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はらぺこムジナ、食堂に集う  作者: オノイチカ
1食目.お子様ランチ
7/9

6.


「ところでさ、リュリュ。この料理めちゃくちゃ気に入ったんだけど、なんて名前の料理なんだ?」


 拾い上げた肉叉フォークでカチカチと皿を叩きながら、おもむろに彼女が尋ねます。


「え? えーっと……」


 リュリュは視線を持ち上げて、思案顔で首をひねりました。

 名前なんてありません。ただ、彼女が挙げたものを一皿に盛りつけただけの、即席料理。

 ……けれどそう言えば、また文句をつけられるのがわかっていたので、リュリュは頭を悩ませて、


「……好物全部のせランチ、ですかね」


 とても適当な名前を口にしました。

 彼女がガチャンと肉叉フォークを皿に叩きつけます。


「なんだそれ! 確かにそうだけど、覚えにくいしそのまんますぎるだろ!」


「率直さであなたに駄目出しされるとは思いませんでした」


 平然と言い返すリュリュの言葉の意味すら考えることなく、彼女はむぅ、とあごに手をあてて唇を突き出します。

 宙に視線を泳がせていたかと思うと、風船がぱちんと割れたような弾ける笑顔をリュリュに向けて、彼女は明るい声でこう言いました。


任侠にんきょうランチ! うん、この料理の名前、任侠ランチでどうだ!?」


「え、に、ニンキョウ……?」


 聞きなれない言葉を片言で聞き返すリュリュに、彼女は一瞬きょとんとした表情を見せました。言葉の意味が通じていないと分かるや否や、腰掛けていた椅子から勢いよく立ち上がります。

 バサリと上着をはためかせ、長い裾の端を持って広げ、彼女は得意げにリュリュにそれを見せつけます。墨色の上着の裾には、大輪の紅薔薇の刺繍がほどこされていました。その花弁が舞い散るそばに、どこかの国の言葉らしきものがふたつ、でかでかと金糸で縫われています。直線と曲線で構成されるその文字は、まるでまじないの言葉のように複雑で、リュリュにはまったく読めません。


「任侠! この裾に縫い付けた東洋の言葉だよ! 仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を放っておかずに、その人を助けるために体を張る精神のことだ! 私もそうありたいと願っている、いわば座右の銘だな」


「へぇ、なるほど……で、なんでその任侠って言葉が、この料理に繋がるんですか?」


「どっちも格好いいから!」


 まったく理由になっていないことを、満面の笑顔で堂々と言い切る彼女に、リュリュはまたひとつ、彼女についての見解を深めます。


(わかった。この人、脳みそが筋肉なんだ)


 そんな彼女相手に、肩肘かたひじを張っているのがなんだか馬鹿馬鹿しくなって、リュリュは「はいはい」とぞんざいな相槌あいづちを打って、空になった大皿を持ち上げて、厨房キッチンへと回り込みました。水で残ったソースを流して大皿を洗いにかかっていると、彼女が荒い足音を立てて近付き、カウンターから身を乗り出します。


「なんだよ! 任侠ランチ、気に入らないのか!?」


「いえ別に。前向きに検討してしかるのち決定します」


「声に心がこもってねええぇ!!」


 大声で不満を垂れて、そのあとぶぅぶぅと唇をとがらせる彼女を無視して、リュリュは洗い終えた皿を布巾で丁寧に拭いていきます。

 その作業を終えて手を休ませたかと思うと、ふと何かに気付いた様子で彼女に向きなおり、リュリュはまっすぐな視線を彼女にぶつけました。


「……な、なんだよ。じっと見てないで、何か言いたいことがあるならはっきり言えよ」


 真剣な表情のリュリュと目が合うと、彼女は最初こそぶつぶつと文句を言い続けていましたが、やがてそれも尻すぼみになっていきました。リュリュの青い瞳は、それほどまでに真摯しんしだったのです。

 そして彼は、ずっと前から気になっていた、言いたかった、けれど遠慮して言わなかったことを、ついに彼女に伝えました。


「食べた料理のお代下さい」


「…………え?」


「最初のリゾットは僕が勝手に作ったものですし、最初から無料タダで食べさせるつもりだったから、お金はいいです。けど、二品目の料理はあなたの食べたいものを作ったから、商売として成り立つと思うんですが」


「…………えーっと」


 彼女はとたんに語気を弱めて、指先をもじもじとさせました。おもむろに懐をごそごそとあさって、小さながまぐちを取り出して、留め金をパチンと指で弾いて、なかをのぞきこんで──


「……次来た時に倍払う!」


 がまぐちを閉じて、ニカッとした笑顔を見せました。

 ──ああ、やっぱり文無しだったんですね。だからこそ、この食堂の前で行き倒れていたとも言えますが。

 リュリュも期待はしていなかったようで、「そうですか」と淡々と返事をしました。


「ほ、本当だからな! 義賊は嘘をつかないからな!」


 身振り手振りを加えて、力説する彼女。なんだか今とんでもない職業が口からこぼれた気もしますが、お金がないのに色々と注文をつけておかわりまでした自由な彼女に、リュリュはなんだかもうすがすがしささえ覚えてしまって、そんなことを気にすることもなく、含み笑いをしています。

 何かを諦められたと思ったのか、彼女はますます声を大にしました。


「受けた恩はきちんと返すのが、私の信念だ! また来る、絶対来る!」


「なんだか気迫が怖いので、次に来るのはずっと先でいいですよ。来世くらいで」


「やんわりと来店を断るなよリュリュ! お前はもうちょっと商売っ気を出せ!!」


 無銭飲食した人の台詞とは思えませんが、彼女はそれを棚上げして、びしっとリュリュを指差しました。それから少し表情をゆるめて、それに、と言葉を続けます。


「……この街に来てしばらく経つけど、やっと懐と空腹を預けられそうな、うまい食堂を見つけたんだ。また来てもいいだろう?」


 ──ずるいです。

 それは、調理師コック泣かせの一言です。


 ふいを突かれたリュリュは、ぐっと息を飲みました。そうして言葉で返事をするかわりに、ひとつこくりと首を縦に振って、彼女の意思を受け入れます。

 それを見た彼女はパッと破顔して、「そうか、良かった」と笑いました。


 少し気恥ずかしくなったのか、ゴホンと咳払いをして、彼女は頭の上のベレー帽をかぶり直します。それから長い上着の裾をバサリとひるがえし、きびすを返して食堂の扉へと向かいました。

 取っ手に手を掛けたかと思うと、リュリュを振り返り、まぶしそうに目を細めて笑います。その眼の色は、陽の陰になっているせいか、斜陽の下で見た薄桃よりも濃く鮮やかな、薄紅尖晶石ピンクスピネルの色をしていました。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、その眼が角度によって色を変える、綺麗な宝石のようだとリュリュは思ってしまいます。


「ごちそうさん、うまかったよ、リュリュ。私はダリアローズ・シマノフスカ。これからも世話になるだろうから、覚えておいてくれ」


 それが、彼女の──初めてリュリュについたお客の名前でした。





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