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はらぺこムジナ、食堂に集う  作者: オノイチカ
1食目.お子様ランチ
6/9

5.


 持ち上げた大皿はずっしりと重くて、まるで大きな小麦の袋を運んでいるかのよう。彼女のテーブルの上にできあがった料理をどかりと乗せると、薄桃の瞳は輝きを増し、綺羅星きらぼしを宿したまま大きく見開かれました。


「うっひゃあ……すげえ、でかい! うまそう!」


 食べれば一緒と言っていましたが、彩り豊かな一皿に、彼女はあきらかにわくわくしています。頬を薔薇色に染めて喜ぶ彼女を、リュリュは得意気な様子で眺めました。


「見た目だけじゃありません。味だって」


 おいしいですよ、とリュリュが台詞を言い切るより先に、彼女は厚みのある唇を舌でぺろりと舐め上げて、待ちきれないと言わんばかりに、銀の肉叉フォークをエビフライへと突き立てました。サクッ、と香ばしく揚がったパン粉が崩れる音がします。

 彼女は大きく口を開けて、右手の食具カトラリーと体とを引き寄せ、料理をぱくりと口のなかに入れました。欲張りに頬張って、噛み切ろうと歯を立てて──


 ザクッ。


「……んっ!」


 思わず、鼻から声が抜けました。

 サクサクに揚がった衣の下で、ぷりぷりとした熱い海老が、すごい弾力で歯を押し返してきたからです。それは硬すぎず、柔らかすぎずといった、絶妙な火の通し加減でした。

 熱さにはふはふと息をつきながら、口いっぱいのエビフライを咀嚼すると、磯の香りをまとった海老の汁が優しく染みわたっていき、鼻から熱い吐息が抜けていきます。ときおり歯にザクリとしたパン粉の食感が当たり、どこまでも角のない海老の口当たりとの違いが楽しくて、彼女はすっかりエビフライを噛み砕くのに夢中。

 ゴクリと嚥下えんげして、舌を滑った味わいに、目を見開きます。


「うっ……めぇ……!」


 思わず漏れたつぶやきは、誰かに聞かせるためのものではありません。心からこぼれた感嘆そのもの。

 彼女は眼を皿のようにして、次はどれを食べるか真剣に悩んでいます。手もとを迷わせて、食刀ナイフを突き入れたのは、ハンバーグ。切り分けると、断面から肉汁がじゅわっとあふれてきて、彼女は思わず唾をゴクリと飲みました。艶のあるデミグラスソースと絡めて、首を突き出すようにして挽き肉をほおばります。


「……んーっ、うんっ!」


 はっきりとした味付けのソースと、挽き肉の旨味が絡み合って、ガツンと脳を揺らしました。彼女は何度も肯定するように首を縦に振り、賞賛の唸り声を上げます。

 噛めば噛むほど旨味と脂が、挽き肉の間からほとばしります。さらに酸味のあるソースが唾液を誘い、食欲をいっそう刺激しました。彼女は急き立てられるようにハンバーグを切っては口に詰め、もぐもぐと噛みしめて……ああ、その顔の幸せそうなこと!


 ピラフの山を突き崩し、ミートスパゲッティを絡めて啜り上げ、彼女の勢いは留まることを知りません。口のまわりをソースでべたべたにしながら、必死で食べ続ける様子見てリュリュも満足気。ですが、ハンバーグを平らげ終え、エビフライがなくなって、ピラフが削られて、立てた旗がパタリと落ちた頃、彼はだんだんとその顔を驚きに染めていきました。


(えっ……? えっ……!? まだ食べるんだ!?)


