っています。最初こそ他の客に遠巻きに見られていたダリアでしたが、その豪快な食いっぷりが荒くれ者たちに気に入られたらしく、いまや彼らの酒宴に加わって、飲めや歌えの大騒ぎを繰り広げるほどに馴染んでいました。


「騒がしくしてすみません」


 リュリュは困ったように笑いながら、お釣りの硬貨をレディに渡します。レディはいや、と首を振って、硬貨を財布にしまい込み、ふと思い出したように笑いました。


「リュリュがあんな風に、売り言葉に買い言葉って感じで、人と言い合うのは珍しいね」


「あ…………」


 レディの指摘に、リュリュの頬が赤らみます。そういえば他の人たちの目を忘れて、思いっきり彼女と口論してしまいました。

 普段は穏やかに、にこやかにと心掛けていたのに、素の自分を見せてしまった恥ずかしさ。自分を律しきれなかった不甲斐なさ。それからこんなに大人げなかったのかと、がっかりされたかもしれないという、不安感。

 それらすべてがないまぜになったリュリュは、思わずレディの視線を避けるようにうつむいて、床に視線を落とします。


「み、みっともないところを見せてしまって、すみません」


「え? いや、そんなことないよ。リュリュっていつもにこやかで優しいから、ああいう表情が見れたのが嬉しかったんだ。普通にいらだったり怒ったりするんだなぁって。身近に感じた、って言えばいいのかな。それにダリアさんの相手をするリュリュ、生き生きしてたし」


 レディは慌ててそう付け加えます。

 顔を上げて、ぽかんとした表情を向けてくるリュリュに、彼は美少女さながらに、にこりと笑ってみせました。そうして大きな笑い声を立てるダリアにまた視線をやって、レディはそっと、少し前から感じていたことを唇に乗せます。


「ダリアさんってさ、ちょっとソワイエさんに似てるよね」


「え……?」


 リュリュは思わずレディの視線を追いかけて、ダリアの姿を注視します。

 粗野な言葉と、裏表のないまっすぐな性格。麦酒をあおって楽しげに語り合う姿は、まるでコンコルディアに着いた日の、リュリュを気遣ってアナグマキッチンに長居した、姉の姿とおんなじ──


「……に、似てないです! ぜんぜん似てないです!」


 必死でかぶりを振るリュリュに、今度はレディが眉を下げて笑う番でした。


「はは、そっか。でもさ、本音を引き出してくれる人っていうのも、なかなかいないんじゃないかな。ダリアさんは確かに破天荒そうだし、相手にするのは色々大変だと思うけど、良い縁じゃないかなってボクは思うよ」


『こういうのはな、巡り合わせなんだ。そうさな、例えば──』


 レディの台詞を聞いたリュリュの脳裏に、アナグマキッチンの店主の声がよみがえります。あの時は半信半疑で聞いていた彼の言葉が、すとんとに落ちる感覚に、リュリュは必死であらがいました。


(いやいや、まさか)


 レディを見送ったあとも、店主の言葉が頭を反響してみません。

 立ちすくんだまま、ぼうっと店内を眺めるリュリュの目が、ふとカウンターの席で止まります。そこにはあの朝、並んで食事を摂ったリュリュと店主の姿がありました。


『お前さんのことだ。色々考えて足掻あがいて、それでも結局答えなんて出なかったんだろ? なぁに、いずれどうにかなるさ、そういうのは』


『……なるでしょうか?』


『そんな疑り深い顔するんじゃねぇよ。こういうのはな、巡り合わせなんだ。そうさな、例えば……腐れ縁で結ばれたような、そんなやつと巡り合ったら、そいつに本音を出せるかもしれねぇぞ。どっちかっていうと苦手な部類で、でもなんでか妙な縁があるやつとかな』


『腐れ縁……ですか』


『人に嫌われるのが怖いのは、お前さんが相手を好きだったり、尊敬したりしてるからだろ。苦手だって思う奴なら、好かれる必要なんてないって思って、案外本音で話せたりするもんだ。オレにもいるぞ。ぶつかってばかりで腹立たしいけど、なんでか長い付き合いになった大事な幼なじみが。会うたびに喧嘩だ、ははは』


『……よく分かりません。苦手な人が、そんな風に救いになったりするんですか?』


『実際そういう相手が見つかったら、きっとリュリュにも分かる。まぁなんたって、人との関わりは、一筋縄じゃいかないからな』


 だからこそ、面白いんだ。


 その声が大きく響いたかと思うと、在りし日の二人の幻は、すうっと溶けて消えていきました。

 外からひゅうっと一陣の風が吹き込んで、リュリュの頬をなでていきます。風にはもう早春の冷たさはなく、うららかな初夏のぬくもりが宿っていました。その風に誘われて緑の新芽が顔を出したように、リュリュのなかでも何か小さな芽が、おそるおそる外に出ようとしているような──


「リュリュ、麦酒おかわりー!」


 物思いを吹き飛ばす大きな声で、そう注文したのはダリアローズ。こちらへ近付く足取りは、常時と変わらないしっかりとしたものです。

 もう何杯も飲んでいるはずなのに、いつもと変わらない彼女を見て、大食いな上に大酒飲みなのかと、リュリュは呆れてしまいます。空のジョッキを彼女から受け取ると、ご機嫌なダリアはリュリュに満面の笑みを見せました。


「いや、看板に偽りなしとはこのことだな! 同じ穴のムジナがわんさかだ! 楽しいったらありゃしねえ!」


 同じ穴のムジナは、どちらかというと悪事を働く同類を指す言葉だったはずですが。

 まぁ、この荒くれ者たちが集まるコンコルディアでは、あながち誤用でもないのかもしれません。それより気になるのは、彼女が放った冒頭の一言です。


「看板に偽りなしって……?」


 リュリュの問いかけに、ん? とダリアは片眉を上げてみせました。それから彼の疑問を得心とくしんしたとばかりに、大きな口を開けて笑います。


「ああ、ムジナってさ、アナグマの別名なんだよ」


 ダリアを呼ぶ荒くれ者の声に、彼女は振り返って返事をします。「麦酒早くな!」とリュリュに言い残して、テーブルに戻っていきました。リュリュはというと、なんだかぼうっとしてしまって、彼女の言葉に反応すら返せません。


 ……もしかしてダリアの言った通り、店主はこの店を「同じ穴のムジナ」ということわざにかけて、アナグマキッチンと名付けたのではないか。リュリュの胸はそんな予感でいっぱいだったのです。はらぺこのムジナたちが安心して、集まってごはんを食べられる食堂にしたいと、そんな願いを込めて。


 店主は店名の由来を話しませんでしたし、リュリュもそれを聞きませんでした。ええ、二人とも仕事に一生懸命で、それどころではありませんでしたからね。だからすべては憶測おくそく。いろんなことを知るには、一週間は短すぎました。

 でも、今から始められることだってあります。


(今度、手紙を書こう)


 話したいことはたくさんあります。今のアナグマキッチンの様子、一人で店を切り盛りして見つけた苦労や喜び、それからお子様ランチのことについて。


(店の名前についても、思い切って聞いてみたいな)


「なー、リュリュ! いつまでぼーっとしてるんだよ! 麦酒おかわり!」


 ダリアの声が耳に届いて、リュリュはやっと現実に意識を戻し、視線を食堂にやりました。飴色の木製家具と、楽しげに食事を摂るお客さんの姿が、彼の晴れ渡った青い瞳に映ります。

 そうです、今は営業中。目の前のお客さんたちに、たらふく食べさせて飲ませるのが、調理師コックであるリュリュの仕事です。

 リュリュは黒いエプロンの皺を伸ばすように、腰の辺りをパンとはたきました。そうして気合を入れ直して、大きな声で朗らかに、彼女の声に応えます。


「はい、ただいま!」





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