 ついにはぽかんと口を開けた、リュリュの驚愕きょうがくも当然です。なんたってうつわはこの店一番の大皿、盛り付けた量はゆうに五人分はあったのですから。

 てのひらで三人前の小山を作った彼女に対するあてつけのつもりで、とんでもない量を作ったリュリュでしたが、彼女はまったく勢いをゆるめず食べ続けています。そのさまは、まるで水が上から下へと流れることが当然だとでも言うかのよう。

 淀みのない動きに、リュリュは思わず彼女の手もとと腹まわりを交互に見比べます。しっかりとした骨格で、無駄な肉のついていない引き締まった体。いったいそのどこに、流し込んだ料理はしまわれているのでしょうか。


 最後にデザートのプリンを三匙で食べ終えて──ええ、これも卵の味がしっかりと残っていて、カラメルの甘味と苦味が絶妙なプリンでした──彼女はふぅ、と息をついて、綺麗にたいらげた皿の上で、ぱちんと手を合わせました。


「めちゃくちゃおいしかったー!! ごっつぉーさん!!」


「……あ、はい……いえ、どういたしまして……?」


 料理のきっかけであったはずの怒りすら忘れて、目の前の人体の不思議に呆然ぼうぜんとするリュリュ。けれど彼女は、そんな彼の様子など気にもかけず、くるりと振り向いて、立ちすくんでいるリュリュを見上げて笑いました。


「な、な! えーっと……お前、名前なんだっけ?」


「……リュリュです。最初に名乗りましたよね」


 彼はやっと我に返って、ムッとした表情を見せます。けれどそれは、次の瞬間彼女が見せた満面の笑顔と言葉に、あっけなく塗り替えられました。


「そう、そうだったな、リュリュ! すげえよ、お前天才だ! こんなにうまい料理、食ったことねぇ!」


「……………………え」


 手放しで絶賛する彼女に、リュリュはしばらくほうけた表情のまま固まって、


「…………えぇぇ……?」


 困ったような声を残して、口をつぐみました。

 妙に体が熱いと感じるのは、調理で動き回って汗ばんだからではありません。彼の頬は、熟れた林檎のように真っ赤になっています。

 そう、リュリュは彼女を見返すために作った一皿が、ここまで大絶賛されるとは思っていなかったのです。


「ち、ちょっと待ってください。あんなに失礼なことを言っておいて、今度は褒めるんですか?」


 慌てて視線を外して、黒縁眼鏡のブリッジを中指でカチャカチャと直すリュリュに、彼女はきょとんとして小首を傾げました。


「え? 私、何かリュリュの気にさわるようなこと言ったか?」


(無自覚か!)


 心のなかで盛大に突っ込んだリュリュは、ふとあることに気付いて、ほてった頬を引き締めて、ぎゅっと唇を噛みます。

 そういえばリゾットを出した時も、彼女はおいしいと言ってくれたのです。嘘をつかない人であることは、おかわりを催促したことからも明白でした。


 すると、失礼なことを言ったという心当たりがないのは、本当のことで。

 彼女に悪意や敵意があって、ああいうことを言った訳ではなく。


(単に思ったことをそのまま言っただけ……?)


 ……子どもだ。

 味の好みだけじゃなくて、中身が天真爛漫すぎる大きな子どもだ。


 彼女の人となりについて把握し直したリュリュは、がっくりと肩を落としてうつむきます。そんな迷惑だけど裏表のない相手に、見返すためにむきになって料理をしていたのかと思うと……なんだか恥ずかしくなってきて、ますます頬が熱くなり、顔が上げられません。


くやしい。なんだかめちゃくちゃ振り回された気がする……)


 驚いたり怒ったり照れたり恥ずかしくなったり悔しくなったり、リュリュの感情はさっきから右往左往。負の感情を出さないように、穏やかにと、いつも心掛けていたのに。


「おーい、どうした? あっ、わかった照れてるんだな! このこの!」


「照れてなんかいませんよ! 目ん玉腐ってるんですか!」


 立ち上がって髪を掻きまわす彼女の、茶化す口調に腹立たしくなって、勢いよく顔を上げたリュリュが、大声で彼女を罵倒ばとうします。けれどその頬は相変わらず赤いままで、まるで迫力がありません。

 そんなリュリュを、大きな口を開けて笑い飛ばす彼女。少し見上げる目線から、わずかに彼女の方が背が高いことに、リュリュはやっと気付きました。


(……きっとかかとのある靴のせいだ)


 リュリュの姉のソワイエがそういったものを履いて、弟との身長の差を埋めているように。女性はいつだっておおらかに、したたかに強いのです。





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